義姉のこと2017/02/04 09:47

昨日は、義姉を脳検査へ。

もうわかっていたけど、前夜の打ち合わせは完全に忘れ去られ、
朝、また、義姉の家に迎えに行く道すがら、電話で最初から説明して説得。

で、彼女は、納得してくれたが、
8時45分に病院に到着するべき時間を大幅に遅れ、
病院で待っていた地域包括支援センターのスタッフMさん、Nさんも気をもんでいた様子。
タクシーに乗っているとき、電話があって、
「もうすぐに着きます」と答え、
タクシーを降りたら、すぐに検査室に誘導するために、Mさんが玄関口で待っていてくださった。
義姉が検査室に入るとすぐに、Mさん、Nさんが
「それで? 何があったのですか?」と、聞いてくださる。
有難い。
一部始終を話して、こちらもホッとする。
なにしろ、義姉は全部忘れているのだから、
説得してお出かけの支度をしてもらうのに時間を食い、
8時半を少しまわると思う」と言うので、8時35分に電話を入れたら、
「あ、今、コートを着るところ」とのこと。
それから優に10分以上経過してマンションの玄関に現れたのだ。

こちらは、早起きして電車で義姉の家に出向き、朝の寒さの中、マンションの外で待っていたのだが。

彼女は会ったときは、
「ごめんね~、いつもお世話かけて」と、普段通り、とても正常な挨拶をするが、そのあと、
「それで、どこに行くの?」と、また一からの質問。
こちらが説明する間にも、出てくる単語でチョイチョイ思い出すことがあるらしく、
幼稚園時代の思い出などをのんびりと語りだしたりして、
私は彼女に相槌を打ちながら、断続的に説明しながら、
時間を気にし続ける。

で、地域包括支援センターのお二人と合流して、後は、病院のスケジュールに乗る。
待合時間は、義姉の際限のない思い出話に相槌を打ち、再々繰り返される「今日は、ここに何しに来たの?」「私はなんで、ここにいるの?」という質問に説明を繰り返す。
Mさん、Nさんがいらっしゃるときは、相手をしてくださるので助かるが、
義姉と私の二人になると、そうもいかない。

昨日は、病院支払いの時に、義姉の手持ちが足りないとわかり、
恐れていたこと、つまり、私が不足分を払う、ということになった。
○百円くらいのことなら、諦めるが、昨日は1万円。
あ~、これはもう、返ってこないなぁ、とちょっとくさる気分。
が、Mさん、Nさんが
「現金がなかったら、明日から困るでしょう。私たちもいるから、ATMでお金をおろしたらどうですか?」と言ってくださる。
が、病院のATMは故障中。
近くのコンビニを教えてもらってそこでおろそうとするが、今度は
「このカードは使えません」と出た。

義姉は茫然とするばかり。
Mさん、Nさんの指示で、タクシーに乗って銀行に赴き、
そこで、判明したのは、
以前、義姉がカードをなくしたので届けを出し、その時に使用停止になっている、そのままとのこと。
使用停止を解除するためには、一定の書類をそろえて銀行に持参しないといけないが、
そのようなことが、今の義姉にできるわけがない。
「あ~、1万円はやっぱり返ってこない」と、苦いあきらめ感。

義姉に付き添って、カード再使用の手続きを行う時間もエネルギーも私にはない。
また、金銭関係には関与しないと決めている。
そういう立場でもないし、お金を出したら最後、私は泣き寝入りだもん。
義姉が亡くなった場合の遺産相続人は、もう一人の姉と、
代襲相続人の私の子ども二人。
私には回収する当てがない。

と、思ったら、義姉がいろいろさぐる(意味なく二つも持っている)手提げバッグの一つに、長財布が入っている。
「その長財布には、何が入ってるの?」と尋ねると、え? どれ? と、
取り出して中を開けたら、札がびっしり。
千円札も交じっているようだが、とにかく一万円札が現れた。
センターの方は、
「とりあえず、その一万円をM吉さんに返されたら?」と言ってくれたので、返ってきた!

私は非常勤の超安い給料と、超安い年金を足して、なんとか生きているのだ。
お金が返ってこないと思ってがっかりした時と、返ってきた時と、
たぶん、恥ずかしいくらい表情に落差があったと思うが、
仕方ない。
それが私よ!

