なんか、自己嫌悪を誘うブログだな、、、2023/08/18 22:14

読み返していると、
なんか、むなしくて悲しくなるブログだな。

結局、燃焼できなかった恨みが残り、
生き切った気持ちを持てなかったうじうじした悔いが残っているから。

父の遺影や位牌は、普通ゴミに捨てたし、
仏壇は、「魂を抜く」だの何だのと人は言うが、
魂なんてもともと入っていないのだから、
処理業者に任せたら、パッカー車で潰して持って行ってくれた。

その話をすると、多くの人はひるむ。

何か、「先祖」だの「仏様」だのに、畏怖の念を感じるもののようだ。

母の遺影と位牌は、押し入れにしまい込んだ。
両親との思い出は良いことが少ないので、絆を感じない。
母は好きだったが、私には冷たい人だった。

夫の遺影と位牌は息子の家にあり、(埃だらけ)、
私の家には夫のスナップ写真や遺灰の一部と、
(毎朝、好きだったコーヒーは入れる)、
あとは猫たちの位牌と写真を飾り、遺灰は大事にしまっている。

先日、夫と仲良くしてくれていた女友だちが亡くなった知らせを受けた。
ショックで、しばらく動けなかった。
それから涙がぼろぼろ出て止まらなくなった。
こんなに泣いたのは久しぶりだ。
その人は知らないだろうけど、その人がいてくれることが私には心の支えだったのだ。
また、いつか会って、夫の思い出話をしたいと思っていた。
転勤して違う学校になっても、夫は、その人がいる学校に赴いて、
話をしていたらしい。
夫もその人を頼りにしていたのだろう。

夫のお葬式で、棺に花を入れた時、
花を入れたあと、その人が娘さんと抱き合って泣いていた姿を、
昨日のことのように覚えている。
こんなにも悲しんでくれて、こんなにも思ってくれている人がいる、ということが、どんなに私を救ったかわからない。
私の足りない分を、その人が代わりに支えてくれていたと思った。
いや、きっとそれ以上に、大事に思ってくれていたのだろうと、願いをこめて思っている。
その人には、ずっと心の中で手を合わせて感謝してきた。
夫が亡くなったすぐ後には、ネットに夫のお墓を作ってくれた。
ほんとに、ほんとに、有難い人だった。

訃報を知らせてくれたのは、その時、まだ中学生だった娘さんだった。
お母さんの年賀状を整理していて、私の名前が出て来たので、知らせてくれたらしい。
娘さんが、教えてくれた。
その人が亡くなる前、
「今年は〇〇先生の20回忌やねぇ」と言っていたそうだ。
20回忌だということを数えて覚えていてくれたことに、また、涙が出る。

今日、所用で出かけたバスに乗っていて、以前、一度だけ、偶然、その人にバスの中で出会ったときのことがよみがえった。
私は忘れていたのだが、その人に声をかけられたのだ。
「〇〇先生の奥さんですよね」と言われて、そして、名乗られて、
わかった。
少しの間だけお話をした。
もっと時間が欲しかったけど、私はすぐに下車しなければならなかった。
今度はちゃんと会いたいと思った。
そして、いつかそれがかなう、と思い込んでいた。
今日、バスに乗っていて、もうその人はこの世にいないのだと思うと、えもいわれぬ悲しみがこみ上げた。
もう、会えないのだと、、、。

私はいつもそうなのだ。
終わりにしたくない、という気持ちが働いて、
会いに行こうとしない。
こわいのだ、もう、終わりになるような気がして、、、。

しかし、終わってしまった。
その人にはもう会えない。
いくら感謝してもしきれない人だった、、、。
泣くしかない。

情けないなぁ、
自分の人生も全うできず、人とのつながりもうまく作れず、
なんだか、情けないなぁ、、、。

アマゾンで映画2023/08/22 06:25

昨日は、アマゾンで映画を2本。
この暑熱の中、出かけていく方がヤバいだろう、と、
不活発な自分を怠け者と考えないことにして開き直って、
映画を観ることにした。

一本目は、話題作が無料になっていたので。

『シーセッド  その名を暴け』
タイトルは、
「he said, she said」という、異なる言い分が発生している状態を表している言いまわしから取られている。
映画プロデューサー、ハーヴィー・ワインスタインの長年にわたる性暴力を最初に告発した二人の女性記者の奮闘を描いている。
最後は泣けてしまう。
強大な権力を持った男とその権力下にいる男たちが築いている堅牢な壁は、突き崩すのが困難だ。
女性を性的ななぐさみものにすることに何の痛痒も感じない男。
否、自分の欲望を満たすために、女性は存在する、としか思っていないのだろうと、あらためてわかる描きようだ。

この世には、悪意がなくても、男性に対して払う敬意を女性に対しては払うことのできないタイプの人間がたくさんいる。
女性にもいる。特に日本の場合はそうだ。
日本は世界でも有名な女性蔑視の国だから、
この映画で展開される男女の会話は成り立たないだろう。
ワインスタインの邪悪さが際立つのはアメリカだからであって、
日本ならワインスタインだらけで、
おそらくメディア仲間にもミニワインスタインがたくさんいて、
主人公の記者たちは、まず自分の職場で、家庭で、闘わないといけなかったかもしれない。

