思うに、、、2017/03/15 09:25

また、義姉のことであるが、
昨日の朝は、
家に行った私に、
「どこに行くの? 誰が言うてくれたん? 鉛筆が一本もないねん」と、その時頭に浮かぶことを全部話している感じだ。

そして、何度か、作業(顔を洗おうとしていた)の手を止めて、
熱心に聞いてきたのは、
「ねえちゃんに何かあったん?」とか、
「ねえちゃん、行方不明やのん?」とか。

どこから来た妄想か、、、。
「え? そんなことは聞いてないよ」と強く否定。

そして、
「私、M吉さんに、姉のこと、何て言ってた?」と聞きたがる。
「親切にしてくれるけど、神経質なところがあると言ってた」と答えると、
イラッとして「そのことと違う!」と言う。
あわてて、また何を聞いたか思い出し作業をすると、
まぁ、聞いたことは3話くらいの繰り返しなので、
「あぁ、何かを断ったら、お姉さんが怒ってる、とか言ってた」と言うと、
「あ、それ! それやねん。何を断ったって言ってた?」
その話を聞きたかったのか、とわかるが、それ以上の情報は持っていない。
「内容までは聞いてない」と答えると、そこは納得してくれる。

昨日の朝、家に行って、彼女の身支度を1時間ほど待っている間に、
S姉のことが繰り返し語られた。
それも、ネガティブな記憶として。

思うに、
出来事の記憶は消えるが、
感情は残る、ということなのか。
それも、人物と結びついて残っていく感じがする。
義姉は、S姉についてのいやな記憶を私も共有していてほしいのだろう。
だから、デイサービスにいるときも、
「M吉さんも姉が気がきつくて、ひどいことになるのを知ってるよね」
「見たことあるよね」と同意を求めてくる。
横にいたMさんが、
「M吉さん、お返事に困っておられますよ」と笑う。
義姉は、S姉に対するネガティブな感情を共有してもらいたい、あるいは賛同してもらいたいのだろう。
そうすることによって、過去のいやな思いを慰撫されたいのかもしれない。

だから、繰り返し、S姉のことを語る。

S姉は昔は、癇癪を起すタイプの人だったのかもしれない。
確かに、私も結婚した頃、それには数回遭遇している。
結局、夫の父が亡くなるまで、S姉のことは避けていた。
彼女は早くして結婚した私を忌み嫌っていたのかと思っていたが、
そうではなく、誰かをターゲットにするというより、
感情の制御が難しかったのだと、今になってわかる。
私たちの結婚式にも参列しなかったので、
S姉が学生結婚する私たちに腹を立てて欠席したのだと思っていたが、
先日、ふとS姉が言ったことから、
彼女は、結婚式のことを後から知った、ということがわかった。
私たちには、夫の親から、
「長女は風邪をひいて出席できなくなった」と言って来ていた。
しかし、それまでの言動で、本人の意思で来ないのだと思っていた。
が、本人曰く、知らされていなかったのだ、とのこと。
数年後の彼女の結婚式には、私が出席を断られた。

雪解けは、夫の父が亡くなった後、
離婚してシングルマザーとなっていた彼女の幼い娘二人を預かり、
私の子どもと一緒に、遊園地で遊ばせたことがあった。
子どもたちは、大はしゃぎで遊んでいた。
帰りが遅くなったので、公衆電話から「今から帰る」と子どもに電話をさせたら、
私に電話を代わってほしい、とのことで、
その時、普通に常識ある大人の人の声で、丁寧に礼を言われた。

私の方は、もとより、彼女を嫌う理由は特にない。
ただ、嫌われていると思って恐れていただけなので、
相手が普通なら、私も普通に接することはできる。

それ以来、友好な関係が続いている。

が、今、義姉は、自分の姉を宿敵のように意識している。
子ども時代からの軋轢が尾を引き続けている。
こんなにも、人は幼いころのことを引きずるものなのか。
人生の随所で、人は自分を仕切り直すと思うのだが、
こんなにも連続して、幼いころの記憶を温存し続けているのは、不思議だ。
断層がなく、幼い自分がそのまま現在の自分に直結しているのは、
結婚や出産や育児という経験がなく、
自分の人生が連続している人の特徴なのか。

子どもを持つことによって、他人に自分の人生を明け渡した実感があったが、
だから、自分という者の存立基盤が組み変わる感じがあったが、
そういう経験をしていないせいか、
義姉の感じが、ただただ幼く見えてしかたがない。

