感音性難聴 ― 2013/03/02 10:12
84歳の母が、耳が遠くなってしまって、会話が難しくなりました。それでも、母の言うことは、私には聞こえるので、母は不自由は感じないようです。私の言うことは聞こえなくてもいい、と、以前、はっきりと言われちゃいました。(^^;)
音も聞こえにくいのですが、聞こえたとしても、今度は何を言っているかわからないようです。
実は、父も耳が遠かったので、なんだか心配になって、調べてみました。
私も、昔から、少し聞こえにくい傾向があるのです。ただし、音としては聞こえます。今のところ、とてもよく聞こえていると思います。でも、時々、相手が何を言っているのかわからないことがあるのです。
先日、私よりは少し若い人と話をしていて、二回聞き返しました。その人は、三度目に大きな声を出しました。びっくりしました。音声としてはよく聞こえているので、ボリュームを上げてほしかったわけではないのです。ただ、その単語が聞き取れなかったのです。
電話などでも、たまに起こります。相手が名乗っている名前が聞き取れず、何度も聞き返したことがあります。
相手の滑舌の問題ではなく、こちらの聞き取り能力の問題だろうと思われます。幼い頃からある傾向だったのですが、母からは「取りの悪い子」と言われていました。理解力がない、という意味のようです。しかし、ひょっとしたら、聞き取り能力の問題だったかもしれません。
実は、英語などもそうですが、文章は読めるのに、会話が少しも上手になりません。ヒアリング力が弱いのです。何度か上達したくて英会話を勉強してみたのですが、ヒアリング力で挫折してきました。その度に、「日本語だって、聞き取れないものなぁ」と、半ば自嘲気味に嘆息していましたが、実は、機能的障害があったのでは、と思い始めました。
「感音性難聴」というらしいです。内耳の領域の機能に問題があるので、音自体はちゃんと届いているけれど、それを正確に言葉に変換できないらしいのです。で、相手が何を言っているのかわからないそうです。
あ、これ! と思いました。思い当たることばかり。まあ、私のは、ごく軽度だとは思います。でも、進行したら辛いなぁ、という感じです。なにしろ、両親とも、ですから。で、これは治療法がほとんどないらしいです。
ある機能が生まれつき劣っている場合、ごく軽度であれば「障害」というようには認定されませんから、本人は辛い状況におかれますね。その人の「個性」というように、受容的に受け止められればいいですが、ちゃんとやっていないと誤解されたり、「偏屈」なんて言われて怒りを向けられるようなこともありそう。
それにしても、う~ん、私の「耳」。もうしばらく使っていく予定だから、しっかりしてくれぇ~。
音も聞こえにくいのですが、聞こえたとしても、今度は何を言っているかわからないようです。
実は、父も耳が遠かったので、なんだか心配になって、調べてみました。
私も、昔から、少し聞こえにくい傾向があるのです。ただし、音としては聞こえます。今のところ、とてもよく聞こえていると思います。でも、時々、相手が何を言っているのかわからないことがあるのです。
先日、私よりは少し若い人と話をしていて、二回聞き返しました。その人は、三度目に大きな声を出しました。びっくりしました。音声としてはよく聞こえているので、ボリュームを上げてほしかったわけではないのです。ただ、その単語が聞き取れなかったのです。
電話などでも、たまに起こります。相手が名乗っている名前が聞き取れず、何度も聞き返したことがあります。
相手の滑舌の問題ではなく、こちらの聞き取り能力の問題だろうと思われます。幼い頃からある傾向だったのですが、母からは「取りの悪い子」と言われていました。理解力がない、という意味のようです。しかし、ひょっとしたら、聞き取り能力の問題だったかもしれません。
