攻撃的な人のかわし方2016/05/11 11:45

最近、これまでにあまり付き合ったことのないタイプの人と接触することがあるので、どうして対処しようかと考えることが増えた。

私はもともと、人との関係で「かわす」というのが好きではなかった。
以前、同じ職場の人が、
相手の懸命な訴えに対して、いかにかわすか、ということでしか対処していないのが気になっていた。
相手が真剣であればあるほど、こちらも真摯に向き合わねば、と思っていた。

が、今回は勝手が違う。
攻撃的であったり、自分は何もしないけれども口だけうるさかったり、というタイプの人がいる。
どう考えても、やつあたり、としか思えない感じの人もいる。
自分の言いたいことだけをとうとうと述べる、あるいは批判的に言い募る。

一言で済むところを、延々としゃべるのを聞いているのも、なかなか苦痛なものだ。
ある人は、人生の残り時間が少ないから、言いたいことは全部言っておくのだ、と語っていたが、
聞く側の人生の残り時間については、斟酌しないようだ。

話の内容が私への不満だったりすると、
聞いているうちにだんだん腹が立ってきたりする。
それを自制するのがなかなか大変なのだ。
我慢するのもつらいが、やり返してしまうと、結果的にもっとつらくなる。

中学生の頃から、自分を戒める格言があって、
「怒りは無謀をもって始まり、悔恨に終わる」という誰の言葉だったか忘れたけれど、そのことばを肝に銘じていた。

最近、それを忘れていたのは、
大人になると、接する人がどの人も礼儀正しいからだ。
中学生時代までは、周りの子どもは感情のコントロールができないのか、ほんとうに無礼なタイプの子が多かった。
が、つい最近になって、その子ども時代の頃を思い出すような、感情のままに生きている感じの無礼な大人に接することがちょくちょくある。
で、チョイチョイ、暴発しそうになる私。

子ども時代の格言を思い出して、再度、肝に銘じておこうと思う。
しかし、どうすれば、言いたい放題の人の言葉に怒りを表明しないで、自制できるだろう?
嫌なことを言う人は多い。
自分の感情の処理だけのために、ものを言う人も多い。

黙って聞いて、反応しない? いや、聞いているふりだけする?
私のことを、「話を聞いていない」と言った人がいるそうだが、
その人こそ、相手の人生の残り時間におかまいなく、延々と自分の言いたいことを言い続ける人だ。
で、私の方は、聞かないでおこうと思ってそうしているのではなく、だんだん聞いていると疲れてくるので、頭が勝手に違う世界に行くのだ。

怒りを出すと、その分、自分で自分を蝕むことになる。
ネガティブな感情は、自分で自分の心の平穏を侵す。
怒りのループに入った人は、相手に怒っていて、相手を責めているが、ほんとうに自分を疲弊させているのが、他ならぬ怒りに浸された自分自身であることに気づいていない。
外から見ていると、自分で自分を傷つけているのがよくわかる。
が、相手に傷つけられたと思っているので、どんどん相手への怒りの炎を燃やし、ますます深く傷ついていく。

人は、自分の怒りの炎で自分を焼くのだということを知った方がいい。

さて~、そうならないように、どうしようかな?
やっぱり、今回だけは、「かわす」スキルを磨かなければならないようだ。
かわして、相手の攻撃の直撃を避ける。
相手の土俵に入らない。

黙って、言わせておくしかないか、、、。う~ん。