が、もちろん、出産や育児の経験があるからといってもそうでない人もいるかもしれない。
私の母も、幼女の風情を持ち続けた人だ。

何が違うのだろう?
よーわからんが、幼い感じのする女性が私のまわりには、
結構いる。
そして、みな、愛されキャラになっている。
憎めない。
ある意味、うらやましい人たちだ。

怪しい人2017/03/17 11:25

義姉をサポートする男性の存在に、
地域包括支援センターの人も、S姉も、すごい警戒心を持っている。

地域包括支援センター職員のNさんは、
銀行に駆けつけて、義姉と一緒にいるその男性と名刺交換をしたのだが、
昨日はNさん宛に、その男性からメールが入っていた。

義姉について、気になることがあると、書かれていて、
その記述には、何の不審点もないように思う。

私などはそれを読んで、
一層、ただの親切な友人だという印象を強めるのだが、
私以外の人は、警戒心を強める。

古いつきあいで、余力があって、困っている友人をみたら、
サポートしようとするのは、何の不思議もないと思う。
私が甘いのだろうか?

その疑いの目で見れば、
私も相当怪しくないか?
一円の得にもならないどころか、
交通費も持ち出しで、電話代など恐ろしい金額になっているかもしれない。
しかも、亡夫の姉、という関係だけで、
今、誰よりも義姉によく付き合って、時間とエネルギーを割いている。
何一つ、得なことはないよ。
どこにいても、義姉が主人公だし、
S姉がいる会合では、S姉が中心に話が進むように仕向けている。
完全に私は日陰にいるし、全然、報われない。

じゃあ、なぜ、サポートをするか?
今、自分にできることがあって、そのことが義姉に役立つとわかっているなら、
それをしないでいることは、かえって、心苦しいからだ。
自分が差し出した手によって歩くことができる人がいるのに、
そして手を差し出す余力が自分にあるのに、
手を差し出さない、なんて、できない。
なぜ? と問われればそれだけだ。

自分を投影しているだけかもしれないが、
おそらく、その男性もそういうタイプの人だと思ってしまう。
実際、そういうタイプの人は結構いるものだと、
今までの人生で出会った人々を思い出すと、そう思える。

終の棲家2017/03/17 15:52

昨日、S姉が、後見人の会合の後、
M叔母(夫の叔母)を訪ねると言うので、一緒に行くことにした。
お正月に会えなかったので、ご挨拶に。

昨年の秋に、住まいを息子夫婦に譲り、
新規オープンしたケアハウス(と呼ぶのだろうか?)に夫婦で入居した。
叔母は私の母と同年生まれで、叔父はもう91歳。
二人ともまだ元気で、基本的に機嫌のよい人たちだ。

このケアハウスは、とても快適そう。
「住み心地は?」と問えば、
叔父「まぁ、いい方じゃないかなぁ」と満足している様子。
叔母「至れり尽くせりで、ボケそうなくらい、住み心地は最高」とのこと。

たくさんおられる若いスタッフは、入居者に対して礼儀正しく、丁寧で、
ホテルにいるような感じが漂う。
各階にサロン風のスペースがあって、贅沢に空間が配置されている。
叔母たちの居室は、一番大きいようで、40㎡以上ある。
もちろん、以前の住まいとは比べるべくもないが。
下は、ケアハウスのカタログの写真だが、
叔母たちの部屋は前の住まいから持ってきたアンティークな高級調度品が置かれていて、もっとゴージャス。


三食つくってもらって、掃除もしてもらって、洗濯もしてもらって、
おけいこ事(細かくスケジュールがあって退屈しないとのこと)ばかりしていて、
ほんとにボケてきた、と叔母は言っていた。
確かに、私のことを最後までわかっていなかったかも、、、。

「死ぬまでここにいることになります」と、お見送りをしてくれた叔母が言っていた。
結構な終の棲家だ。
リッチな人の人生のしまい方を見た感じ。

私の終の棲家は、この猫の毛だらけの散らかった3LDKかと思ったら、
せめて片づけ位しましょうと、廊下に放置していた段ボール箱だけ片づけた。
徐々にきれいにしよう。

