知らないと言っているのだから、知らないのだろう。2024/03/15 10:41

自民党派閥の裏金問題。

テレビを観ていると、政治倫理審査会で、その問題を知っているだろうと目される議員が、「知らない」と言い続けている様子を見ていて、
私などは、ほんとうに知らないのだろうと思ってしまう。

「知らない」という背景には、記憶にないので「知らない」場合も、
その当時、明確な認識がなく、「知らない」ことになってしまった、という場合もあるのだろう。
本人が嘘をついている、というのではなく、
その人の責任は、真相を調べることができる立場なのだから、精一杯調査をして、わかるところは全部報告する誠実さが要るのだろう。
それでも、その調査の途上で、どれくらい邪魔が入り、どういう力関係が働くのか、それわからないけれども。

なぜ、こんなことを思うのかと言うと、
私が経験した小規模の事件であっても、同じことが起こったように思うからだ。
私が「真相を知っている」と思い込まれた事件で、裁判で「知らない」と言ったことで、大変な糾弾を受けた経験があるからだ。
「知らないはずがない」といくら言われても、
知らないものは知らない。
覚えていないことは、覚えていないのだ。

組織というものは、明示される責任者とは異なる人物たちが、
ずるずると方向づけてしまう場合がある。
責任者があずかり知らない動きが、水面下で起こることがある。
私は明らかに、そういう立場に置かれた。
いつの間にか何かが決まり、
私が事態を明確にしようとすると、つかみどころのない逃げ方をする中間管理職が複数いた。
私は陥れられたのだが、陥れた者たちは、その自覚すらないだろう。

私はこういう奇妙な動きをするのが組織というものだと、
ようやく、今にして思う。
自民党のような魑魅魍魎がうようよいるような組織だから、
ますますそうなのだろうと思う。

そういう組織で、潔白な身を証明しようとすれば、
常に、意識的に、物事を明確にしておく必要がある。

今、身を引こうと思っている団体があるが、
その団体も、奇妙な動きや発言がある。
人々は、無意識に、非明示的なやり方で、他人を操作しようとするものなのか。
私は、これが苦手だ。
いつの間にか操作されてしまった苦い経験が、過去には多々あったが、もう、賢くやりたいと思っている。
だから、辞意を表明した後も、常に線引きを行うようにしている。
「〇〇まではやります。それ以上はやりません」と。
そうでないと、辞意を表明しながら、ずるずると次年度の計画に入っている人たちにどのように利用されるかわからない。

利用されたくない。
だから、明確に線を引く。
それしかない。
そして、責任者になれば、常に、成員の責任を明確にする、それが責任者なのだろう。
尤も、それらを明確にしようとすれば、わけのわからないやり方で鵺のように邪魔をしてくる者がいるので、
かれらの悪智恵(あるいは無意識の操作)にやられないように、こちらは良い知恵が要る。

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