ストライクゾーン2017/02/02 10:40

昨日の某自治体の職員研修は、事前に悩んだ割には、成果が見えない。

これは、企画の問題だなとあらためてしみじみ思う。
依頼の電話から、すでに担当者は頼りない感じだった。
で、どういうテーマで話をするのか、絞り込みたいと、電話をして聞いたが、イマイチ、要領を得ない。
なんだか、やる気なさそう。
とにかく、自分で最後まで悩んだ挙句、「これでいこう」と決めて、出かけた。
すると、私を待っていた担当者は、電話で話した印象とは違う。
あれ? だるそうな、いかにもやる気なさそうなおっさんかと思っていたのに、シュッとした見かけの、感じの良い、想像より若めの人。
印象が違うなぁと思った。

終わってから、旧知の出先機関のスタッフさんたちと会い、会食。
これは幸せ♪
で、そこでもその担当者の話になって、いかにやる気ないか、というスタッフさんたちの話。
だいたい、スタッフとして雇用されている人たちは、
専門職としてがんばっている人が多い。
一方、一般職の公務員は、興味関心や適性に関係なく、いろんな部署を回る。
やる気のない人はほんとうにやる気がない。
とにかく仕事だから、やってますぅ~、という感じ。
で、専門職のスタッフとの温度差が時にトラブルにまで発展する。

今回の担当者は、それほど好きでない仕事なのかもしれない。
でも、感じよく親切にやっていきたいという気持ちはあるのだろう。
そして、出先機関のスタッフの一人とうまくいっていないらしい。
そのスタッフは、その担当者のことをくそみそに言う。
担当者は、そのスタッフを苦手なのだろう。だから、出先機関に赴いてもそのスタッフとは口をきかないそうだ。

まぁ、その人間関係は難しいなぁとは思いつつ、
私は、自分の講演がどうだったのか、気になってちょっと振り返る。
で、やっぱり、企画の力は大きいと思ったのだ。
最後まで絞り込めなかったのは、企画担当者に問題意識がないからだ。
「職員はこういう人たちだから、このあたりが不足しているので、重点的にこのあたりを話してほしい」というような要望が出てこない。
いくら聞き出そうとしても、出てこない。
この担当者自身が、研修で何をやっていいのかわからなかったようだ。
問題意識がないからだ。

だから、ストライクゾーンがまったくわからない。
はずしまくったかもしれず、暴投したかもしれないぞ(汗)
これほど、成果が見えにくいのもあんまりない。
で、くだんの担当者は、「わかりやすくてよかったです」とにこにこ。
ほんとに、聞いてたのかなぁ?

まぁ、いろいろあるわ、と思うので、後悔しているわけではないが、
あらためて、企画力の大きさを思い知ったのだ。
企画が良いと、こちらは持っているボールを、ど真ん中ストライクで決めることができる。
ターゲットが明瞭だから。
そういう時の仕事はほんとうにやりやすいし、効果も高い感じが残る。
企画力がしっかりしていない人の仕事は、どこを狙ってよいのかわからなくて、へなへなボールになりやすい。
当たり前のことなんだけど、講演者の力量だけではない、とあらためて思ったのだ。

以前、一緒に仕事をしたことのある先生が言った面白いことばがある。
聴衆に向かって、
「この中で三分の一の人が、講演中に眠ったとしたら、それは眠っている人の責任。半分が眠ったら、講演者である私の責任。三分の二の人が眠ったら、私を呼んだ主催者の責任です」と、笑わせていた。
でも、それ、正しい。今になるとわかる。

義姉のこと2017/02/04 09:47

昨日は、義姉を脳検査へ。

もうわかっていたけど、前夜の打ち合わせは完全に忘れ去られ、
朝、また、義姉の家に迎えに行く道すがら、電話で最初から説明して説得。

で、彼女は、納得してくれたが、
8時45分に病院に到着するべき時間を大幅に遅れ、
病院で待っていた地域包括支援センターのスタッフMさん、Nさんも気をもんでいた様子。
タクシーに乗っているとき、電話があって、
「もうすぐに着きます」と答え、
タクシーを降りたら、すぐに検査室に誘導するために、Mさんが玄関口で待っていてくださった。
義姉が検査室に入るとすぐに、Mさん、Nさんが
「それで? 何があったのですか?」と、聞いてくださる。
有難い。
一部始終を話して、こちらもホッとする。
なにしろ、義姉は全部忘れているのだから、
説得してお出かけの支度をしてもらうのに時間を食い、
8時半を少しまわると思う」と言うので、8時35分に電話を入れたら、
「あ、今、コートを着るところ」とのこと。
それから優に10分以上経過してマンションの玄関に現れたのだ。

