疲れるけれど面白いというか、面白いけど疲れるというか、、、2017/06/14 20:45

義姉から電話。
張りのある明るい声!

とにかく、この声を聞くとホッとする。
が、前からこんなに元気だった?
元気過ぎない?

ま、いっか、元気なのはいいことだ。

で、いろいろお話。
もちろん、こちらのことは聞かれないし、話さない。
全部、彼女の話。

彼女の現状、彼女の気持ち。
繰り返し、話される彼女の気持ちを聞きながら、
こちらも知りたかった情報を二つ、ゲット。

以前、配達されてくるお弁当が、
毎日同じ味で飽きてくる、と言っていたので、
ケアマネさんに、もう少し工夫できないものかと相談していたのだが、
今は、変化がつけられて、
毎回、趣向の違う弁当が届くとのこと。
それは何より。

私が、
「お弁当が同じ味で飽きる、と言ってたから」と言うと、
「いやぁ。そんな厚かましいこと言うてたん? いつも違うタイプのお弁当を届けてもらってるよ。ありがたいわ」と言う。
どうも、目の前に二種類の弁当を並べているらしい。
賞味期限の早い方から食べる、とのこと。
なかなかしっかりしている。
弁当の中身を微に入り細にわたって、始めから何度も何度も説明することを除けば、ほんとうに、しっかりした話しぶり。

もう一つ、知りたかったのは、お金のこと。
手元に一万八千円ある、とのこと。
「これだけ、あったら十分やし」と言う。
以前は、「これでは足りない」と文句を言っていたのだけれど。
まぁ、満足しているのなら、これも何より。

デイサービスには二度ばかり、ケアマネさんと機嫌よく行ったそうだが、
先日は行かなかった、とのこと。(これはケアマネさん情報。本人は覚えていない。)
しかし、「デイサービスに行かなかったと聞いたけど」と言うと、
いかに、そこがつまらない場所か、ということを
表現を変え、たとえ話などをあれこれ思いつきながら、
延々と話し出す。
おぼろげな記憶があるのだろうか。
でも、自分が行った時のことは覚えていなかったので、
たぶん、母親に同行したときのデイサービスの印象を語っているのだろう。

デイサービスには、発展的なことが何もなく、
時間の無駄、という感じがするのだそうだ。
もう少し、自分が向上できて、
しゃきっとなるようなことにチャレンジできれば面白いのだが、
「楽にして、ゆっくりして」と言われて、何時間もそこにいるのは苦痛なのだそうだ。
刺激がないのだそうだ。

医師は、刺激が必要だと、デイサービスを勧めたのだが、
そのデイサービスを、刺激がない、と言うのだから、面白い。

義姉のその「デイサービス」感を繰り返し聞いているうちに、
さすがに疲れて来て、
そろそろ電話を切りたい。
私のその感じを察してくれたのか、
「長いこと喋ってごめんね。でも、M吉さんに聞いてもらって、全部、気持ちを言えたみたい」と、いかにも電話を終わりそうになるのだが、
「この電話って、M吉さんがかけてくれたん?」と聞くので、
「ううん、あなたからかけてきたのよ」と答えると、
それをきっかけにまた振り出しに戻る。
終わりが見えかけては、また最初に戻る、ということを数回、繰り返した後、
彼女の家の固定電話が鳴ったので、それを機に電話を終えた。

なんだか、ぐったり。
履歴を見ると、通話時間は1時間40分。

携帯をいじっていたら、私の名前があったので、
私から電話がかかってきたかと思って、かけてみた、とのこと。
たぶん、話をしたかったのだろう。
すぐに、自分がかけた電話であることも忘れてしまっているのだが。

家への固定電話の相手は、
たぶん、例の親切な男性の友人だろうと思う。
解禁になったので、彼はしょっちゅうご機嫌伺いの電話をかけてくれていて、
気になることがあると、メールで報告してくれるようになった。
私との電話を切り、固定電話に出たとたんに、
もう私との電話のことは忘れているだろうと思うと、
かわいそうなような、おかしいような、、、。

そう簡単には一般化できないとは思うのだが、
義姉と話をすることは、
人の記憶と思考と表現とのつながりに興味がそそられて、
疲れるけれど、やめられない。