近場散策 ― 2013/03/29 11:14
昨日はお天気が悪かったのですが、休みをとれた友人と、近所を散策しました。雨もなんとか止んだので、桜を求めてぶらり。朝は雨だったので差していた傘は、途中で立ち寄ったコンビニに、しっかり置き忘れて来ました。まあ、想定内(ん?この言葉を流行らせた人が仮出所しましたね)のことですから、なくしても惜しくないビニール傘にしたのは正解です。
コムズガーデンがお花できれいになっていました。
そこから歩いて、桜の宮の川沿いの道へ。満開になるとこのあたりは本当に美しい。知らないおにいさんが映り込んじゃいました。ごめんなさい。
歩いていると、旧藤田邸跡庭園へ。開放されているので、中に入ります。ここは、街中の喧噪がふと途絶える、素敵な空間です。いつも、ここを目的に来たことはないのですが、あたりを散策している途中で、惹かれるように入ってしまうところなのです。
花をたくさん観て、よく歩いて、ちょっとリフレッシュした日でした。
京都散策 ― 2012/02/15 11:39
日曜日、娘カップルと愛犬と、京都に行って来ました。哲学の道沿いにある素敵なイタリアンのお店でランチです。なにしろ、ワンちゃんOKのお店であることが最優先なので、なかなか難しいのですが、今回のお店は個室です。ルーム料金が要りますが、値打ち十分。リッチなリビングルーム感覚です。お料理もおいしくて、とっても幸せなひととき!
お部屋のベランダの向こうは竹林です。
ランチの後は、南禅寺の疎水に行きました。
今も現役の、風情ある建造物です。これが建てられた時は、古都の風景をぶちこわすとかで、反対運動が大きかったとか。でも、今ではとてもいい感じのスポットです。
以前、某歩こう会のサークルでも訪れたのですが、ちゃんと写真を撮っていなかったので、今回は忘れずに撮りました。
寒さ対策で重装備の私を、娘が撮ってくれていました。
その後、移動して、御所へ。
数本だけ、梅が咲いています。梅見には、もうちょっと、ですね。
よく遊びました。ワンちゃん連れだと、自然を求めて歩くことになるので、これはとてもいいですね。心身がリフレッシュします。
さて、週明けは、今月末の公開学習会に向けて、準備です。気をひきしめてがんばります!
紅葉 ― 2011/12/11 23:15
娘と娘のパートナーとワンちゃんと一緒に、箕面に行った。この秋、紅葉を楽しむ機会がなかったので、車で行くからと誘ってもらった。久しぶりに屋外で時間を過ごした。
箕面の勝尾寺は、とても紅葉が美しくて、ただただ感心する。とても手入れの行き届いた美しいお寺だ。堪能した。
参拝客の目を楽しませる工夫がなされていて、ちゃんと観光地としての役割を自覚してがんばっている。
帰りに滝も見に行った。なかなか良かったのだが、写真がピンぼけでアップできない。ちょっと残念。
いずれ、一眼レフで撮っていた娘に写真を送ってもらって載せよう。
ワンちゃんは、ずっとおとなしくつきあってくれて、なんかもう、尊敬したくなる。達観しているかのよう。
今日は、昼も夜もイタリアン。久しぶりのイタリアンはどちらもおいしかった。若者とつきあうと、エネルギーを分けてもらえるようでうれしいものだ。
梅見の季節 ― 2011/03/17 16:09
昨年もこの季節に、逝ってしまった人のことを考えていた。私より、2~3歳年上の、とても元気だった人。
そして、今年も、先に逝った友のことを考える。2月22日だった。一度は、元気になったと思っていたのに、あっと言う間に旅立って行った。ずっと仲良しだったので、いつまでも、辛い。やはり、私よりも、2~3歳年上だった。
「先に行くね~」と、手を振っているような気がする。「うん、後から行く」と私が答える。「ゆっくり来ればいいよ」と、言っている。そんなに待たせるつもりはないが、着いた時には、ゆっくりと落ち着いて座っているのだろう。「案外、早かったね」と言うか、「もう、来ないのかと思った」と笑うか、どちらか、それは私が逝く時に決まる。
娘と近くの梅林を散歩しながら、また、巡ってきたこの季節をかみしめる。毎年、友人達と歩いた梅林だが、今年は、みんなばらばらだ。一人は体調が思わしくなく、一人は精神的に苦しく、一人は他のことで忙しく、一人は遠方に行ってしまい、一人はややこしい組織のもめ事のせいで疎遠になってしまった。今年は、もう梅を愛でる同世代の連れがいない。
若い娘と、娘の飼い犬と歩いた。老いる心境を共有するべくもないが、こうして、歩く日も、私の衰えと共にやがて思い出になるのだろう。私の母が、もう、このほんの近所の梅林さえ、歩かなくなったのだから。
時の移り変わりを思う。
そして、今年も、先に逝った友のことを考える。2月22日だった。一度は、元気になったと思っていたのに、あっと言う間に旅立って行った。ずっと仲良しだったので、いつまでも、辛い。やはり、私よりも、2~3歳年上だった。
「先に行くね~」と、手を振っているような気がする。「うん、後から行く」と私が答える。「ゆっくり来ればいいよ」と、言っている。そんなに待たせるつもりはないが、着いた時には、ゆっくりと落ち着いて座っているのだろう。「案外、早かったね」と言うか、「もう、来ないのかと思った」と笑うか、どちらか、それは私が逝く時に決まる。
娘と近くの梅林を散歩しながら、また、巡ってきたこの季節をかみしめる。毎年、友人達と歩いた梅林だが、今年は、みんなばらばらだ。一人は体調が思わしくなく、一人は精神的に苦しく、一人は他のことで忙しく、一人は遠方に行ってしまい、一人はややこしい組織のもめ事のせいで疎遠になってしまった。今年は、もう梅を愛でる同世代の連れがいない。
若い娘と、娘の飼い犬と歩いた。老いる心境を共有するべくもないが、こうして、歩く日も、私の衰えと共にやがて思い出になるのだろう。私の母が、もう、このほんの近所の梅林さえ、歩かなくなったのだから。
時の移り変わりを思う。
娘が溺愛している犬。いつも写真を撮られ慣れているので、おとなしくおさまってくれる。
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