仕事漬け2017/08/25 22:14

2週間前には何とかなっていたはずの仕事になぜかとりかかれず、
ずっとひきずって、
昨日、やっと原稿を一つ、送りました。
今日は、某自治体の審議会で、、、。
明日からまた、4000字の原稿を書きまする、、、

そうこうしているうちにすぐまた、研修しに行かにゃ~

何をしていたのかわからないこの夏。
急に仕事漬けになって、引きこもっていたのでした。
実は、昨年の今頃、入院したりして、
原稿が書けず、ドタキャンしたので、
だから、今度は迷惑をかけないように、ちゃんとやろう、と。

来年の原稿のオファーを受けました。
と言うか、今年はずいぶん早い。
ぎりぎりの時もあれば、早い時もあります。
頼んでくる方も、段取りが良い時と、悪い時があるみたいです。
早いと、こちらも心づもりができているので、助かります。
取りかかるのは、遅いとしても(^^)

なんか、今、頭の中、空っぽ・・・

長く生き過ぎた・・・2017/08/26 10:16

80歳をいくつか過ぎた頃、
母が時々、「長く生き過ぎた」と言っていました。

今、同じ言葉を、ふとつぶやいてしまう私。
母の現役観と、私の現役観は風景が違います。
母は夫と一緒に過ごして、夫の食事を作っている間は、
現役観が持続していたでしょう。
でも、夫が逝き、
娘や孫といっしょに遊びに行っていた頃は、
現役を過ぎた後のおまけの時期だったかもしれません。
でも、楽しかったのでしょう、いつも「幸せ」と言っていました。

が、息子が超多忙な仕事に就き、
娘も遠方に転居し、
自分自身もだんだん一人で外出する馬力がなくなってきて、
貯えも少なくなってきて、
いよいよ、人生の良い時期が過ぎたと感じたかもしれません。
で、「長く生き過ぎた」と。

私は、まだ細々と現職。いえ、今や、ご隠居さん仕事。
でも、昨日のような行政の会議に出れば、
集中力が全開して、テンションが上がります。

会長がコーディネートをしてくれて、私が行政資料について、
他の委員さんの指摘や質問が出た後、
さらに課題提起などします。
これはなかなか良い役割分担ではないか、と思えました。

久しぶりに会議に出て行って、
実は何も考えていなかったので、
最初の挨拶も行き当たりばったりでうまいとはとても言えないのですが、
後半、調子が出て来て、飛ばしたゾ!(笑)

こういう機会が以前は、頻繁にあったのに、
(あり過ぎると、また、疲れてよれよれになるけど、、、)
今はたまにある感じです。
でも、こういう機会を、何とか自分でも工夫して増やしていかないと、
「長く生き過ぎた」感が沸き起こり、哀愁が漂ってしまうのです。

また、訃報・・・2017/08/28 19:46

まだ、若い人だった。
実は、昨夜、その人のことを思い出していた。
昔、仕事をしていた時の、困ったさんだった。
派手で自己顕示欲が強く、そのために要らぬことをしてくれるので、
難儀な人、という印象だった。

さすがに私にはやらなかったが、
私の仕事を補佐するTさんをいじめて、泣かせていた。

現状に満足していない、何か鬱憤をためているような、そんな感じだった。
理想の自分と現実の自分のギャップが大きいから、
こんな変な言動に出るのかと解釈してみたりしていた。

その後、仕事を辞めてから、脳の病気になった話を聞いた。
そして、昨夜、ふとその人のことを思い出して、
あの人のあの時の困った行動は、
病気が原因だったのかも、と考えていた。
もう、亡くなっているかも? とも考えた。

そして、今日の訃報。

うれしくない偶然だ。

私がお葬式に行っても、なんだか、向こうも困るかもしれない。
私自身は、その人と、年齢も仕事も経験も違い過ぎて、
単に、難儀な人と思うだけで済んでいたが、
Tさんは、とても苦しんで、
結局、私が辞めた時に、まだ続けると言っていたのに急に辞めてしまったのだった。
いじめは私がいない時に行われるので、
私もそこまでとは思っていなかったが、
私が研究を優先して、退職を決めたとき、おそらく、Tさんは私に見捨てられたと思ったに違いない。
私にも何も言わず、私が退職するその日、電話で「辞めます」と上司にだけ伝え、連絡が途絶えてしまったのだ。

私は、どうしようもなくお気楽なところがあって、
他人の悲壮な感じが、読み取れないことがある。
職場を去っても、Tさんとはまた連絡を取り合えばいいと思っていたが、本人には、もっと深刻なことだったのだろう。
私がいなくなったら、いじめのある職場でどうしてよいかわからなかったのだろう。
気の毒なことをした、と今は思う。

そして、そのいじめていた人が亡くなった。
これもまた、言葉を失う感じ。
悲しいわけではないが、暗い気分になっている。