こちらは、早起きして電車で義姉の家に出向き、朝の寒さの中、マンションの外で待っていたのだが。

彼女は会ったときは、
「ごめんね~、いつもお世話かけて」と、普段通り、とても正常な挨拶をするが、そのあと、
「それで、どこに行くの?」と、また一からの質問。
こちらが説明する間にも、出てくる単語でチョイチョイ思い出すことがあるらしく、
幼稚園時代の思い出などをのんびりと語りだしたりして、
私は彼女に相槌を打ちながら、断続的に説明しながら、
時間を気にし続ける。

で、地域包括支援センターのお二人と合流して、後は、病院のスケジュールに乗る。
待合時間は、義姉の際限のない思い出話に相槌を打ち、再々繰り返される「今日は、ここに何しに来たの?」「私はなんで、ここにいるの?」という質問に説明を繰り返す。
Mさん、Nさんがいらっしゃるときは、相手をしてくださるので助かるが、
義姉と私の二人になると、そうもいかない。

昨日は、病院支払いの時に、義姉の手持ちが足りないとわかり、
恐れていたこと、つまり、私が不足分を払う、ということになった。
○百円くらいのことなら、諦めるが、昨日は1万円。
あ~、これはもう、返ってこないなぁ、とちょっとくさる気分。
が、Mさん、Nさんが
「現金がなかったら、明日から困るでしょう。私たちもいるから、ATMでお金をおろしたらどうですか?」と言ってくださる。
が、病院のATMは故障中。
近くのコンビニを教えてもらってそこでおろそうとするが、今度は
「このカードは使えません」と出た。

義姉は茫然とするばかり。
Mさん、Nさんの指示で、タクシーに乗って銀行に赴き、
そこで、判明したのは、
以前、義姉がカードをなくしたので届けを出し、その時に使用停止になっている、そのままとのこと。
使用停止を解除するためには、一定の書類をそろえて銀行に持参しないといけないが、
そのようなことが、今の義姉にできるわけがない。
「あ~、1万円はやっぱり返ってこない」と、苦いあきらめ感。

義姉に付き添って、カード再使用の手続きを行う時間もエネルギーも私にはない。
また、金銭関係には関与しないと決めている。
そういう立場でもないし、お金を出したら最後、私は泣き寝入りだもん。
義姉が亡くなった場合の遺産相続人は、もう一人の姉と、
代襲相続人の私の子ども二人。
私には回収する当てがない。

と、思ったら、義姉がいろいろさぐる(意味なく二つも持っている)手提げバッグの一つに、長財布が入っている。
「その長財布には、何が入ってるの?」と尋ねると、え? どれ? と、
取り出して中を開けたら、札がびっしり。
千円札も交じっているようだが、とにかく一万円札が現れた。
センターの方は、
「とりあえず、その一万円をM吉さんに返されたら?」と言ってくれたので、返ってきた!

私は非常勤の超安い給料と、超安い年金を足して、なんとか生きているのだ。
お金が返ってこないと思ってがっかりした時と、返ってきた時と、
たぶん、恥ずかしいくらい表情に落差があったと思うが、
仕方ない。
それが私よ!

とにかく支援センターのMさん、Nさんのおかげで、昨日は助かった。
後は、またこのお二人のサポートで、カードの使用可能手続きができそうなので、お金関連はお任せすることにした。
金銭にかかわることはタッチしないと決めてはいるが、
こうまでボケられるとそうもいかず、昨日は、ほんとうに参った。

思わぬ時間を食って、たぶん朝食を食べていないであろう義姉が、
お腹が空いた、と言い出した。
一緒にご飯を食べようと言うので、スタッフの方と別れて、
二人で食堂に。
ほんとうはもう帰りたかったが、諦めて、食事をしてもらう良い機会だと思うことにした。
義姉は今や165センチで、36㎏しかない。
もともと長身痩躯だが、もうぽっきり折れそう。
一緒に食事して、良かったことは、ランチを完食してくれたこと。
エンドレスに繰り返される思い出話に付き合いながら、
仕事の電話がかかって来て、気持ちは半分そちらに。