映画自体は、性暴力を続けてきた権力男と、
それを告発しようとするメディアとの対比なのでわかりやすい構図だが、
様々な場面で、私自身のいくつかの過去の悔しいシーンが呼び起こされた。

家のリビングで、一人で映画を観るって、ヤバいことなのかもしれないな。

もう一本は、是枝監督の『ベイビー・ブローカー』。
悪くない。むしろ、面白い映画だ。
ただ、ずっと気になっていたのは、俳優たちの赤ちゃんの扱い方。
まだ、首が座っていない月齢でその抱き方はまずいだろう、とか、
はらはらし通しだった。
赤ちゃんにミルクを飲ませた後は、縦に抱いてゲップをさせるのだが、
その時、母親役の俳優が赤ちゃんの背中をポンポンと叩く。
「そんな、音がするほど、叩くな!」と思わず、叫んでしまう。

まだ首が座り切らないように見える赤ちゃんを、
「高い高い」するなんて、もってのほかだ。
赤ちゃんの世話をした経験者が、製作陣にいなかったのか、、、。
それとも、韓国では、あの程度の雑な扱いは当たりまえなのか。

筋書きはそれなりに面白いし、嫌な話ではないけれど、
赤ちゃんが気になってどうも集中できなかった。

最近、時々、若いカップルが、
まだ生まれて1か月も経っていないような極小の赤ちゃんを
人中に連れて来ているのを見かける。
どっちか、赤ちゃんと一緒に留守番せえ、とか、
見てくれるおじいちゃんおばあちゃんとかがいなかったのか、と
気になって仕方がない。
私が子どもを育てていたのは、半世紀前。
確かに、育児観は変化しているのだろう。
一定の月齢になって、丈夫になったと確信できるようになるまで、腫れ物にさわるように、大事に大事にしていた頃とは違うのかもしれない。

時代は代わる。
孫がいたら、昔の育児法を押し付けるうるさいばあさんになっていたのかな、、、。

「暗黙の了解」を共有できない2023/08/26 19:20

また、一つ気づいたこと。

今頃かい! と突っ込みを入れられそうなこと。

つまり、私はハイコンテクストの文化では落ちこぼれやすいのだ。
いわゆる「暗黙の了解」というものを共有できないのだ、ということ。

子どもの頃から、親によく怒られてきた。
親は、曖昧にしておきたいことを持ち、「そういうもの」だというように子どもが諦めることを想定している。
しかし、私は、諦めない。
ん? 今のは理屈に合わないのではないか?
どうも納得がいかない、、、というようなものを、
私はとことんわかろうとする。

わかりたいだけだ。
わかりにくいから、教えてほしいだけだ。

が、それは親がごまかしておきたいこと、
なかったことにしておきたいこと、
それ以上、ごちゃごちゃ聞くな、と思っていることだったりする。
正論を持っていないから、問われたくないのだ。
なのに、そこに私は食い下がる。

親が、自分の方が正しい、という態度をとればとるほど、
どのように親が正しいのかを知りたいのだ。
ただ、わかりたいだけだ。
そこには、親を追い詰めたい、とか、
困らせてやりたい、とか
そんな意図は微塵もない。
わからないから、教えてほしいだけだ。

が、親は説明できない(なぜなら、ごまかしているだけだから)ので、
私が食い下がると、怒りだす。
それは理屈に合わない、と私がなおも疑問を解こうとすると、
最後は、
「親は何を言ってもいいんだ」と、
また理不尽なことを言い出す。
私には言っていけないことはたくさんあって、
なぜ、「親」なら何を言ってもいいのか、そこもわからない。
だから、また、疑問が生じる。

私を言葉で納得させられない親は、
結局、怒り、暴言を吐き、暴力で黙らせようとしたのだ。

多くの子どもは、親の理不尽を黙ってやり過ごすのか?
親の理不尽さを見逃すのか。

子どもの頃、親との言い争いが続くと、
親が、「もっと大人になりなさい」と私に言い、
「はあ? 大人はそっちでしょ!」と呆れて言い返したことがある。
「親の気持ちをもっとわかるべきだ」と言うので、
「子どもだった経験があるのはそっちでしょう? 私は親になったことがないから、親の気持ちなんかわからない」と、子どもの私はまた言い返した。

私の親が間違っていたのは、
「親」は子どもに負けるわけにはいかない、という誤った考え方をしていたことだろう。
親の「威厳」を保つためには、いつも親の方が正しくないといけないと、思い込んでいた昭和の親だ。
正しくなくても、親の方が正しいことにしておきたい、と考える親は、
追及されれば、力でねじ伏せるしかなくなる。

私の不幸の始まりだ。

なんだ、今頃、わかったのか、と、
ハイコンテクスト文化にうまく適応してきた人は、呆れるかもしれない。
それが私の生きにくさだったのだろう。