ポスト・トゥルース2017/06/28 22:41

もう10年以上も前になるが、
私が遭遇した事件の時には、まだ標題の言葉はなかった。
が、まさにポスト・トゥルースの事件であった。

当時、ある「陰謀」が強く言われていたが、
その「陰謀」の場面を見た、という人は誰もいなかった。
「陰謀」があったに違いない、という推測だけが独り歩きしていた。
「陰謀」によって、ポジションを奪われた、という人の主張であった。
が、その後、その人に最も近いポジションに就いた私は、
どこをどう見ても、「陰謀」の痕跡を見つけられなかった。
私の目には、「陰謀」などなかった。
が、パワーゲームがあり、
様々な人たちによるそれぞれの思惑に基づいた言動はあった。
早い話が、「陰謀」を共有するほど意思統一のできた組織ではなく、
それぞれが、自分の利益を第一義に、勝手にいろいろ言ったりやったりしていた、という感じだ。

私の目から見れば、「真相」は実にくだらない。
各々が自分の感情で、パワーゲームをやっていた、のだ。
その結果、ある人がポジションを追われてしまった。
ポジションを追われたのは気の毒だが、
もう少し、冷静に事態を見る目は必要だったと思う。
自分の利益に寄与しない人は、みな、悪い人に見えていたようなのだが、
誰もが自分自身の利益に沿って動いていただけなのだ。
くだらな過ぎて、ミステリーにもならない。

しかし、その「陰謀」疑惑は、裁判にまでなった。
私も迷惑をこうむった。
自分の利益に目がくらんで、「陰謀」だと思い込んだ人の妄想に、
皆、振り回された。
しかし、その「陰謀」説は、まだ信じる人は信じているのだろう。

人は、見たいものだけを見、知りたいことだけを知り、信じたいことを信じるのだ、と、この事件に振り回されて、つくづく思った。

ポスト・トゥルースの時代だと言う。
それなら、私はもっと以前に巻き込まれて、エライ目にあった。
だから、とてもよくわかる。
ほんとうに、そういう時代だ。
否、昔からそうだったものに、呼び名が与えられたのかもしれない。
たぶん、そうだろう。

「不思議な力」というやつ2016/09/22 10:21

からだの不調が重症化すると、
藁にもすがる溺れる人になってしまう。

友人が薦めてくれたフルーツジュース。
健康食品として、いろいろな病気に効能がある、という触れ込みだ。
説明を聞き、店も訪れ、
とりあえず、安くない瓶を一本買った。
7千円ほどする。
一か月4本くらい消費するとよいらしいが、た、高い!

友人のことも信頼しているし、友人が紹介してくれた、それを普及する人も、誠実な感じでいい。
騙して儲けようなんて、絶対にしていないと思う。

でも、説明に
「これには、不思議な力があって、、、」というような言葉が入ると、
もう、私の心は冷めていく。
その、ミラクルを強調するような表現、やめてほしい。

きっと、悪くないものだろう。
友人はそれで、痛みをあまり感じなくなったと、言っている。
だから、効果があるという実感を抱いている。
だから、私の痛みにも効く、と。
私の場合、元の病気が問題だから、痛みに鈍いからだを作ることが良いことかどうか、わからない。
薬の対症療法で十分です、という感じ。

やっぱり、もうちょっと、こちらの理解に届く説明がほしいなぁ。
「不思議」とか、「ミラクル」とか、そういう表現って、
近代科学に侵された私の頭が跳ね返すんだわ。

理解の枠組みを組み替えるにしても、
組み替えるきっかけをもう少しほしい感じ。
なんか、鶴が傷を癒しているのを見て、お坊さんが温泉を開いた、というようなローカルな温泉町の起源話を思い出す。
効果は本当にあるのだろうけれど、
即効性はなさそう。
時間と闘っている現代人には不向きなもののような気がするんだよねぇ。