実は、英語などもそうですが、文章は読めるのに、会話が少しも上手になりません。ヒアリング力が弱いのです。何度か上達したくて英会話を勉強してみたのですが、ヒアリング力で挫折してきました。その度に、「日本語だって、聞き取れないものなぁ」と、半ば自嘲気味に嘆息していましたが、実は、機能的障害があったのでは、と思い始めました。
「感音性難聴」というらしいです。内耳の領域の機能に問題があるので、音自体はちゃんと届いているけれど、それを正確に言葉に変換できないらしいのです。で、相手が何を言っているのかわからないそうです。
あ、これ! と思いました。思い当たることばかり。まあ、私のは、ごく軽度だとは思います。でも、進行したら辛いなぁ、という感じです。なにしろ、両親とも、ですから。で、これは治療法がほとんどないらしいです。
ある機能が生まれつき劣っている場合、ごく軽度であれば「障害」というようには認定されませんから、本人は辛い状況におかれますね。その人の「個性」というように、受容的に受け止められればいいですが、ちゃんとやっていないと誤解されたり、「偏屈」なんて言われて怒りを向けられるようなこともありそう。
それにしても、う~ん、私の「耳」。もうしばらく使っていく予定だから、しっかりしてくれぇ~。
バイキングが好き ― 2013/03/05 14:58
バイキングが好きです。好きなものを好きなだけ食べられるところが気に入っています。
でも、子どもたちには、「もったいない」といつも言われます。特に息子の考えるバイキングは、「食べ放題」にメリットがあるのに、私はそんなに食べないから、ということらしいです。
でも、私に言わせると、バイキングは他種類を少しずつ食べられるのが良いところなのです。カレーライスやラーメンをがっつり食べようと思っている人に、確かに、ホテルのバイキングは「もったいない」という気がします。
私みたいな年配の女性は多いらしく、よく見かけます。
今日は、胃の検査だったので、朝食抜きでした。ランチは何を食べようとあれこれ迷っていたのですが、そういう時もバイキングはいいのです。ライスもパスタもパンもあるし、和食も洋食もあるし、デザートもあるし、、、。
で、今日もランチ・バイキング。近くのホテルで、一人ランチです。
これは、スタート。あ、写真を撮っておかなくちゃと気づいて、iPodで撮ったので、ちょっと食べかけ。健康を考えて、まず野菜を多目に。二皿目からがっつり系へと。
子どもたちが言うように、確かに、最初の意気込みはなかなかなのですが、すぐに情けないことになります。それでも、肉も魚も野菜もコーヒーもケーキも食べましたので、満足です。
このホテルは、京阪京橋駅を降りてすぐのところにあります。先日このレストランがリニューアルして、美味しくなりました。
大阪市内のバイキングは、たいてい食べ尽くしています。
父が生きていた頃でまだ私が若い頃、ホテルバイキングなんて、今のようにどこでもやっているわけではなく、新阪急ホテルの地下が有名でした。父と母と一緒にそのバイキングに行きました。焼きたてのステーキだったかの前に行列が出来ていて、「お父さん、ステーキだって」と言ったら、父が、「並んで食べ物をもらうなんて、そんなのはさもしいようでいやだ」と、椅子から立ち上がりもしなかったことを思い出します。
時代ですねえ。今では、老いも若きも、女性も男性も、バイキングはどこも盛況のように思います。すっかり普及したので、マナーもよくなったように思います。
声の大きな人 ― 2013/03/08 09:02
数日間、立て続けに、声の大きな人と出会いました。年齢は私と同じような女性。要するにおばさんグループです。
とにかく、声が大きい。話が止まらない。ほとんど初対面の人ですから、気取らない、ほんとうに気さくな人柄なのだろうと思います。
でも、耳がじんじんしてきて(私は、感音性難聴の傾向はあるけど、音自体は聞こえるので)、のぼせてしまいました。
よく、「大阪のおばさんはうるさい」と言われますが、必ずしも大阪出身の人でもないのです。一人で喋って、一人で「ガハハハ」と大笑い。