で、最終、家に帰る段になって、
タクシーで来たものだから、二人とも帰り方がわからない。
タクシーで帰ろうと言ったら、
義姉はほとんど泣かんばかりに、
「ここどこ? なんで私はこんなとこにいるの?」とパニックになりそう。
「あの病院からはこの銀行が一番近いから、ここにって、MさんとNさんに言われたから、タクシーで来たのよ」と説明したら、
「病院って、何? 銀行って、何のこと? その名前の人、聞いたことあるけど、誰?」と、もはや、朝からの記憶は消えている。

タクシーはわけがわからなくなっていやだと言うので、地下鉄を利用して、
義姉が「いつも歩いて帰っている」という梅田に着いた。
そこからは、やっと、勝手のわかっている自分の世界、という感じになって、
急に元気になって、道を指し示しつつ歩く。
「M吉さんは、どこまで帰るの?」と言うから、
「あなたを家まで送って行って、それからJRで帰るよ」と言ったら、
「え? 送ってくれるの? そんなことしてくれるの?」と今更、驚いてくれる。
地下鉄に乗る前、以前住んでいた家の方面に乗ろうとしていたので、
マンションの下まで送り届けないと、こちらが気が気でない。

歩いて彼女のマンション前で別れるとき、
「来週、MさんとNさんがまた電話くれるから」と言ったら、
「え? それ、誰?」とのことで、説明をしたら、
「え? 私、病院に行ったの? そんなん、覚えてないわ」とのこと。
「今日何があったん? 何も覚えてない」と泣きそうになっているので、
しまった、余計なことを言わねばよかった、と思いつつ、朝からの出来事を一から説明。
「家に帰ったら、日記に書いとくわ」と言っていたが、エレベーターに乗ったら、それも忘れるだろう。

私が家に帰り着いたのは6時を回っていた。

奇妙な疲労感だ。

「メメント」2017/02/04 17:59

「メメント」という短期記憶障害の人を描いた映画を観たことがある。

殺人のからむ犯罪映画だから、
後味の良い映画ではない。
映画の流れは過去へさかのぼる作りで、
主人公は、10分経つと記憶がなくなるので、
全部、写真に撮ったり、メモをからだに書き込んで、
出来事の瞬間を記録に残そうとする。

が、その記録は、記憶をなくした人にとって、
文脈を持たないので、
全体像は把握されず、断片でつながっていて、
危うい記録なのだ。

義姉といて、この映画のことを思い出した。
義姉は、
「忘れないように」と、その都度、手近にあった紙にメモを書く。
が、メモを書いたことを忘れてしまうので、
こちらが言うことを、何度もメモに残そうとする。
先のメモと後のメモが同じことを書いたもの、という認識ができない。

で、忘れないようにと、捨てた方が良いものまでとっておくので、
彼女にとって、理解不能の紙切れがどんどんたまるのだ。
病院に行った記録は、領収書と明細書があればわかるから、と、
いくら言っても、
機械で会計処理をするために一時的に渡された番号を書いた紙も大事にしまい込む。
そして、後から見ていたりするが、そこには、役に立つ情報はない。
会計処理ができたときのための番号など、その場限りの情報なのに、
そんな助言は、耳に入らない。

もう一人の姉が、「頑固で困る」と嘆いていたが、
確かに頑固なのだ。
自分の信じたことしかやらない。
記憶力が落ちていることは自覚しているが、
判断力が落ちているとは思っていない。

映画「メメント」で、主人公は周りの人間に利用され、
メモ通りに殺人を犯していく。
一貫したストーリーを持てなくなった精神の悲しみと恐ろしさがひしひしと迫ってくる映画だった。
もちろん、義姉は穏やかでふうわりと生きている人だが、
そんな映画を思い出してしまったのだ。

義姉の心の内2017/02/05 18:18

義姉を見ていると、焦る気持ちはよくわかる気がする。
自分で、自分の今の状況がわからないとなると、パニックになっても不思議はない。

なんとか、自分の今の状況を理解しようとする。
しかし、自分の記憶はもう役に立たない。
その瞬間にわかっていること、その瞬間に覚えていることで、
なんとか一つながりのストーリーにしようとするみたいだ。
が、正確なストーリーにはなりようがない。
必要な情報が欠落しているのだから。

それでも、つじつまは合わせようとする。
しかし、欠落した記憶は、もう甦ってこないのだから、
ほんとうに不安で、無念で、辛いだろう。

これまで、アルツハイマーの人の苦悩は、映画やテレビなどで観る機会があったが、
身近な人がこういう状態になると、その苦悩の深さ、辛さは痛いような感じで伝わってくる。

