前から思ってたんだけど・・・2017/05/13 10:10

大型テレビ、DVDプレイヤー、デスクトップパソコンのハードディスクが入っている筐体、etc.、
どうして、端子が背面に配置されているのだろう?

まぁ、USBやオーディオ端子は前面にあったりするが、
他の機器に接続しようとすると、全部、背面からである。

テレビにしろ、プレイヤーにしろ、PCの筐体にしろ、
前からも後ろからも自在に操作できるような置き方をしている人って、
どれくらいいるのだろう。
部屋の真ん中に置いてる?
うちなんか、全部、壁際にあるから、
背面の端子に接続しようとして、毎回めんどくさい思いをする。
せめて、側面につけておいてくれたら何とかなるけど、
みんなどうしてるんだろう???

うちの大型テレビなんか、壁吊りも可能なようなふりをしているが、
端子は全部背面である。
オーディオ端子すら。
もちろん、差し込んだケーブルの幅くらいはちゃんと計算して設計してある。
でも、めんどくささは計算外なんだよね。
今は窓際に置いているが、
大型だから、動かすのも大変。
接続し直すたびに、ソファの背にまたがって、
アクロバットみたいな感じで、テレビの背面を覗き込み、抜いたり差したりしている。

どうしてこうなの?
誰か教えて。

昨日は、、、2017/05/14 14:30

久しぶりに、関わっている団体の会議に行きました。
いくつかの団体に関わっていますが、この団体はとても長く関わってきました。

で、木曜日に頼まれていた原稿の修正版を送りました。
編集担当のOさんが、レイアウト原稿を送ってきて、これでいいか、ご確認ください、とのことだったので、
文章を整えたのと、Oさん自身の原稿に間違いが見つかったので、そこのところにコメントを入れて、
二つのファイルを添付で送りました。
翌日、編集をするとのことだったので、
返信がないけど、忙しいだけだろうと思って、一抹の不安は抑え込んでいました。

で、昨日、会議に行きましたら、
もう今月号の機関誌が出来上がっていました。
「M吉さんの原稿がすごく良かったので、巻頭を飾っているわよ」と、いつも明るいOさん。
「それは、ありがとう。で、修正した方の、使ってもらってるよね?」
と言ったら、
「え?」と驚きの顔。
あ~、やっちまったか、、、。

まぁ、自分の文章は体裁を整えるために修正しただけだからいいのですが、
Oさんの文章には明らかに誤りがあるので、そこは直してもらわないと、、、と思っていたのでした。

「メール見てなかった、、、」とびっくりしているOさん。
やがて、Mさんが、私の文章に、人名の漢字の間違いを見つけ、
あちゃ~、私もやってしまった、、、。
Oさんは、
「編集の私が校正するべきだったのだから、私のミスよ」と言いますが、
なんとなく、気になりながら、後で確認することを怠って漢字を間違ってしまったのだから、やっぱり、私のミスです。

こうした誤字や誤記については、会議報告を書いてくれるMさんが、
まとめて次号に修正を載せてくれるみたいです。
それでも、私は心残りで、ちょっと落ち込み。
でも、Oさんは、立ち直りが早い!
すぐに他の話題に移って、誰よりも陽気に喋り、、、、。
この明るさ、鷹揚さは、この人のキャラの魅力です。

同じような仕事をしていますが、
彼女は、市民向けの講演がとても多い人です。
でも、わかります。
このキャラは、ほんとうに市民向け生涯教育の場で美しく花開いています。
M吉、シャッポを脱ぎます。

私は書くことでもっと頑張ろうかなと思います。
この年になると、やっとこさで、その人の強み、弱みがはっきりしてきます。
みんなとっくにわかっているのかもしれませんが、
私は気づくのが遅いのです。

義姉を病院へ2017/05/19 20:30

昨日は、病院の予約が午後だったので、
説得に時間的余裕があり、
連れて行くのに成功した!
病院で待っていてくれたケアマネージャーのSさんが、
無理だと思っていたのか、
私たちが到着すると、
「すごい! すごい!」を連発。

でも、まぁ、義姉の忘れっぷりこそ、すごい! と感嘆したくなる。

午後2時の予約だったので、逆算して午前10:50に義姉に電話。
電話に出た彼女に、私の名前を告げると、
「あ~、M吉さん、よかった~。何か不安だったので、M吉さんから電話もらったら、安心する」とのこと。
いつもそう言って喜んでくれるのだが、最初は意味がよくわからなかった。
でも、昨日、長く義姉と話していて、やっとその理由がわかった。
彼女は、少し前の記憶がないので、
自分の今の状態がちゃんと把握できないのだ。
メモを書いたとしても、書いた時の記憶がないので、そのメモは、
不安の材料にしかならない。
いつも何か不安に駆られている感じのようだ。
だから、私に説明してもらいたいのだ。
で、喜んでくれる彼女に、S病院に午後2時に予約しているので、
1時過ぎには迎えに行くから、それまでに出かける支度をしておいてほしいと伝えた。
前回のように、お風呂に入ったり、化粧をしても大丈夫なだけの時間を確保したつもりでそう言った。
で、いろいろ質問しながらも、最終的には理解してくれたように見えた。
その時、彼女は、
「お弁当を届けてもらったから、今、食べてるの」とのことだった。
弁当の配達が午前中にあるので、来たらすぐに食べるようだ。

