策略、、、2022/08/14 11:01

策士策に溺れる
という言葉がある。

その実例はたくさん見てきた。

と言うより、こんなに、策略を練る人が多いのか、と驚いた。
ある歴史家が言っていたように、
全く、無防備で策を弄さない人は、
何らかの計画を持って行動する人に敗れる、という実例も、
歴史の中の天下取りの図を見ると多々見られるらしい。

まあ、まさかの時に備えない人が、
思いもかけない急襲を受けて、ダメージをもろに受けるのは、
それはそうだろうと思うのだけど、
自分の身近な例を見ていると、
「え? この人、何を考えているんだ?」と思うような言動(見え見えの策略)に出て、
すぐに敗退している人などを見てきた。
ものすごく長期展望に立って、深謀遠慮をめぐらせる能力がないなら、ヘタな策は弄さない方がいい、と、改めて思ったりする。

まぁ、私みたいに、あまりにも無防備で、
易々と相手の作戦に取り込まれるのも、アホだけどね、、、。

でも、ヘタな策士になるよりは、
(なれないし)、
正直にしていて、騙される方がましかも、、、。
いや、ましではないのだが、それ以外に無理、ということか。

なぜ、こんなことを思い始めたのかと言うと、
統一教会のことを考えてみたからだ。
ある番組のコメンテーターが、
今の風潮だと、統一教会を「反社会的集団」みたいに扱っている、
ということを言っているのを聞いて、違和感を持ったからだ。
直接、暴力を振るわないで、じわじわと心理的に支配して、お金を出させていくやり方だと、
反社会的集団とは言わないのか、ということを思った。

霊感商法などの明らかな事件があって、
そことのつながりもわかっているのに、
なぜ、この組織を「反社会的集団」と呼ばないのか。
粗暴なふるまいを行う集団にはピリピリしていて、
「反社会的」だとの社会的合意もできているのに、
この奇妙な、からめ手で攻めて来る悪質な集団には、これと言った手を打たない。
この事実一つをとっても、政治権力とのつながりを勘ぐってしまう。

何か、どこか、うやむやにしようという政権の感じが見られて、
安倍よりましかも、と思った岸田も、
やっぱり信用ならないやつだと思う。
いや、岸田はまだ、全貌が見えない。
これまでの勢力にものすごく気を使っているかと思えば、
妙に新しい面をチラ見せする。
少なくとも、安倍に評価してもらっていなかったのは確かなようだ。
安倍にすり寄っても、冷たくされたのは、
安倍が、岸田の持つ「安倍とは、別もの」を見抜いていたからかもしれない。
あの、すこぶる人たらしぶりを発揮したらしい権力者は、
周りの人間の利用価値を見抜く力を持っていたのだろう。
安倍に評価されなかった分だけは、岸田への期待がある。

しかし、旧勢力に気を使い続けるただの優柔不断か、
別の長期の目論見を持っているのか、
まだわからないな。

オジサンが嫌い2022/08/03 21:41

オジサンは、私には天敵だと思われる。
いやいや、最初から、そんな偏見で人を見ていたわけではない。
私は、結構、受容的で共感的なタイプだと思う。
で、結構、いろいろな場面で、オジサンが近寄って来ることがあった。
が、これまでに出会ったオジサンで、
がっかりしなかった人はいない。
どうして、こうも、皆さん、厚かましくて、自分だけは特別と思っていて、
自分のことを反省したりしないんだろう。

でも、こんな本音を言うと、オジサンから攻撃されるから、
通常は、何も言わない。
オジサンは、怒らせたら怖いから。
権力、筋力、腕力、恫喝力、、、物理的なパワーがあるからね。

で、オジサンに困っている、というようなことを書くと、
今度は、
「自分だけは違う」と思い込んでいるオジサンが、
コメントを入れたりする。

昔、ある、複数の男性と恋愛関係にあるモテ女の友人が言っていた。
恋人の一人に、男のひどいところ、ダメなところを語っていたら、
「そうか、、、そんなひどい奴がいるのか」と、他人事みたいな顔をして
びっくりするので、
「あんたのことや」と言ってやった、と。
まあ、それでも、男と恋愛をするのだから、それとこれとは別だったのだろう。
あんまりにもモテるので、
「すごいね、そんなにモテて」と、素朴に感心していたら、
「あなたが捨てるような男を、私は拾っているだけよ」と言っていたその友人は、本当にリアリストだった。
男は拾うに足りないことをわかっていて、男とつきあっていたのだから、この友人は、すごくよくわかっている人だったな、と改めて思う。
早くに亡くなったけど、、、。

