後ろ向き?2017/02/21 09:03

楽観したいのに、出来るような状況ではない、という言い訳がすでに後ろ向きなのかもしれない。

自分のこれまでの仕事を基本的にカウントしない傾向がある。
過剰なほどに、子ども時代の
「慢心してはならない」という言いつけが効いているのかもしれない。

無造作に本箱に横向きに入っていた本の背表紙を見て、
はて? これはどういう本だったか、見慣れない本だなと手に取って、
中を開いて、よく見たら、
第二章を書いたのは自分だったと思い出した。
何十年も前の話ではない。
上梓されたのは一昨年。
大丈夫か、自分。

で、パラパラと読み直して、その後ろ向きぶりにがっかりする。
よくこんな文章を第二章に配置してくれたものだ。

自分の実績を年表にして、きちんと記録に残している人もいる。
自分の取り上げられた新聞などはすべてスクラップして、実績の一つにカウントしている人もいる。

ずっと昔の話だが、
ローカルな新聞に写真入りの記事として掲載されたとき、
そういう出来事をネグレクトしてしまう私に、
娘が、
「おじいちゃんは新聞記事をスクラップするのが趣味なんだから、自分の娘の記事だったら、喜ぶと思うよ」と言った。
それはそうだ、仕事を辞めた後、少ない趣味の一つが新聞を読んでスクラップすることなのだから、と、
実家に帰った時、父にその記事を渡した。
で、後日、父のスクラップ帳を見せてもらったら、
私の記事は、小学校に乱入して8人の児童を殺害した宅間守の隣にスクラップしてあった。
同じような時期のことだったのだろうけど、隣はないでしょ。
もうすでに、父の物事の整理能力はなくなっていたようだ。

自分が評価を受けたことをカウントしない癖は、
こうしたメディアによる記事もあるし、共著の本などのこともあるし、
(記事も本も、散逸するに任せている)
おこなってきた講演の数々もそうだ。
で、実際は、非常勤生活が長いので、
たびたび履歴書や業績書を書かねばならないときに、
失った記録や記憶を悔やむことになった。

もう今更、履歴書も業績書も書くことはないだろうが、
人生の総括の時期に、
よろしかった記録も記憶もなくしているのは、なかなかのものだ。
後ろ向きで、一貫しそう。

だから、ブログでは、そうではないキャラの自分を作ろうと意図するのだが、
なかなかブログだけでは自己暗示にならない。