知恵熱?2014/05/28 12:32

 月曜日の夜中から、苦しみが始まりました。発熱、嘔吐、悪寒、体中の痛みに、もうどうにもならない苦しさ。嘔吐しても、もう胃液だけ。ふらふらで薬を探します。目もよく見えてないのですが、辛うじて、葛根湯のドリンクを見つけて飲みました。
 朝になってもよくならず、悲惨な有様で、朦朧としながら、「そうだ、仕事を休んでもいいのだ」と気づき、10時になったら電話をしよう、11時になったら、、、などと思いつつ、枕元の携帯に手を伸ばすのもしんどい。でも、あまり遅くなるといけないから、と、うとうとしては、目を覚まして時計を見ます。
 11時半頃にやっと電話をする気になりました。なぜか、仕事を休むのにものすごくためらいがある。でも、どう考えても仕事に行ける状態ではありません。
 声も自分で驚くほど出ていない感じです。で、電話に出た事務職員は、さらりと、
「あ、休講ですね。補講はどうされますか?」と、とてもビジネスライク。熱が出ている、と言わなかったっけ? 「今は、まだ考えられません」と答えましたが、からだの症状に加え心もぐったりでした。
 
 昔、聞いたある人の話を思い出しました。携帯がなかった頃で独り身でアパートにも電話を引いていなかったそうですが、高熱を出して仕事を休むのに、いっぱい着込んで公衆電話まで行って仕事先に連絡を入れたとか。私自身が目の前の携帯に手を伸ばすのも苦労なような症状だったので、公衆電話まで歩いて行くなんて、ほんとに過酷だろうなと思いました。

 朦朧としながら、なんとか薬を見つけました。葛根湯の粉末だと思って飲んでいたら、後でちゃんと目が見えるようになってみたら、麻黄湯でした。麻黄湯って、症状については私の症状にぴったりなのですが、能書きの冒頭に、「体力が充実して」と書かれています。これがよくわかりません。「体力が消耗して」なら、わかるのだけど。でも、家にはこれしかないので、とにかくこれを飲みました。
 こういう時、からだが欲しがるのか、いつも果汁を飲みたくなります。でも、家には何もありません。
 もう、ほんとに藁にもすがる思いで母に電話をしました。「ジュース」という単語を聞き取れなくて、ようやくわかってくれて、来てくれましたが、ジュースがなかったからみかんと絞り器を持って来ました。うちで絞るよりも、家で絞って持ってきて、と頼みましたが、やはりみかんと絞り器持参で、、、。私が何も出来ないから、そうして欲しかったのですが、私の症状に対して想像力は働かないようです。歩いて5分の行きつけのスーパーでジュースを買ってくるのも無理なんだと思い知りました。自販機はマンションの構内にあるのですが、それを買うという発想もない。
私も手を貸してみかんを絞って、小さなコップに4分の一ほどのミカン汁を飲みました。後は、絞り器を洗って返す、という作業もついてきます。これがしんどいんだと思ったけど、母には通じないのです。翌日になって、母が持って来た物のうち、レモンのハチミツ漬けはとても有り難いと気づきました。
 昔から、私のニーズを汲むことはしない人だったけど、年を取った今、一層そうなのは仕方がありません。でも、役に立ちたいと思っている気持ちは伝わってくるので、それは一応有り難いです。

 と言うより、母に電話をする際に、電話をすることによって、母も何もすることがないよりは、役に立つ、ということで喜ぶだろうと思ったのも確かでした。でも、私のしんどさを理解しない、ということは忘れていました。来るなり、いきなり関係のない話を始めたので、娘にゆっくり自分の話を聞いてもらえる好機だと思ったようですが、私はすぐに横になりたかったので、「もう寝たい」と言いましたら、帰りました。

 一人暮らしの大変さは、こういう時にしみじみ。今までから、原因不明の熱をよく出して来ました。夜に電話をかけてきた友達に症状の話をして、「知恵熱だと思う。これで、ちょっとは賢くなるかな」と冗談を言えるまでにましになっていました。熱はまだ下がっていませんでしたが、からだの痛みと悪寒がおさまっていたので、だいぶん楽になっていました。この友人との電話が、一番気持ちを楽にしてくれました。私の状態を知っている人がいるのは安心感につながります。何かあったら、状況をわかってくれているので、何らかの手を打ってくれるでしょう。

 今日は、熱も下がって、ずいぶんましになりました。熱に苦しみながらも気になっていた書かねばならない原稿のことが、いよいよ現実です。と言いつつ、原稿のために開いたパソコンで、ブログを書いている私。あ~。