今、なぜ、こんなことを書くかと言うと、
あるイベントで、ある女性講演者が、
オジサン社会の問題性と、それをどのように解決していくか、ということを講演したら、
女性の聴衆には非常に高評価だったのに、
たった一人、めちゃくちゃ辛口の感想があって、それを書いた人が、
まさにオジサンだったからだ。
そのオジサンが、講演者の話の内容を批判したのだったら、正面から
来たのだとわかるのだが、
講演者の話し方とか、早口すぎるとか、そういうことばかりなので、呆れた。
「自分は、オジサンだから、オジサンとしての言い分がある」というのなら、まだましな気がする。
客観的な批評を装って、自分の不快感だけを辛辣に表現して憚らない。
これがまさにオジサンなのだ、というサンプルみたいだ。

あ~、やだやだ!
だから、ますますオジサンが嫌いになる。

組織運営の問題2022/08/01 10:55

日本は、、、などと始めると、えらい大きな話になってしまうが、
いくつかの組織で働いてみて、
組織のガバナンス、マネジメントが全くうまくいっていないな、と、思ってきた。

民主主義とか、個人主義とかをこなす能力が日本人にはないのか、と思ったりする。

少し前に「強いリーダー」を求める風潮があって、
やたら強いキャラの、底辺で苦しむ人たちをぶった切る思想の候補者に人気が集まったことがあった。
人は、いったい、何を指導してほしいのか、自分で判断する力がないのか、と絶望したものだ。

今も相変わらず、大きな組織も小さな組織も、同じような感じで、
うまいことマネジメントができないまま、
現場は個人の努力に委ねられる。
多くが強いリーダーの支配下に就くために組織内の空気ばかり読んでいて、
自分の意志と努力でがんばる現場要員は、何もかも、特に困難なことを「お任せ」される。
一人では背負いきれない。
方向性が明確に示され、いざとなったら責任を取るよ、と言えるマネジメント責任が明瞭になっていて、初めて、個人の力量が活かされる。
が、そのマネジメント不在のまま、個人の責任にされて、
そのまわりを方針を持たない烏合の衆がうごめいているのが実態だ。

こんなところでがんばっては、消耗し、つぶれるだけだ。

私が今所属する任意団体は、権威狙いの人はいない。
むしろ、どの人も、責任負担はご免こうむりたい感じで、
(他で、重責を担っている人が多い)
やってくれるなら、お願いします、になっている。
だから、文句も言わないし、どの人も潔い。
そこが私の気に入っているところだ。
ぐちぐち、悪口やクレームばっかりの人はいやだが、
そういう人は、幸いいないし、やることはきっちりやる。

しかし、新たな問題が生じ始めている。
今は、ITリテラシーを持たない世代が統率ポジションで、
威厳はあるけど、実働の能力がなかったりする。
で、オンラインの公開イベントの時に、
実務担当者の思惑、時間管理、スケジュール管理を理解せず、
障害になったりする。
準備会議では、共有するためにちゃんと伝えてあるのだが、
なにしろ、興味がない、知識がない、感覚的に理解できない、ということらしく、
彼女たちの脳に、届かない。
で、完全にこちらの段取りを無視した行動を、現場で取ってくれる。
ああ、これが「老害」というやつか、、、。

そろそろ世代交代の時期だということはわかっているが、
彼女たちが積み上げてきた他団体との交流の実績や、
几帳面に蓄積された実務事務を、
こちらは引き継げない。
引き継ぐだけの実務能力(伝統的なやり方と領域)が、こちらにはない。

今は、その伝統部分も不要ではなく、
しかし、新しいステージでの実務が必要になってきている時代。
いつの時代も、ハザマの時代なのだろうが、
今は、それを実感する。
一新するとしても、これまでの遺産を捨て去るわけにはいかず、
遺産は、彼女たちが掌握している。

遺産と新しい技術がうまく並立できればいいが、
実際には、混在していて、両方に習熟していないと実務は動かない。
が、それは無理だ。
御大のレガシーを尊重しながら、新しい技術で実務管理をしようとしたが、
一人では無理だなぁ。

