久しぶりの偏見、、、2024/03/31 16:43

年配の女性ばかりで、お寿司屋さん(と言っても、居酒屋として使えるチェーン店)に入った。

イベントが終わって、お疲れ様会のために、6人で立ち寄ったのだ。
一番、年長は80歳を超えている。若い人でも50歳代。

で、若い男性の店員がやって来て、
オーダーを聞く前に、私たちを見回して、
「熱いお茶でいいですか?」と言った。
飲む気満々の全員が、一瞬、ポカン。

イベントが終わって、やっと一息の時間。
一杯やる気で店に入ったにきまっているじゃないか。
(相手はそんなこと知らないだろうけどさ、、、。)

イマドキ、こういうことを言う奴がいるのか?
まあ、一応、すし屋だから、
年配の女性たちが、熱いお茶でお寿司を食べると思われたのだろうけど。

が、あまりにも、そういうこととは不似合いな私たち。
労働組合系、市民運動系、
みんな闘士だ。
(イマドキ、見かけではわからないかもしれないけど、、、。)

一番若い人が怒りで、目を丸くして私たちを見回し、
私と他の同年輩が応じたが、
一番、年長の人は、何が起こっているのか事態をキャッチしていないですまし顔。

で、みんな、ビールやハイボールをそれぞれ2~3杯飲んで、酒の肴だけで、お寿司は食べずに店を出た。
夕食前に、一杯、ひっかけて、慰労し合いたかっただけなんだけど。

なんか、久しぶりのレトロな偏見に唖然とした出来事。

知らないと言っているのだから、知らないのだろう。2024/03/15 10:41

自民党派閥の裏金問題。

テレビを観ていると、政治倫理審査会で、その問題を知っているだろうと目される議員が、「知らない」と言い続けている様子を見ていて、
私などは、ほんとうに知らないのだろうと思ってしまう。

「知らない」という背景には、記憶にないので「知らない」場合も、
その当時、明確な認識がなく、「知らない」ことになってしまった、という場合もあるのだろう。
本人が嘘をついている、というのではなく、
その人の責任は、真相を調べることができる立場なのだから、精一杯調査をして、わかるところは全部報告する誠実さが要るのだろう。
それでも、その調査の途上で、どれくらい邪魔が入り、どういう力関係が働くのか、それわからないけれども。

なぜ、こんなことを思うのかと言うと、
私が経験した小規模の事件であっても、同じことが起こったように思うからだ。
私が「真相を知っている」と思い込まれた事件で、裁判で「知らない」と言ったことで、大変な糾弾を受けた経験があるからだ。
「知らないはずがない」といくら言われても、
知らないものは知らない。
覚えていないことは、覚えていないのだ。

組織というものは、明示される責任者とは異なる人物たちが、
ずるずると方向づけてしまう場合がある。
責任者があずかり知らない動きが、水面下で起こることがある。
私は明らかに、そういう立場に置かれた。
いつの間にか何かが決まり、
私が事態を明確にしようとすると、つかみどころのない逃げ方をする中間管理職が複数いた。
私は陥れられたのだが、陥れた者たちは、その自覚すらないだろう。

私はこういう奇妙な動きをするのが組織というものだと、
ようやく、今にして思う。
自民党のような魑魅魍魎がうようよいるような組織だから、
ますますそうなのだろうと思う。

そういう組織で、潔白な身を証明しようとすれば、
常に、意識的に、物事を明確にしておく必要がある。

今、身を引こうと思っている団体があるが、
その団体も、奇妙な動きや発言がある。
人々は、無意識に、非明示的なやり方で、他人を操作しようとするものなのか。
私は、これが苦手だ。
いつの間にか操作されてしまった苦い経験が、過去には多々あったが、もう、賢くやりたいと思っている。
だから、辞意を表明した後も、常に線引きを行うようにしている。
「〇〇まではやります。それ以上はやりません」と。
そうでないと、辞意を表明しながら、ずるずると次年度の計画に入っている人たちにどのように利用されるかわからない。

利用されたくない。
だから、明確に線を引く。
それしかない。
そして、責任者になれば、常に、成員の責任を明確にする、それが責任者なのだろう。
尤も、それらを明確にしようとすれば、わけのわからないやり方で鵺のように邪魔をしてくる者がいるので、
かれらの悪智恵(あるいは無意識の操作)にやられないように、こちらは良い知恵が要る。

人に寄り添うということのリスク2024/03/03 09:44

パワハラの被害者として、寄り添わねばならなかった人がいる。
立場上、寄り添う必要があった。
カウンセラーではなく、上司として。

難しい立場に追い込まれて、ものすごく厳しい状況ではあったが、
パワハラは放置できないので、がんばった。
その騒動は、ずいぶん昔の話なのだが、
結局、当事者ではなく、一番ダメージを被ったのは私のようだ。

最近、当の被害者と話をした。
彼女はとっくに乗り越えていて、また、私に悩みを打ち明けてきていた。
この人との関係はなんとなく続いていて、
話を聞く立場になるのだが、何度か、「え?」と思うような出来事もあった。
「伺います」と言っていたイベントに来なくて、後から、言い訳の連絡が来たり、(私は彼女に渡すはずの物を持って来ていて、大荷物と一緒にまた持ち帰る羽目になった)、
イベントの直前で必死の状態の私に電話をしてきて、オンラインに入れないから入れてくれと言ってきたり(それができるのも私だけという状況)、
自分の行為が、私をどれだけ困らせることなのかを理解していないようだ。