脳検査では、「軽度」という所見だ。
が、軽度じゃないぞ、このボケぶりは、と思う。
まあ、まだ私の顔も名前もわかるし、
古い記憶は保たれている。
そのあたりで、つじつまを合わせる。

医師に、
「今日の日付は?」などと聞かれると、
「もう仕事を辞めて、日付と関係のない暮らしをしていますから、、、」と答えて、正解はできない。
でも、なんだか、ボケていなくてもありそうな話だ。
曜日なんて、仕事を離れたら、確かに関係なくなりそう。

病院の名前も入らない。
ただ、病院に行くたびに、
「前にも来たことがある」と何度も言う。
病院などはどこも似ているのだが、風景だけを覚えているようだ。
町並みなどもそうだ。
風景が似ていると、「前にも来たことがある」と言う。
このあたりは、幼さを感じる。

もともとそうだったのか、年を取ってからそうなったのか、
「幼さ」を感じることは前からあった。
幼女が、
「わたしねぇ、、、」と、自分の愚にもつかない話を夢中になってするように、彼女も、自分のことばかり、ずっと語っている。
それは、ずいぶん以前からの特徴だ。

まだ義母が生きていたとき、
息子の運転で、息子、私、義母、義姉の4人で
夫のお墓参りに行ったことがある。
車の中で行きも帰りも、義姉が一人、愚にもつかない話をし続けていて、
私が時折相槌を打つ、という状況だったのだが、
あるとき、義母が、
「あんた、よう喋るなぁ。あんた一人、喋ってるやん」と言った。
その瞬間、義姉は黙り込んだ。
あまりにも静かなので、
息子が笑い出し、私は気になって話を向けてみた。
すると、また同じお喋りが始まり、ほんの10分くらい、彼女は黙っていただけだった。
こういう人の内面というのは、私には見当もつかない。

母の時も同じように思ったのだが、
人は生きたように老いるのだな、と思う。

時間のない人とある人2017/02/07 11:23

ずっと昔、千葉敦子さんが、
癌で亡くなる前に、標題のようなことを書いていた。

彼女は文字通り、時間のない人だった。
余命いくばくもないことがわかっている自分の残り時間を、
彼女はやりたいことがたくさんあった。
残された時間と体力で、これだけは書き残したいと思うことがあったのだろう。
しかし、アメリカで闘病している彼女のもとに、
日本から旧知の人が続々とお見舞いに来る、と言う。
彼女が闘病中であるのは、書かれたもので知られているので、
今のうちに「会っておきたい」と思う人がたくさんいたのだろうか。

で、彼女は、
世の中には、時間のない人とある人がいる、と言うのだ。
ある種の嘆きを伴って、、、。

時間のない人は、時間のある人の相手をしている時間がない。
残された自分の貴重な時間を、もう、自分のためだけに使いたいのだ。

先日、義姉と一緒にいて、千葉さんのそのことばを思い出していた。

千葉敦子さんについては、箙田鶴子さんとの往復書簡を読んで、
(もう何十年も昔のこと)
実は未だに心を去らないひっかかりがある。
そのひっかかりはずっとひっかかったままだが、
(いずれ、ちゃんと文章にしよう)
人生の持ち時間についても、消化できないことだった。

義姉のゆっくりした時間の経ち方に付き合っていると、
私自身の寿命を削っている感じがした。
仕事と自分の健康上のことで、結構、手いっぱいだから。

仕事の効率が落ちていて、
今朝、やっと一つ、原稿の仕事を終えて、起きるなり送信した。
2000字程度のものなのだが、半分眠りながら、頭の中で推敲している状態で、朝、起きるとすぐにそれをもとにリライトする。
しかし、今回、言葉が出てこないのに、自分で不安になった。
いつも、ほとばしるように文章は浮かぶのに、そして、これしかない、というような単語が浮かぶのに、今回は、なんだか、頭の中がごちゃごちゃしていた。

ノイズだらけの頭の中で、書いた文章だ。

なんだかなぁ。
こうして、能力が劣化して、やがて、仕事ができなくなるのだなと、半分あきらめ、半分焦る気分。
仕事のオファーが来ると、うれしい気持ちがわくが、
まだボケていない今のうちに言ってよね、という感じ。

義姉の症状は程度の差であって、
事態は同じなのではないかと不安になっている。