う~
昨日は、さすがにイラついたぞ。

過去の出来事ばっかり、、、2022/06/08 17:42

もう、思い出ばっかりになると思う。
今後は、そんなに書きたい出来事を経験すると思えないので、
振り返りのブログになりそう・・・

で、思い出したこと。

もう20年くらい前のことだ。
一人で、メルボルンの学会に行った。

で、向こう見ずなのか、ただのアホなのか、
自分でも呆れるのだが、
まず、メルボルン空港に降り立ったとたんに、目の前に自分が泊まる予定のホテルが建ってると思い込んでいたお目出たさ。
んなもん、あるわけない。
ずっと後で、このことを息子に言ったら、
「関空でも伊丹でも、大阪市内まで電車とかバスに乗るやん?」と言われて、なるほど、と思った。
「メルボルンは、小さな都市だから、どこでも歩ける」という観光ガイドか何かを鵜呑みにしたのだった。
で、困り果てて、空港の観光ガイドカウンターに駆け込み、
ホテルの名前を言っても、知られていないとわかり、呆然。
住所は? と聞かれて、
日本を離れる少し前に、何かの書類に書いたので、住所は辛うじて覚えていたので、伝えることができた。
で、住所を言ったら、
「あのバスに乗りなさい。あなたの行きたい通りを通るから」と指示された方向を見ると、一台の小型のバスが止まっていたので、
それに乗るべく近づいたら、外にいた運転手に、
前払いだと言われた。
日本の空港でチェンジしたトラベラーズチェックを出したら、
トラベラーズチェックは扱っていないと言う。
「え、そんなの聞いてない」と言いたいところだけど、どうしようもない。現金は持っていなかったので、VISAで払うことにした。
で、彼が、用紙を取り出して、私の住所を聞くので、
アルファベットで住所を伝えようとするが、
そこは、オーストラリア。
発音が通じない。
「A」の文字すら伝えられない。「A」は、「エイ」じゃないんだよね。
でも、「ア」も通じなかった。
何度もやり取りしたが、彼はもう、お手上げ、という感じで、
「もう、ええわ、乗って」と言った。(オーストラリア英語で(笑))。

車中で、メモ用紙を出して、自分の住所、名前、電話番号を書いて、
「あんたの泊まるホテルは、あそこやで」と運転手がバスを停めて、
指さしたので、
私は降りるときに、
「これが要ったんでしょ」と、住所を書いたメモを渡したら、
彼は初めて喜んで、
「おー、ビューティフル!」と言った。

日本人は、筆記はうまいのだ。
発音はヘタだけど。

で、何とか、無事にホテルについて、
まあ、いろいろあったのだけど、
ある日、どうしても行きたかった動物園に行くことにした。
(学会はどうした、という感じだが、なにしろ、しばらくは物見遊山に余念がなかった。)
で、またもや、徒歩で行けると信じて、ずっと歩いて行った。
行けども行けども、たどり着かない。
そもそも、地図に出ていたすぐ近くのはずのランドマークすらない。

やけに広い道路を歩き続けていたら、向こうから人が来たので、
この際、人種も性別も関係ない、と、縋りつくように尋ねた。
「メルボルン・ズーはここからどう行けばいいですが? 歩いて行くの」と言ったら、
相手は、超びっくり。
「歩いて? 歩いてはいけないよ」と、言って、
割に近くに見つかったトラムカーを指さして、
「あれに乗ったら行けるよ」と教えてくれた。

で、お礼を言って、トラムカーに乗って、無事に動物園に行ったのだが、
オーストラリアは広いんだ、というのが実感だ。
メルボルン・ズーでは、孔雀が、日本の鳩のようにそのへんにいて、屋根とかにも何羽もとまっていて、
誰かが食べ物を投げると群がってつついていて、
「孔雀のプライドはないんかい」と、心の中で突っ込んだりしていた。
初めて見るウォンバットなんかに魅入られて見た記憶が残っている。

それにしても、私って、無謀なのか、ただのアホなのか、、、。

この調子で出かけまくり、
学会の直前に焦って準備をして、ミッションは何とか果たして、
そのあとは、仕事の待っている日本にばたばたと帰って来た。
帰国した時、やけに日焼けしていた(笑)

向こうでは、やたらベトナム人だと思われたが、
実際、ベトナムから働きに来ている人が多かったようだ。
一度、学会で知り合った、東大に留学しているという現地の人と知り合って、
夜の食事会に誘ってもらって出かけたが、
降りた駅はものすごく鄙びた田舎の無人駅だった。
すると、同じトラムカーから降りた東洋人がいて、
「ベトナミー?」と声をかけてきて、
何かわからない言語をしゃべった。
ものすごく不安げで、心細そうに立っていて、縋るように私を見ていた。
「いえ、日本人だけど、英語は話せますか?」と尋ねたら、
もういい、と言うように、手を横に振って、恐れるように遠ざかって行った。