結局、治らない2016/09/16 10:11

手術は、先送りした。

通常の水腎症の手術より、
リスクが高いそうだ。
9年前の大腸がんの手術の影響で起こった尿管狭窄なので、
周辺臓器にもトラブルがあるらしく、
単純にはいかないもののようだ。
しかも、手術をしても、再発の可能性も大きい、とのこと。
そのうえ、あの思い出すもおそろしい激痛の原因が解明されないまま。

で、今のままだと、水腎症は確実に進んでいるので、
腎臓は死んでいくのだが、
その間も、感染症などが起こる可能性も高い。

どうせえっちゅうねん! という感じ。
「あなたの腎臓だから、あなたが判断してください」と言われた。
どっちにころんでも良くないとき、
リスクが少しでも少ない方を選びたいけど、
それすら、医師も判断がつかないとか、、、。
ということは、医療的判断ではなく、
私の人生観、身体への直観、ライフスタイルで選ぶしかない。

ということで、今しばらく、このままでいくことにした。
つまり、治らない選択をしたわけ。

手術をしても、治るかどうかわからない、
リスクを呼び起こす可能性が高い、ということなら、
現状維持を選ぶしかない。
で、何かあれば、病院に駆け込むしか、、、。

痛み止めをいっぱいもらって、今しばらくそれで生きていく。

また、仕事のオファーが来た。
単発なので、受けることにした。面白そうだし。

一定期間集中して執筆にかからねばならない仕事は断ったが、
監修者としてかかわることになった。

痛み止めでやり過ごしながら、仕事はしよう。
私の活力の素だから。

それでも、ふと、泣きたくなる時がある。
からだもしゃんとしないし、孤独だし、
先行き不安だし、、、。
でも、泣いても仕方がないので、とりあえずがんばる!

最近、感じること2016/09/15 08:59

役所、病院、、、といった機関で説明をしてもらう機会がある。

気のせいと言われれば、そうかもしれない。

が、相手が壮年期の男性の場合、共通して感じるものがある。
それは、説明をはしょろうとする傾向。

先日は、健康保険料の支払い方法のわけのわからない変更があったので、役所に問い合わせの電話をした。
最初は、悪い感じの対応ではなかったのだが、
なんだか、テキトーな説明をするので、
「えっと、そこがわからないんですが、、、」と、さらに質問をすると、
だんだんめんどくさそうになってきて、
「何か、これで問題ありますぅ?」と聞き返してきた。
「少ない収入でやりくりして暮らしているのですから、保険料についても、ちゃんとわかっておきたいんです」と答えた。
「こちらでは、それ以上、わかりませんねぇ」と、話を終わらせようとするので、
「では、どちらにお尋ねしたら教えていただけますか?」ときいたら、
急に、「それ以上、わかりません」と言っていたデータを出してきた。
わかるんじゃないの!

結局、違う人になって、最終、結構ていねいに説明をしてくれた。
「最初のあの人は、邪魔くさそうだったからいやです」と、私も言ったんだけど。
おまけに、話がほぼ終わりになったとき、急に電話が切れた。
まぁ、ほとんど話は終わったからいいや、向こうも忙しいんだろうと思っていたら、すぐに電話が鳴って、
「すみません、子機のバッテリーがなくなって、切れてしまいました」と、今度は丁寧な謝りの電話。
うるさいばあさんだから、ちゃんと言わねばまたうるさい、と思ったのかな?
(笑)
説明さえ聞けば、別にそれくらいで文句言わないんだけど。

