親戚2017/06/19 09:37

昨日は、亡夫の義理の叔母の法事だった。

亡夫は従兄弟姉妹関係が親密で、皆、きょうだいのように親しい。
だから、亡夫が生きていたら参加したであろうこうした親戚のイベントには、可能な限り、参加しようと思ってきた。

私の方にこうした親戚づきあいがないので、
子どもたちのためにも、私がつないでおこうと思うのだ。
若い時はうっとうしく感じるこういうことも、年を取ると、必要に感じることもあるだろうと思うからだ。

会食の時に、施主夫婦が参加者を紹介してくれる。
私の番になると、なにしろ、ややこしい。
「亡き○○子さんの夫の○○郎さんのお兄さんの長男のお嫁さん」と、紹介された。
こんなに遠縁の自分がいてよいのか、という場違いな感じを一瞬感じてしまう。
笑いが起きる。
すると、とても便利な言葉を施主が言い添えた。
「つまり、本家です」と。
なるほど!
授業で家族制度の説明をする時以外に使ったことのない「本家」という単語が、急に私のランクを引き上げた。
不思議な気持ち。
わたし、家族制度の名残を支えちゃった?
単に、亡くなった人が優しいおばさんで、その息子は夫の親しい従兄で、その妻も気さくで良い人だから、
だから、参加したのだったけど。

京都の母方の親戚は、こういう集まりのお声がかからなくなった。
京都の親戚づきあいはめんどくさいことが多かったのだが、
(母なども、神経を病みそうなほど悩んでいた)
うるさいしきたりにこだわった古い世代が亡くなっていくと、
後の世代は、みな、こりごりしたように、こういうイベントをやめていった。
もともと私には母方の伯父叔母がいなくて、当然、従兄弟姉妹もいないので、疎遠だ。

父方の従兄弟姉妹は年が離れていたり、
田舎なので文化が違っていたりして、もともと疎遠だ。
母は、父方の親戚には、京美人の代表のようにほめそやされていたので、悪い気はしなかったと思う。
お歳暮お中元のつきあいは、続いていた。

そういう中で、私の親戚と言えば、夫方の親戚ということになってしまった。
きょうだいのように育った夫の従兄弟姉妹たちは世代がみな同じなので、話をすれば、話は合わなくはないが、
自分たちのルーツの話になると、私には関係のない話になる。
まだ若い頃、従兄弟姉妹の輪に入れず、
一人ポツンと座っていたら、
幼い息子が、
「ママがかわいそう」と目を真っ赤にして
「ママもみんなとお話して」と言っていたことがあって、
息子を悲しませていることにかえって、胸が痛んだ。

誰も悪気はないのだが、久しぶりに会った幼馴染との交歓で夢中なのだ。
私も若い頃は、気おくれがして、入り込めなかった。

もともと兄弟姉妹の感じを知らないので、
第一次的な人間関係とでもいうのか、
そういう関係の取り方に慣れていない。

義姉の話になったとき、
S姉が後見制度のことなどを誤認識して、従弟妹に一生懸命話している。
それで、私が訂正を入れるのだが、
誤った知識に固執して言い張るので、修正は諦めた。
この人と論争しても仕方がない。
いくらこの人が言い張っても、事実は粛々と進む。
しかし、目の前の現象だけを見て、
それだけを論拠にして主張し続ける、というありさまは、
なんだか、幼い子どものようだ。

義姉はS姉より学校の成績がはるかに良かった、と聞いていたが、
確かに、S姉の方は、論理的思考ができないようだ。
世間知には長けているのだが、
情緒に傾いた思考をする人だ。