まだ、頓服が効いているので、、、2016/05/24 13:52

いろいろ落ち着かない思いの中で、
ふと思い出した。

なぜ思い出したのかもわからない。
若いとき、福永武彦に惹かれて読んでいた時期があるが、
その「草の花」を思い出して、
今なら、ネットで何がわかるかなと思って検索してみた。
福永武彦の醸し出す静謐な孤独感が、突然よみがえったのだ。

まぁ、自分ちの本棚を探すより、ネットの方がよほど手っ取り早い。

そうしたらある人の読書日記があって、
その一節が書かれていた。

「愛されることに成功しなかった自分が、この生にどのように折り合いをつけて、死んでいけばいいのか?
この人生は、真実「生きた」といえる価値あるものであったのか?」

原典にあたって確認するエネルギーはないので、これでいい。

この福永武彦に惹かれたのだと思い出した。
彼は、他の短編で「えなの流れる川」というようなことも書いていた。
捨てられた胎児の世界だったか、
人として自己確立する前からの孤独と言うのか、
自分の精神世界と似ている、と若い時に思った。

でも、世の中で、「ネクラ」という言葉が使われるようになり、
「うまいこと言うなぁ」と思ったが、
自分を見透かされているようで、恥ずかしい気がした。

そして、少しずつ、「ネクラ」文学から距離を置き始めた。
ネクラの螺旋を降りるだけでは、人生は楽にならない。
楽になりたかったのだ。

そして、文学との決別。

自分の存在論的な孤独を客観視するようになり、
身も蓋もない言葉で説明するようになり、それが快かった。

が、ここに来て、情緒的な世界に舞い戻る感じなのか。
ネットで、福永武彦が私の父より一歳年上の人だと、初めて知った。
あまりにも違いが大きく、そういうふうには思わなかった。
父と同じ時代を生きていたのか。
それでも、ここまで精神世界が違う人がいるのか。
そして、その子どもの私が共感している。

頓服が効いているので、まだ発熱によるしんどさはない。
が、脇腹は痛んでいる。
この痛み、けっこう前からあった、と思い出している。

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