しかし、私は、そういう細事は忘れようとするタイプなので、まあ、彼女の未熟さには気づいていたが、やり過ごしてきた。
で、このたび、なかなかめんどくさいことに巻き込んでくれた。
この人と会話さえしなければ起こらなかったようなこと。
実にくだらないことで、ここに説明を書く気も起こらないが、
こういう巻き込み方をされる自分にもうんざり。

「上司」という立場だったころ、何人か、私を慕ってくれる人たちかいて、
中には、正義感は強いが、困ったこともやってくれる人などもいて、
「もう、かばいきれない」ような窮地に追い込まれて、困惑しきったことがある。
そういうタイプの人って必ずいるのだが、
結局、そういう人に頼られる(利用される)私の問題なのかもしれない、と改めて思う。

彼女たちは、私の窮状を理解する立場には就いたことがない。
しっかりと自立した人は、後に管理監督職などに就くようになるが、
永遠に部下の立場でい続ける彼女たちは、
生涯、自分の言動の意味を理解することはないのかもしれない。

私は、そういう人がいる、ということを理解しないといけないのだろう。

対等性、共感性、というようなことばかりを信じていると、
女性(敢えて女性というが)たちの、言動の病み具合が見えなくなる。
そこが見えていない私の欠点は、
「嫌われたくない」という思いでがんばってしまうところからきている。
「期待にこたえたい」という思いが、私を窮地へと導いてしまうことがある。

孤独であっても、たとえ、耐えがたい孤独であっても、
自分を「利用されない」賢さは要る。
相手は邪悪な人ではなく、善意で、単に無意識に、私に頼り、自分の辛さ、弱さを露出してくるだけなのだが、それは私が利用されることになるのだ。
手を離す必要がある。
いや、彼女たちは、自分の望み通りに、私が彼女たちを救う動きをしなければ、自分の方から手を離す人たちだ。
これはやはり「利用」だ。

賢く、強くならないといけないのは私だ。
古希を過ぎて、まだこんなことを考えているのは我ながら情けないが、死ぬまで自己改革をし続けるしかないのだろう。

忘れるということと覚えているということ2023/12/06 09:41

忘れっぽい人が多いなぁ、という感慨が起こることがある。
ある親しい友人は忘れっぽい人で、
いろいろ忘れている。

一緒に参加した集まりなども、覚えていない。
で、もう一人の人に確認しても、覚えていない。
そうなると、あれは私の夢だったか、妄想だったか、、、と思ったりして不安になる。
が、私の記憶が正しかった事実が判明すると、
改めて、
そうか、、、人って、忘れるんだ、、、と軽い絶望感と共に思う。

かくいう私も忘れていることも多いだろう。
私が覚えていて、他の人が忘れていることは、
私にとって結構重要度が高く、
他の人には重要度が低い、ということだったりするのだろう。
その時、その人がどういう状況だったか、が影響することもある。

母がまだ元気だった頃、
私が京都に出かけて、、
母が好きな京都の塩芳軒のお饅頭を買って帰ったら、
母は、「よう覚えててくれたねぇ」と感激していた。
「100回くらい、聞いたから」と冗談含みで答えたような気がする。
母は、あまりにも日常的な会話なので、自分がしょっちゅう言っていたことは意識していないのだろう。
記憶に残すのは、「特記すべきこと」なのだろう。

私の人生での特記すべきことと、
他の人の特記すべきことは異なるのだろう。

この特記すべきことが何なのか、
人生の風景を決定するこういうことをぼんやり考える今日この頃。

愚痴だけど、、、2023/10/28 21:07

ある団体の方から、講演を頼まれた。
私の守備範囲なので、喜んでお引き受けしたのだが、
どうも、調子が狂う。

まず、メールをやらないらしい。
で、スマホのSMSでちょこっとした連絡だけ。
後は、依頼状が送られて来るでもなく、
詳細が伝えられることもなく、
何時に始まって何時に終わるのかもわからん。
で、時間配分を教えてください、と連絡をしたら、
「私のあいさつの後は、全部使ってください」って、
何時に始めるのかもわからないのに?

で、印刷物があれば、また送ってください、ときたけど、
パワーポイントで資料を作るのにも、時間がわからないと、
どの程度話ができるのか、さっぱりわからない。

で、だんだん、気づいてきた。
どうやら、こういう仕事をしたことがない人なのだ。
どういう準備が要るか、何もわからないようなのだ。
今までも、大概テキトーな相手はいたけど、
この、人生最後の講演会は、極めつけの相手かも、、、。

私は柔軟なタイプだと思う。
今までも、相手に合わせて、補う形でやってきた。
(補われた方は、そういうことも気づいていないだろうけど。)
が、今度は、相当な猛者だ。
参った。
全部、こちらからリードしないとだめっぽい。

年配の女性は、組織で仕事をしたことがない人が多い。
しかし、参ったな。
ここまでわかっていないとは、、、。

こんなものなのかな。

もう一人、古い友人がいる。
パソコンのことをよく聞いてくるのだけど、
で、遠隔で説明していたのだけど、
もう、わけのわからないつまずきが多すぎて、
「え?」と何度も声が出る。
そうか、、、パソコンが苦手という人は、
こんなにも使いこなせないものなのか、、、。

ほとんど手探りでやって来たのだろう。
で、偶然、できていたので、
その調子でやってきたけど、
OSが変わったりすると、もう、手も足も出ない状態になったみたいだ。

参ったな、、、。
ほんとうに参ったな、、、。

私の周りにいる女性たちは、賢い女性がたくさんいるのだけど、
なぜか、パソコンの技術は発展しない人が多い。
賢いのにね~。

でも、パソコンができないことは、くやしくさえないらしい。
だから、持ち前の負けん気でがんばることもしない。
この状態、私には理解不能。

愚痴だけどね、、、。