引きこもっているので思い出すこと2017/03/24 11:29

体調がイマイチ良くない。
薬が効いてくれて、少し元気になりたいのだが、、、。

お腹が少し痛くて、
食事をどうしようかと思っていたが、
でもやっぱり食べたい気持ちもあるので朝食とも昼食ともつかない時間に食事をした。
食べたら、胃腸の不調がなくなった。
ん? 何?
時々、食べたら解消される胃腸の不調の自覚症状。
これは何?

引きこもっているので、ネット配信の映画でも観ようかと思っていたが、
テレビの国会中継の方が面白いので、ついそっちを観ていた。

こういうのを観ると、昔の仕事の悪夢のような出来事がどうしても思い出される。
組織のトップであるということは、たとえ自分が知らないところで行われたことであっても、指揮命令系統上、責任は自分にある、ということだ。
組織上はそういうことになる。
しかし、部下が自分の保身のために動き、結果的に上司を陥れることもある。
古参の中間管理職あたりが、自分の権限を使って、結果的に組織を危機に陥れることもあるだろう。
トップといえども、自分の関知しないところで行われたことに対して、道義的責任を感じることは無理だ。

私の場合も、ヘッドハンティングで途中で就いてしまったその職で、
大変なやられ方をした。
私を信じて支えてくれる人もいたので、命拾いをしたと思うが、
そして、その恩は忘れないが、
あの過酷な職場を今も苦々しく思い出す。

もちろん、今、テレビで取沙汰されるような大組織ではないが、
でも、公的機関だったので、観ているだけで悔しさがよみがえるのだ。
一番くやしいのは、私を苦境に追い込んだ張本人が、
たぶんまったく自分の責任を感じていないだろうこと。

組織は、たとえ末端のメンバーであっても、その各々の責任をきちんと問われるような形態であるべきだろう。
そうでないと、誰が何をしたのか、永久にわからない。
名前の出ているトップだけが自分の知らないことで問い詰められ、癌になり、退職して、真相はわからないまま、ということになる。
今回の事件でも、ひょっとしたら、決して名前の出て来ない一職員がカギを握っているかもしれないのだ。
カギを握っている、という自覚もなしに。

なぜ、トップが知らないで、動きがつくれるのか?
実はそういうことが多いのだ。
トップは忙しい。
私なども、いろいろ課題を解決したいと思っていたが、
なにしろ忙しくて、そんな時間はない。
次から次に立ち上がる事件の処理で手いっぱいで、
課題案件は、課題案件のまま、持ち越しになっていた。
結局、最後まで積み残し、心を残したままだった。

現在の組織のありようでは、真相を究明できず、
結局、トカゲのしっぽ切りと、頭のすげ替えで終わるだろう。

私は嘗て自分のいた職場で、「誰」が軽率な行為をし、
「誰」が判断を誤り、「誰」が加担したのか、
究明して文章にまとめたいと考えてきた。
私から見れば曰くのある人は、まだ名前も挙がっていないのだから。
もちろん、最終は、登場人物の本名は伏せるとしても。

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