とにかく支援センターのMさん、Nさんのおかげで、昨日は助かった。
後は、またこのお二人のサポートで、カードの使用可能手続きができそうなので、お金関連はお任せすることにした。
金銭にかかわることはタッチしないと決めてはいるが、
こうまでボケられるとそうもいかず、昨日は、ほんとうに参った。

思わぬ時間を食って、たぶん朝食を食べていないであろう義姉が、
お腹が空いた、と言い出した。
一緒にご飯を食べようと言うので、スタッフの方と別れて、
二人で食堂に。
ほんとうはもう帰りたかったが、諦めて、食事をしてもらう良い機会だと思うことにした。
義姉は今や165センチで、36㎏しかない。
もともと長身痩躯だが、もうぽっきり折れそう。
一緒に食事して、良かったことは、ランチを完食してくれたこと。
エンドレスに繰り返される思い出話に付き合いながら、
仕事の電話がかかって来て、気持ちは半分そちらに。

で、最終、家に帰る段になって、
タクシーで来たものだから、二人とも帰り方がわからない。
タクシーで帰ろうと言ったら、
義姉はほとんど泣かんばかりに、
「ここどこ? なんで私はこんなとこにいるの?」とパニックになりそう。
「あの病院からはこの銀行が一番近いから、ここにって、MさんとNさんに言われたから、タクシーで来たのよ」と説明したら、
「病院って、何? 銀行って、何のこと? その名前の人、聞いたことあるけど、誰?」と、もはや、朝からの記憶は消えている。

タクシーはわけがわからなくなっていやだと言うので、地下鉄を利用して、
義姉が「いつも歩いて帰っている」という梅田に着いた。
そこからは、やっと、勝手のわかっている自分の世界、という感じになって、
急に元気になって、道を指し示しつつ歩く。
「M吉さんは、どこまで帰るの?」と言うから、
「あなたを家まで送って行って、それからJRで帰るよ」と言ったら、
「え? 送ってくれるの? そんなことしてくれるの?」と今更、驚いてくれる。
地下鉄に乗る前、以前住んでいた家の方面に乗ろうとしていたので、
マンションの下まで送り届けないと、こちらが気が気でない。

歩いて彼女のマンション前で別れるとき、
「来週、MさんとNさんがまた電話くれるから」と言ったら、
「え? それ、誰?」とのことで、説明をしたら、
「え? 私、病院に行ったの? そんなん、覚えてないわ」とのこと。
「今日何があったん? 何も覚えてない」と泣きそうになっているので、
しまった、余計なことを言わねばよかった、と思いつつ、朝からの出来事を一から説明。
「家に帰ったら、日記に書いとくわ」と言っていたが、エレベーターに乗ったら、それも忘れるだろう。

私が家に帰り着いたのは6時を回っていた。

奇妙な疲労感だ。

「メメント」2017/02/04 17:59

「メメント」という短期記憶障害の人を描いた映画を観たことがある。

殺人のからむ犯罪映画だから、
後味の良い映画ではない。
映画の流れは過去へさかのぼる作りで、
主人公は、10分経つと記憶がなくなるので、
全部、写真に撮ったり、メモをからだに書き込んで、
出来事の瞬間を記録に残そうとする。

が、その記録は、記憶をなくした人にとって、
文脈を持たないので、
全体像は把握されず、断片でつながっていて、
危うい記録なのだ。

義姉といて、この映画のことを思い出した。
義姉は、
「忘れないように」と、その都度、手近にあった紙にメモを書く。
が、メモを書いたことを忘れてしまうので、
こちらが言うことを、何度もメモに残そうとする。
先のメモと後のメモが同じことを書いたもの、という認識ができない。

で、忘れないようにと、捨てた方が良いものまでとっておくので、
彼女にとって、理解不能の紙切れがどんどんたまるのだ。
病院に行った記録は、領収書と明細書があればわかるから、と、
いくら言っても、
機械で会計処理をするために一時的に渡された番号を書いた紙も大事にしまい込む。
そして、後から見ていたりするが、そこには、役に立つ情報はない。
会計処理ができたときのための番号など、その場限りの情報なのに、
そんな助言は、耳に入らない。

もう一人の姉が、「頑固で困る」と嘆いていたが、
確かに頑固なのだ。
自分の信じたことしかやらない。
記憶力が落ちていることは自覚しているが、
判断力が落ちているとは思っていない。

映画「メメント」で、主人公は周りの人間に利用され、
メモ通りに殺人を犯していく。
一貫したストーリーを持てなくなった精神の悲しみと恐ろしさがひしひしと迫ってくる映画だった。
もちろん、義姉は穏やかでふうわりと生きている人だが、
そんな映画を思い出してしまったのだ。