ほぼ1時間後、義姉から電話。
「電話くれた?」とのこと。
それで、また今日のことを繰り返し説明する。
で、説明して、外出の支度をしておいて、とまた言う。
「わかった」とのこと。

そして、義姉の家の近くのコンビニに着いて、
また電話をして、
また一から説明して、
「もう近くのコンビニまで来てるから、何か欲しい物ある?」と聞くと、
お弁当が欲しいとのことなので、晩御飯用のお弁当とサラダを買って、
義姉の家に行った。

顔を見ると、一応、出かけられる服装なので、
ああ、わかってくれてるとうれしくなったが、
そうでもなく、またもや、一からの説明になった。
「S病院に行くの? それ、誰が行くように言うてくれてんの?」と、
この日、何度目かの質問。
また、答えを繰り返す。

「あたし、昨日、お風呂入ってへんねん。頭洗いたいけど、まだ時間、大丈夫やね」と言い出す。
実は、これも先の電話で言い出したのだが、
前回、お風呂で懲りたので、帰ってからにしようと説得したのだった。
「あ、もうそんな時間はないから、お風呂は帰ってからにしたら?」と、
また言う。
「まぁ、それでもいいけど、、、」と言いながら、
「もうちょっと早くから出かけるとわかってたら、お風呂に入れたのに」とぼやいている。
(早くから言うてまんがな、、、)とこっちの心の声。

財布がない、保険証がない、と何度も言い、
「大丈夫。保険証は、Sさんが持ってくれてるから。お金は立て替えとくわ」と、何度も説明して彼女を促す。
で、今度は、
「なんか、ふらふらするねん。何も食べてへんからかな?」と言う。
「11時頃、お弁当食べてるって言ってたよ。」
「え? そんなん覚えてへんわ。わたし、やっぱりおかしいよね。」
「だから、今日は病院へ行こ。」
お弁当を食べる、というのを
「S病院に行ったら、何か食べよう」と何度も説得して、
ようやく、彼女と一緒にタクシーに乗った。

なんとか、ぎりぎり2時に到着。

病院に着くと、Sさん相手におしゃべり。
お医者さんにもおしゃべり。
私にもおしゃべり。

ほとんどずっとしゃべり、
「M吉さんがいてくれてよかった」と言い、
「弟がよくM吉さんと結婚していてくれたものだと思うねん」といつものように言う。

謝ったり、感謝してくれたり、過剰なほど語るが、
たぶん、覚えていないから繰り返すのだろう。

そして、ああ、そうなのか、と思った。
彼女は、自分の今の状態がわからなくてとても不安なのだ。
病院では、看護師さんに病院の住所を尋ねていた。
住所を聞くと、家に帰ったら、地図で調べて、また一人で来てみようと思う、と言う。
そんなことはできるわけない、という看護師さんやケアマネさんの顔。
いや、私もそういう顔をしていただろう。
とにかく、義姉は自分の状況を把握したいのだ。
でも、できないのだ。
だから、不安で不安でたまらないのだろう。
「私は、どうなってんの?」としょっちゅう聞く。
聞かれる度に、私は、本当のことを言う。
それで彼女は、一瞬は納得して、ちょっとホッとする。
でも、また忘れるので、また質問してくるのだ。

帰り、彼女を家まで送って行った。
私が買って来ていたお弁当を見て、食べると言う。
4時近くになっていたので、「ま、いっか」、という感じだ。
「水分も忘れないでね」と言って、お弁当を前に、機嫌良さそうになったので、帰ることにした。
病院に行ったことは、もう忘れていた。

彼女は、ほんとうに私が傍にいると安心するようだ。
その理由が、やっと見えた。
自分がどういう状態なのか、把握できなくて不安なのだが、
私がいると、私が彼女に説明する。
それで、やっと自分が今どういう状態であるかを掴めるのだ。
その説明の記憶はすぐに消えるので、
また「私って何? なんでこんなにおかしいの?」ということになるのだが、とにかく、私が傍にいるときは、いつも質問に答える。
それが彼女の安心の素だったのだとわかった。

