腎盂腎炎2016/05/24 09:13

今まで意味不明の発熱があったりしたが、2~3日寝込んだら回復していた。

が、よくならないのと、症状があまりにも重いので、
近くのクリニックを受診した。
そこから紹介されて、大学病院に。

で、「腎盂腎炎」だと言われた。
はっきり病名がついたのは、「大腸がん」以来、久しぶり。
どちらの場合も、
典型的な症状であったので、自分でもネットで見当はついた。

今回、CTではっきりしたらしい。
前からあった水腎症が進んでいて、腎盂が細菌感染しているとのこと。

今は夜に飲んだ頓服が遅めに効いて、起きていられる。
点滴と服薬で木曜日に以後の治療方針を判断するとのこと。
「木曜日は仕事が、、、」と言ったら、
「悪化したら仕事どころではありませんよ」と若いお医者さんに言われた。

今日も、仕事に行くつもりをしていた。
が、夜中の症状(なぜか、夜中に熱が上がる)からは、とても仕事ができる状態ではない。
で、今日は休んだ。

大学に電話を入れると、やっぱり、
「補講はどうされますか?」とくる。
「まだ先が見えないから、治ったら行きます」と言ったら、
やっと、事態を理解してくれた様子。

腎臓に管を入れる、というお医者さんの言葉に恐怖を覚えた。
あとは、入院するか否か。
抗生剤が効くかどうかにかかっている。

どちらにしろ、いつも思うのだが、はっきりしてほしい。
なんとなくの不調が続くのはあらゆる面で困る。
仕事も本調子でできないし、かと言って、がんばればなんとかなりそうなのが、しんどいのだ。

「癌」のときはショックだったが、
あまりにも明確な病気なので、
全部免除された。
自分でも自分を許せた。
中途半端な状態だと、自分でも、休んでいいのかなと悩むので、よろしくない。
で、がんばって仕事をしてもやっぱり本調子ではない。
治るのなら、しっかり治って、元気でやりたいのだ。

80歳を超えた母が、時折、「長生きし過ぎた」と言っていたが、
私は今すでに、同じことを言いたい心境。
がんばって生きていくほどの将来は、もうない、からね。

まだ、頓服が効いているので、、、2016/05/24 13:52

いろいろ落ち着かない思いの中で、
ふと思い出した。

なぜ思い出したのかもわからない。
若いとき、福永武彦に惹かれて読んでいた時期があるが、
その「草の花」を思い出して、
今なら、ネットで何がわかるかなと思って検索してみた。
福永武彦の醸し出す静謐な孤独感が、突然よみがえったのだ。

まぁ、自分ちの本棚を探すより、ネットの方がよほど手っ取り早い。

そうしたらある人の読書日記があって、
その一節が書かれていた。

「愛されることに成功しなかった自分が、この生にどのように折り合いをつけて、死んでいけばいいのか?
この人生は、真実「生きた」といえる価値あるものであったのか?」

原典にあたって確認するエネルギーはないので、これでいい。

この福永武彦に惹かれたのだと思い出した。
彼は、他の短編で「えなの流れる川」というようなことも書いていた。
捨てられた胎児の世界だったか、
人として自己確立する前からの孤独と言うのか、
自分の精神世界と似ている、と若い時に思った。

でも、世の中で、「ネクラ」という言葉が使われるようになり、
「うまいこと言うなぁ」と思ったが、
自分を見透かされているようで、恥ずかしい気がした。

そして、少しずつ、「ネクラ」文学から距離を置き始めた。
ネクラの螺旋を降りるだけでは、人生は楽にならない。
楽になりたかったのだ。

そして、文学との決別。

自分の存在論的な孤独を客観視するようになり、
身も蓋もない言葉で説明するようになり、それが快かった。

が、ここに来て、情緒的な世界に舞い戻る感じなのか。
ネットで、福永武彦が私の父より一歳年上の人だと、初めて知った。
あまりにも違いが大きく、そういうふうには思わなかった。
父と同じ時代を生きていたのか。
それでも、ここまで精神世界が違う人がいるのか。
そして、その子どもの私が共感している。

頓服が効いているので、まだ発熱によるしんどさはない。
が、脇腹は痛んでいる。
この痛み、けっこう前からあった、と思い出している。