風邪~2017/03/23 18:46

また発熱。

昨日は朝から全然起き上がれなかった。
で、ほとんど寝ていたのだが、
市販の風邪薬を飲んで、
とにかく、紙ごみを捨てた。
30分以上かかったけど、とにかく捨てなければ、、、
なんだか、執念みたいになって、
たまってしまった段ボールや雑誌などを何度もコミ置き場に往復して、
捨てた。

やれやれ~とホッとして、
床に就いた。

でも、夜じゅうも熱が下がらない。
やはりまた、腎盂腎炎だろうか、、、
「今度そんなことになったら、背中から針を刺して、、、」
と、医者におどかされていた。

怖くなって、また起き出して、
(時間はまだ早かったのだが)
腎瘻を調べたりしていた。
こわいけど、病院に行かねば、、、。
で、今日も出かけるには辛すぎるのだが、
腎盂腎炎だったらほっとけないので、とにかくがんばって病院へ。

尋常ではない寒気がするので、真冬並みに着込んで、
貼るカイロを貼って、、、。
病院に就いて、しばらく待合室にいたら、
今度は暑くて暑くて、カイロをはがした。

で、お見立ては、
血液検査、尿検査で、
「たぶん、風邪でしょう」と、風邪薬と二次感染を避けるための抗生薬を出してくれた。
「変なものが出なくてよかったね」とお医者さん。

ホントよかったです!
少し食欲が出たので、晩御飯はちゃんと食べた。

引きこもっているので思い出すこと2017/03/24 11:29

体調がイマイチ良くない。
薬が効いてくれて、少し元気になりたいのだが、、、。

お腹が少し痛くて、
食事をどうしようかと思っていたが、
でもやっぱり食べたい気持ちもあるので朝食とも昼食ともつかない時間に食事をした。
食べたら、胃腸の不調がなくなった。
ん? 何?
時々、食べたら解消される胃腸の不調の自覚症状。
これは何?

引きこもっているので、ネット配信の映画でも観ようかと思っていたが、
テレビの国会中継の方が面白いので、ついそっちを観ていた。

こういうのを観ると、昔の仕事の悪夢のような出来事がどうしても思い出される。
組織のトップであるということは、たとえ自分が知らないところで行われたことであっても、指揮命令系統上、責任は自分にある、ということだ。
組織上はそういうことになる。
しかし、部下が自分の保身のために動き、結果的に上司を陥れることもある。
古参の中間管理職あたりが、自分の権限を使って、結果的に組織を危機に陥れることもあるだろう。
トップといえども、自分の関知しないところで行われたことに対して、道義的責任を感じることは無理だ。

私の場合も、ヘッドハンティングで途中で就いてしまったその職で、
大変なやられ方をした。
私を信じて支えてくれる人もいたので、命拾いをしたと思うが、
そして、その恩は忘れないが、
あの過酷な職場を今も苦々しく思い出す。

もちろん、今、テレビで取沙汰されるような大組織ではないが、
でも、公的機関だったので、観ているだけで悔しさがよみがえるのだ。
一番くやしいのは、私を苦境に追い込んだ張本人が、
たぶんまったく自分の責任を感じていないだろうこと。

組織は、たとえ末端のメンバーであっても、その各々の責任をきちんと問われるような形態であるべきだろう。
そうでないと、誰が何をしたのか、永久にわからない。
名前の出ているトップだけが自分の知らないことで問い詰められ、癌になり、退職して、真相はわからないまま、ということになる。
今回の事件でも、ひょっとしたら、決して名前の出て来ない一職員がカギを握っているかもしれないのだ。
カギを握っている、という自覚もなしに。

なぜ、トップが知らないで、動きがつくれるのか?
実はそういうことが多いのだ。
トップは忙しい。
私なども、いろいろ課題を解決したいと思っていたが、
なにしろ忙しくて、そんな時間はない。
次から次に立ち上がる事件の処理で手いっぱいで、
課題案件は、課題案件のまま、持ち越しになっていた。
結局、最後まで積み残し、心を残したままだった。

現在の組織のありようでは、真相を究明できず、
結局、トカゲのしっぽ切りと、頭のすげ替えで終わるだろう。

私は嘗て自分のいた職場で、「誰」が軽率な行為をし、
「誰」が判断を誤り、「誰」が加担したのか、
究明して文章にまとめたいと考えてきた。
私から見れば曰くのある人は、まだ名前も挙がっていないのだから。
もちろん、最終は、登場人物の本名は伏せるとしても。