ゆ、ゆるしてくださ~い。(涙)
いえ、いい人なんです。皆さん、とてもいい人なんです。その大声さえなければ、お友達になりたい。でも、その大声と高笑いに耐えるのは辛そうなので、引いてしまいます。これって、何なのだろうなぁと、まだ脳に残っているダメージをかかえつつ、ちょっと悩んでいます。
そういう人が何人かおられて、みんないい人みたいだし、憎めないし、、、。でも、つ、つらいなぁ~。
とにかく、声が大きい。話が止まらない。ほとんど初対面の人ですから、気取らない、ほんとうに気さくな人柄なのだろうと思います。
でも、耳がじんじんしてきて(私は、感音性難聴の傾向はあるけど、音自体は聞こえるので)、のぼせてしまいました。
よく、「大阪のおばさんはうるさい」と言われますが、必ずしも大阪出身の人でもないのです。一人で喋って、一人で「ガハハハ」と大笑い。
ゆ、ゆるしてくださ~い。(涙)
いえ、いい人なんです。皆さん、とてもいい人なんです。その大声さえなければ、お友達になりたい。でも、その大声と高笑いに耐えるのは辛そうなので、引いてしまいます。これって、何なのだろうなぁと、まだ脳に残っているダメージをかかえつつ、ちょっと悩んでいます。
そういう人が何人かおられて、みんないい人みたいだし、憎めないし、、、。でも、つ、つらいなぁ~。
映画 ― 2013/03/11 09:52
先日、友人と映画を観て来ました。『八月の鯨』という1987年にアメリカで公開された映画です。この映画は二回目です。まだ私が30歳代だった頃に、この映画が大阪でも上映されました。
当時、北浜にあった三越劇場で観たと思います。三越劇場は、東京の岩波ホールでの上映作品を観ることができた貴重な映画館でした。なくなってしまって、ほんとうに残念です。そして、岩波ホールの支配人であった高野悦子さんが今年2月に亡くなられ、直接には存じ上げなかったのですが、なんだかとても寂しい感じがします。
私にとって貴重と思えていた人や物が、どんどん失われていくように思います。年を取るということは、そういう失われていく風景を見続けることなのかな、と思ったりします。
その『八月の鯨』ですが、30歳代の私は、何か叙景詩を味わうような気分で観たと思います。が、今回は違いました。老いの心境がびんびん伝わってきて、その人達の生活の事情もよくわかって、30歳代の私は、単にアホだったのか、それともやっぱり年齢的にピンと来ていなかったのか、全く味わい方が違います。
アメリカメイン州、夏になると鯨がやって来るという小さな島で暮らす老姉妹の日常を描いた物語なのですが、当時、妹役のリリアン・ギッシュは91歳、姉役のベティ・デイビスは79歳だったそうです。
10歳以上の年の差で、年齢が逆転した役柄だったのですが、もう、そのへんの区別はつかない、、、。(と言うか、メークのうまさかも、、、。)年をとっても、リリアン・ギッシュのたおやかな風情は変わらず、人当たりの良い優しい妹役に向いていたのでしょうか。
一方、ベティ・デイビスは、『何がジェーンに起こったか』を思い出す個性の強い女優さん。気むずかしい姉の役です。
↓『八月の鯨』 リリアン・ギッシュ(左) ベティ・デイビス(右)
Wikipediaを見てみたら、ベティ・デイビスはこの映画公開の2年後に81歳で亡くなっています。リリアン・ギッシュは、99歳まで生きたみたいです。
↓何がジェーンに起こったか? ベティ・デイビスは左
映画の後、ランチをしておしゃべりをしました。同い年で、同じような業界で仕事をしてきた友人です。
そろそろ店じまいを始めた二人が語るのは、これまでの総括めいたことばかり。今後の計画や未来への野望は、共にありませんでした。(苦笑) 穏やかに少しずつ終わっていこうという感じも共通していて、諦観ただよう初老の女二人の午後でした。
もっとも、昔は、初老というと、40歳頃のことだったのですけれどね。
最近のコメント