「M吉さんは、べつにお世辞を言ったりしないし、余分なことは言わないけど、ちゃんとほんとのことを言ってくれる」と彼女は言う。
たぶん、それはわかるのだろう。
ごまかされたりするのはいやなのだろう。
もちろん、ごまかしを言われてもすぐに忘れるのだが、それでも、ごまかしを言われれば、その瞬間はそれがわかるのだろうと思う。
一生懸命説明すると、一生懸命聞いている。
そして、その瞬間、彼女はすべてを理解し、把握するのだ。
たとえ、すぐに忘れるとしても。
私は彼女のそのせつなの安心に応えるしかない。
昨日は、そのことを実感した日だった。
今の自分を知ろうとして苦しんでいる彼女を思うと、なんだか胸に迫ってくるものがある。

疲れる理由2017/05/21 06:22

義姉とつきあって帰った後、なんともいえぬ疲労感、消耗感。
これは、見知った感じだ。
母がまだ、外出可能だった頃、
母と一緒にランチに出かけたりしたが、まさにそれと同じ。

母の楽しみだったので、
子どもたちが仕事や引っ越しで、一緒に出掛けることができなくなっても、私一人が母と同行していた。
子どもたちが付き合ってくれている時は、私も楽しかった。
でも、母と私の二人だけになると、
私はまったく気が抜けない状態になった。
母の意向、母のテンポ、母の体調が、すべてを支配する。
母はもちろん、自分が支配しているとは思っていないし、そうしたいとも思ってはいない。
が、母にこちらに合わせてもらうわけにはいかないのだから、
結局、すべて母に合わせて行動することになる。
自分のことは全部横に置いてある。
そして、母の足取りに合わせ、
母の意向を尋ねつつ、数時間を過ごす。
なんだか、自分の生理的な欲求も封じ込めてしまっている感じだ。
家に帰るとぐったりしていた。

今回、義姉と過ごす数時間が、同じなのだ。
彼女の意向、彼女のテンポで、すべて事が運ぶ。
義姉の場合は病院などに連れて行く、という目的があるから、
彼女を誘導するというさらに高度なテクニックも使う。

無事に目的を果たせたら、
挫折したときよりは気分は楽だが、
それでも、相当な疲労感、消耗感がある。

S姉はまた違うストレスをかかえるのだろう。
昨日は、午前中に電話がかかってきた。
S姉の特徴は、どういう趣旨で電話をしてきたのか、という前置きがないこと。
用事がなければ、特に連絡を取り合う習慣はないので、
何か用事のはずなのだが、一向に用事が出て来ない。
木曜日に病院に行けたかどうか、は開口一番に聞いてきたので、
それが目的だと思って説明をするが、ほとんど興味なさそう。
ん? 何の電話?
彼女の話は、主語と述語と目的語の順序がごちゃごちゃになるので、
聞きづらいのだが、一生懸命、訴えるようにしゃべる。
結構、長く話していたが、電話を切ってからやっとわかった。
要するに、前日の真夜中に、
義姉が、S姉に電話をしてきて、
「お腹が空いたから、食べるものを持って来て」と言って来て、
呆れたり腹が立ったりした気持ちを聞いてほしかったようだ。
友だちには聞いてもらうこともあるようだが、
実際に、義姉の様子を共有しているのは私なので、
そのあまりの日常からの逸脱ぶりと、それによる自分の災難について、共感してほしかったのだろうと思う。

出かける予定があって、
段取りを考えながら過ごしていた時間帯だったので、
S姉の繰り返しの訴えに、私の声のトーンが落ちていったかもしれない。
それと、彼女のなんとなく興奮したようなトーン(それは癖みたい)というのに私が乗れなくて、
私と話していると、調子は狂ってくるだろう。
「血もつながってないのに、ごめんね」と、最後は言いながら電話が終わった。
いや、そんなことを言わせたかったわけではない。
「いえいえ、これもご縁だから」と答えつつ、
S姉との会話にも、軽い疲労感。
S姉は認知に障害もなく、まめによく動くし、そこは問題がないのだが、
感情のコントロールがうまくいかないことがあるようだ。
それは、義姉が、認知症になってからも、何度も何度も、
S姉が起こす癇癪について語り続けてきたことからも、想像がつく。
義姉はむしろ、認知症になってから、S姉の癇癪持ちについて、遠慮なく言うようになった。
それまでは怖がって我慢していたのに、急に堰が切れたようになり、
S姉に気を使わずに、面と向かって文句を言うようになった。
それが、S姉にとっては、急に反抗的になった妹に見えるらしい。
だから、S姉は憤懣やるかたない、という感じで、電話をしてくるのだ。
しかし、電話の趣旨がわからない私は、話を聞き続け、
終わってから、ああ、愚痴を聞いてほしかったんだとわかる。
愚痴なら愚痴で聞くことはできるが、
「ちょっと、愚痴、聞いてくれる?」と言ってくれればいいのだが、
プライドが高いようで、自分の話を「愚痴」とは思いたくないのだろう。