テキトーな説明で済ませようとする人にちょくちょく出会う感じがある。
それも、男性に多いように思う。
うがち過ぎた見方だと思う人もいるかもしれないが、
どうも、そこに女性(特に高齢者)を侮っている感じを抱いてしまう。
現職でもくやしい思いをしている女性は多いと思うけれども、
「おばあさん」ともなると、さらに適当にあしらう感じがあるように思う。
私の母の世代の女性は、適当にあしらわれることに慣れていて、
それに合わせたコミュニケーション術を心得ていた。
「難しいことは、息子に言ってください」なんて平気で言い、実は息子を操縦していたりするしたたかな「おばあさん」もたくさんいただろう。
私の母も
「難しいことはわかりませんねん」と言って、かわいいおばあちゃんになりきっていたが、
ちゃんと私を使って、うまく自分の思う通りに運んでいた。

が、今のおばあさんは、そうはいかない。
操縦する相手もいないし、そもそもかげで操縦するなんてスキルもない。
ダイレクトに自分の疑問を相手に提示するしかない。
きちんと説明してほしい。それだけ。

テキトーに説明を済ませようとする男性が多いと思うのは、
コミュニケーション能力が劣っている男性が多いせいか?
もちろん、あくまで傾向だから、個人によるのだろうけど。

それとも、男は高齢女性を侮っているのかな、やっぱり。
若い女性だと、張り切って説明するのだろうか。
そう言えば、若い頃、「そんなこと聞いてません」と思うようなことまで、
延々と教えたがるおじさんとかいたなぁ。
うーん、使えないおっさんが多すぎる。
(あ、どんどん口が悪くなってるわ。)

高齢女性に対する思い込み、というものはあるのかもしれない。
ちょっと前の世代のおばあさんのイメージが、まだ強いのかもしれない。
ちょっと前の世代のおばあさんが愚かだったのではなく、
上に書いたように、その時代の価値観に沿って、したたかだっただけなのだが。

パラリンピック開会式2016/09/08 10:13

 テレビでパラリンピック開会式をやっている。
以前、Eテレで「切断ヴィーナス」を紹介した番組を見て、魅せられてしまったので、オリンピックは全然観ないけど、こちらは観る。

 先ほど、両足義足の美女が軽やかに華麗にダンスをしていた。
テクノロジーと人の身体との美しい融合だ。
Eテレに登場した若い女性たちも、義足姿が美しく、魅了された。

 少し前、東京の森美術館で行われた会田誠展の、「犬」と題された四肢切断の少女を描いた作品は、「凌辱」としか感じられない悪趣味の作品だと思った。
痛めつけられて自由を奪われた少女のいかにもヴァルネラブルな姿だ。

 が、「切断ヴィーナス」は、女性たちが自己主張し、不可能を可能にし、自由を獲得していく、力あふれる美しさだ。
病気や事故などによって片脚や両脚の切断を余儀なくされた女性たちが、義肢によって新しい能力を獲得し、実に明るく、様々な可能性に挑戦していく姿は、人を魅了し、ため息すらつかせる。

↓ 義肢の女性たちの写真集

 この国の男性は(あれ? 偏見かな?)、意志の強い、自己主張する女性を苦手な人が多いようで、ヴァルネラブルな風情の女性を好む傾向があるように思う。
「守ってあげたくなる」ような女性を、つまり自分の支配下におさまる女性を好むのだろうと思う。
(そうでない男性もいると思います、もちろん! 多くはないように思うけど。)

 ブログで、男性に「モテる」ということを自慢している女性がいたけれども、もちろん、「モテる」ことが幸せにつながっているのなら、それはそれでいいのだけど、「モテない」ことに不幸を感じている女性がいたら、あんまり良いことではない。
この社会のジェンダー規範のお約束に乗っかると、モテるのは当たり前なのだから、自分の「魅力」をそれで測ったり、自己評価につなげるのは無意味だ。
ジェンダー規範をいかに相対化できるか、の話なのだけど。

 パラリンピックの開会式で、ブラジルのある選手が、子ども時代いじめにあっていたけれども、「絶対に幸せになってやる」と誓った、というエピソードが紹介されていた。
不覚にも涙が流れた。

自分に置き換えるなら、
丈夫な体にはなれないかもしれないけど、幸せにはなれる、ということだ。