母のこと2017/05/23 21:20

母はからだの弱い人だった。
だから、とても自分を庇っていた。
その母が、子どもの私の目には、
自己中の甘えた人に見えていた。

それはたぶん、世間の理想の「母親像」が、
自分のことは顧みず、夫や子のために尽くし、
がまん強く、愚痴も言わず、無私の女性像だったからかもしれない。
そして、私は、その「理想の母像」からの距離を測って、
母を低く評価していたかもしれない。
私は一人っ子であるにもかかわらず、
家庭の中で、母が何においても一番優先される感じなので、
常に二番手だった。
それも世の「一人っ子」のイメージと比べて、理不尽な扱いを受けているような感じを抱いてしまっていたかもしれない。
二番手の座を奪われないように、父とは張り合っていた。

もちろん、お嬢様育ちの母のキャラもあるのだが、
今思えば、母はからだが弱い自分の生理的状況をコントロールするのに精いっぱいだったのかもしれない。
病人に他人のことを思いやりなさい、と言っても無理なように、
母は、私を優先することは無理だったのだろう。
それでも、まだ電化製品も少なく、米を炊くにも重労働だった時代に、私という子どもを育て、家事をしていたのだがら、よくやったものだと、
今なら思う。

二人目は無理だったのだろう。
これといった病名はつかないが、体が弱い人、という人はいる。
私も結局、体調が良い、という状態をあまり知らない。
これまでの生涯で、数回、「気持ち良い」ほど体調の良かった奇跡の瞬間があった。
それ以外は、まあなんとかやれている状態が続くだけだ。

夫は、亡くなる前、たびたびの吐血や出血で大騒ぎになって、
緊急治療になるのだが、それで一時的に安定することが何度もあった。
そうした状態で静かに横たわっているとき、
「どう? しんどい?」と尋ねた。
彼は、ちょっと考えていた。
そして、「別に」と首を横に振った。
「元気」ということは絶対にないが、特にどこも苦しくもなく、痛くもなかったのだろう。
でも、ちょっと考えないと答えは出てこない。
衰弱はしていたのだ。

母も寝たきりになってから、病状が悪化していろいろあわてたことはあるが、それらの治療が過ぎると、
静かに横たわっているときがあった。
やはり、
「どう? しんどい?」と聞いた。
母もちょっと考えて、
「ううん」と首を横に振った。
衰弱しているのは確かだが、どこも苦しくもなく、痛くもない状態だったのだろう。

私の感じは、そこまで衰弱はしていないが(してたら大変!)、
「元気」ではなく、しかし苦痛も特に感じていない、ということが多い。
それが、まぁ、常態だ。
若い時の母もそうだったのだろうと思う。
だから、外出したり、何か長時間やらねばならないことがあったりすると、とたんに不調をきたす。
静かに、気ままに、自分のペースで暮らすことができて、
やっと保っていた健康だったのだ。
だから、わがままで自己中に見えていた。

精いっぱい自分の身を守りながら生きて、
母はなんとか平均寿命を全うしてくれた。
なんと、子ども孝行だったのだろう。

世の理想の「母親」イメージに目をくらまされて、
自分の母へのまなざしが、ちょっと厳しかったかもしれないと、反省。
母の言いなりになって、母に尽くさせてもらった最期の日々は、
母が私に贈ってくれた贈り物だったのだと思ったりする。

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