こういう「プライド」というやつ、邪魔だねー。

相手に、自分に合わせてもらうのは無理、と考えるのは、私の癖。
相手と付き合う時間は、全身全霊で、相手に仕える時間だ。
私自身の欲望は封じ込めているので、疲れるのだろう。
同じ研究会などの友人にあまり疲れないのは、
言動のパターンや関心を持つ対象が似ているので、
こちらが一方的に合わせている感じがないからだろう。
相手の話に興味もあるし、面白がる私がいる。
たぶん、姉たちとの会話は、私にとっては、不毛なことが多い。
もちろん、全て不毛だとは言わない。
全て不毛だったら、つきあいはしていない。
第一、認知症の人の言動のパターンや、癇癪持ちの人の感情の表出のありさまなど、誤解されそうな言い方だけど、
私にはとても興味深い。
こんなふうに書くと、相手に対するリスペクトがないように見えるかな。
リスペクトはあるのだけどなぁ、、、。

まぁ、それでも、疲労は蓄積する。
同居して介護をする人たちの暮らしを考えると、
その忍耐は想像もつかない。
もうそんなに長くない人生、なるべく面白い時間を増やそうとは思う。

母のこと2017/05/23 21:20

母はからだの弱い人だった。
だから、とても自分を庇っていた。
その母が、子どもの私の目には、
自己中の甘えた人に見えていた。

それはたぶん、世間の理想の「母親像」が、
自分のことは顧みず、夫や子のために尽くし、
がまん強く、愚痴も言わず、無私の女性像だったからかもしれない。
そして、私は、その「理想の母像」からの距離を測って、
母を低く評価していたかもしれない。
私は一人っ子であるにもかかわらず、
家庭の中で、母が何においても一番優先される感じなので、
常に二番手だった。
それも世の「一人っ子」のイメージと比べて、理不尽な扱いを受けているような感じを抱いてしまっていたかもしれない。
二番手の座を奪われないように、父とは張り合っていた。

もちろん、お嬢様育ちの母のキャラもあるのだが、
今思えば、母はからだが弱い自分の生理的状況をコントロールするのに精いっぱいだったのかもしれない。
病人に他人のことを思いやりなさい、と言っても無理なように、
母は、私を優先することは無理だったのだろう。
それでも、まだ電化製品も少なく、米を炊くにも重労働だった時代に、私という子どもを育て、家事をしていたのだがら、よくやったものだと、
今なら思う。

二人目は無理だったのだろう。
これといった病名はつかないが、体が弱い人、という人はいる。
私も結局、体調が良い、という状態をあまり知らない。
これまでの生涯で、数回、「気持ち良い」ほど体調の良かった奇跡の瞬間があった。
それ以外は、まあなんとかやれている状態が続くだけだ。

夫は、亡くなる前、たびたびの吐血や出血で大騒ぎになって、
緊急治療になるのだが、それで一時的に安定することが何度もあった。
そうした状態で静かに横たわっているとき、
「どう? しんどい?」と尋ねた。
彼は、ちょっと考えていた。
そして、「別に」と首を横に振った。
「元気」ということは絶対にないが、特にどこも苦しくもなく、痛くもなかったのだろう。
でも、ちょっと考えないと答えは出てこない。
衰弱はしていたのだ。

母も寝たきりになってから、病状が悪化していろいろあわてたことはあるが、それらの治療が過ぎると、
静かに横たわっているときがあった。
やはり、
「どう? しんどい?」と聞いた。
母もちょっと考えて、
「ううん」と首を横に振った。
衰弱しているのは確かだが、どこも苦しくもなく、痛くもない状態だったのだろう。

私の感じは、そこまで衰弱はしていないが(してたら大変!)、
「元気」ではなく、しかし苦痛も特に感じていない、ということが多い。
それが、まぁ、常態だ。
若い時の母もそうだったのだろうと思う。
だから、外出したり、何か長時間やらねばならないことがあったりすると、とたんに不調をきたす。
静かに、気ままに、自分のペースで暮らすことができて、
やっと保っていた健康だったのだ。
だから、わがままで自己中に見えていた。

精いっぱい自分の身を守りながら生きて、
母はなんとか平均寿命を全うしてくれた。
なんと、子ども孝行だったのだろう。

世の理想の「母親」イメージに目をくらまされて、
自分の母へのまなざしが、ちょっと厳しかったかもしれないと、反省。
母の言いなりになって、母に尽くさせてもらった最期の日々は、
母が私に贈ってくれた贈り物だったのだと思ったりする。