義姉の心の内2017/02/05 18:18

義姉を見ていると、焦る気持ちはよくわかる気がする。
自分で、自分の今の状況がわからないとなると、パニックになっても不思議はない。

なんとか、自分の今の状況を理解しようとする。
しかし、自分の記憶はもう役に立たない。
その瞬間にわかっていること、その瞬間に覚えていることで、
なんとか一つながりのストーリーにしようとするみたいだ。
が、正確なストーリーにはなりようがない。
必要な情報が欠落しているのだから。

それでも、つじつまは合わせようとする。
しかし、欠落した記憶は、もう甦ってこないのだから、
ほんとうに不安で、無念で、辛いだろう。

これまで、アルツハイマーの人の苦悩は、映画やテレビなどで観る機会があったが、
身近な人がこういう状態になると、その苦悩の深さ、辛さは痛いような感じで伝わってくる。

脳検査では、「軽度」という所見だ。
が、軽度じゃないぞ、このボケぶりは、と思う。
まあ、まだ私の顔も名前もわかるし、
古い記憶は保たれている。
そのあたりで、つじつまを合わせる。

医師に、
「今日の日付は?」などと聞かれると、
「もう仕事を辞めて、日付と関係のない暮らしをしていますから、、、」と答えて、正解はできない。
でも、なんだか、ボケていなくてもありそうな話だ。
曜日なんて、仕事を離れたら、確かに関係なくなりそう。

病院の名前も入らない。
ただ、病院に行くたびに、
「前にも来たことがある」と何度も言う。
病院などはどこも似ているのだが、風景だけを覚えているようだ。
町並みなどもそうだ。
風景が似ていると、「前にも来たことがある」と言う。
このあたりは、幼さを感じる。

もともとそうだったのか、年を取ってからそうなったのか、
「幼さ」を感じることは前からあった。
幼女が、
「わたしねぇ、、、」と、自分の愚にもつかない話を夢中になってするように、彼女も、自分のことばかり、ずっと語っている。
それは、ずいぶん以前からの特徴だ。

まだ義母が生きていたとき、
息子の運転で、息子、私、義母、義姉の4人で
夫のお墓参りに行ったことがある。
車の中で行きも帰りも、義姉が一人、愚にもつかない話をし続けていて、
私が時折相槌を打つ、という状況だったのだが、
あるとき、義母が、
「あんた、よう喋るなぁ。あんた一人、喋ってるやん」と言った。
その瞬間、義姉は黙り込んだ。
あまりにも静かなので、
息子が笑い出し、私は気になって話を向けてみた。
すると、また同じお喋りが始まり、ほんの10分くらい、彼女は黙っていただけだった。
こういう人の内面というのは、私には見当もつかない。

母の時も同じように思ったのだが、
人は生きたように老いるのだな、と思う。