ものすごく気になったが、私も先を急いでいたので、そのままになった。

こんな、日本では経験しないことをたくさん経験したが、怖い目には合わなかった。
トラムカーでは、購入したチケットを車内の機械でvalidateしないと使えないのだが、
どう見てもこっちの人だろうと思える金髪青い目の女性に、
「このチケットどうして使うの?」と聞かれた。
機械の操作を説明して、わかってもらえたが、
多人種に慣れている人たちというのは、
アジア系の者にでも質問してくるんだなとおかしかった。
まぁ、滞在数日後、出かけてばかりで、
もう、トラムカーには何度も乗っていたから、慣れているように見えたんだろうな、、、、。

そう言えば、友人たちとアメリカに旅行した時も、
青い目の人に、地下鉄の乗り方を聞かれた。
その時は、英語が話せる友人が教えてあげていた。
そのうち、日本でも、明らかに外国人と見える人に、道を尋ねる日が来るんだろうか。

メルボルンは、もう一度、ゆっくり来たいと思うところだった。
広々して、ゆ~ったりしていた。
が、もう行くことはないんだろうな。。。

高齢者が詐欺にひっかかる一つの理由2022/06/05 18:55

もちろん、ITに疎いとか、判断力が衰えている、とか、
そういうことも要素として大いにあるだろう。

が、大きな問題は、
高齢者が孤独であることなのだろうと思っている

母は、まだマンションに引っ越してくる前、
屋根を直すのに300万円かかったと言っていた。
母屋の屋根ではなく、離れの屋根でもなく、
その間をつないでいる廊下の屋根だけの修繕費用だ。
表通りからも見えにくいそこに業者が入ったらしい。
相場がわからないので、その時は、へえと思って聞いていただけだが、
後から、他の人の屋根の修理の費用を聞いて、
ぼったくられたんだなと思った。
もちろん、大邸宅なんかではない。
浴室とトイレ、簡単なキッチンが並んでいる部分の屋根のさらに一部らしい。
流石に母も、「高すぎる」と思っていたのだろう。
しかし、支払ったのだ。

業者は愛想よくやって来る。
一生懸命、相手になって話してくれるのは、
もはや業者だけだったりする。
子どもも孫も遠方で、近所の人たちも気を使いながらの付き合いだ。
母にすれば、懇意な人がいない中で、
愛想よく、腰低く、一生懸命相手をしてくれる人を、
一時の心のよりどころにしたのだと思う。

なぜ、そう想像するかと言えば、この私もそうだからだ。
誰も私に用はない。
用事はたまにあるから、人との交流がゼロではないが、
しかし、一生懸命、私の相手をしてくれる人はいない。
が、営業の人は、ビジネスが完了するまでは、一生懸命、相手をしてくれる。
ふっと、その相手に癒しを求めそうになることがある。
もし、使えるお金があれば、使うのかもしれない。
癒されるのなら、この孤独がつかの間、薄れるのなら、
そのためのお金は惜しくない、と思える瞬間があるのかもしれない。

お金を差し出すことで、愛想のよい営業パーソンは、さらに喜んでくれる。
喜ばれるなら、
お金など惜しくない、、、。

いやいや、出せるお金のある人は、の話だけれど。
この精神状態にある人は、出せる程度のお金なら、簡単にひっかかる。
ひっかかるのでさえ、ないと思う。
差し出しているのだ。
つかの間、孤独を忘れるために。

相手に喜んでもらいたいから、邪魔をされたら、怒るだろう。
それは「詐欺」で、相手は自分に一片の情もない、という事実に、
ハッと気づけば戻って来られるが、
騙されたとしても、喜んでもらえたなら、と自分に納得させるかもしれない。
「詐欺」かもしれないけれど、ひっかかりたいことだってあるような気がする。
関わってくれるのだもの、自分に。
誰もが見捨てた自分に目を向けてくれたのだもの。

そういう境涯にいない人にはわからない心境だろうが、
誰かが関わってくれるのを、高齢者は待っているのだ。

これは、家族がもっと関わってやれよ、という話ではない。
そこに解決策を持っていくのは、問題のすり替えだ。
大家族の時代から、核家族の時代へ、
そして独居の時代へ、
社会の風景は変わっていく。
現役を退いて、だが独居が可能な高齢者が孤独に陥らない交流の手段が必要になっている。
今の居住形態はドアを閉めれば完全に一人ぼっちの世界になる。

昔のように、縁側から近所の人が入ってくる時代ではない。
いや、それが煩わしいから、都会のマンションが好まれたのだ。
しかし、鉄の扉で外部から遮断される意味を、社会は考えてこなかった。
思いのほか、高齢者は長生きをするし、
問題は山積している。

まあ、私に知恵はないけどね。