映画観ました。2014/05/14 13:36

そ~んな暇はないはずなのに、仕事の帰り、すごい寄り道をして、映画を観に行きました。
なんだか、やりきれない日でね・・・。

で、いろいろ思ったし、感動もしたし、思い出に残る映画でしたが、詳しいことはまた今度、時間ができたら。

とりあえず、こんな映画です。邦題は、『チョコレートドーナツ』
http://bitters.co.jp/choco/introduction.html



老い2014/05/21 20:24

 亡夫には姉が二人いる。最近、下の方の義姉の衰えが激しいような気がする。もともと気の良い、おっとりした人だから、今でも穏やかだが、その穏やかさが「ぼんやりさ」に変質しているような気がする。物忘れが激しいのだ。
 1月のこと。娘と母と私でランチに行こうということになって、一週間前くらいに一人暮らしの義姉も誘ってみた。喜んでくれていたが、そして、2日前に時間と待ち合わせ場所の確認もしたが、当日、その場所に現れない。電話を入れると、「何か約束してた?」と、のんびりとした声。以前から、物忘れが激しいなと時折思っていたが、このときはさすがに心配になって、こちらから会いに行った。
 話題は、ほんとうにどうでも良いことばかりをループするし、直前のこともよくわからなくなる様子。が、それを心配していると、本人は、一生懸命言い訳をする。

 先日は、この義姉とさらにその上の姉と私の母と私という四婆メンバーと、息子の運転でお墓参りに行った。おばあさん受けの良い息子は、相変わらず、頼りになって優しくて、モテモテ。
で、上の姉はしっかりしていて、いつもシャープ。下の姉の方が劣化が激しい。先日は、途中で入ったサービスエリアのトイレにバッグを置き忘れた。すぐに気づいて取りに戻ったが、サービスエリアの公衆トイレはとかく個室がたくさんある。探しに行った姉を追いかけてトイレに着くと、姉はうろうろしている。
「どこに入ったの?」と訊いても、あまりよく覚えていない様子でおろおろしている。しっかり者の長姉の方は、うんざりしている。幸い、空いていたので、片っ端から個室を覗いて、本人が探し当てた。泣きそうになっている義姉に、かわいそうでこちらも泣きそうになった。長姉は、以前は怒ったりしていたこともあるが、もう責めることもしない。尋常でないのをわかっているのだろうと思う。

 私にはきょうだいがいない。そして、母も年を取ったとはいえ、まだまだ記憶もしっかりていて、日常的には不安がない。だから、まだ六〇歳代の姉の劣化ぶりに茫然としてしまう。
  昔、ボーヴォワールの『老い』を読んだ時、「凋落」という語だけが妙に印象に残ってしまったが、思えば、その頃は私は二〇歳代。ピンと来るわけがなかったのだ。若いときは、妙に老成した心境でいたが、全く実感とはかけ離れたものだった。
 そう、今こそ、老いは凋落だ、としみじみ思う。そして、今は、全然、『老い』なんか読む気もしないのだ。

 この義姉のことをどうしようと思うのだが、まだ一人暮らしは普通にできているし、趣味の社交ダンスにも週に1回通っている。友達もたくさんいるようだ。私がまだいろいろな仕事に追われている間は、なんとかがんばってほしいなと願う。

自己語り2014/05/22 14:26

 義姉のこと。とても優しい穏やかな人なので、愛されキャラなのだけど、自己語りが激しい。昔からそうだったのかもしれないが、昔は働いていたので、話題は会社の人のことなど広がっていた。しかし、今は、一人暮らしで、親友も死んでしまったせいか、話題が極端に狭い。一緒にランチに行っても、自分がいかに食が細いか、という話を延々とする。
 もともと、長身痩躯の人なのだが、私の目には、栄養が行き渡っていないように見えていた。が、長身痩躯を賞賛する風潮が世の中にはあるようで、むしろ、それを「ダイエットとは無縁の体型で羨ましいわ~」などと言われ続けた可能性がある。だから、それを話題にするのは好きなようだ。褒め言葉を与えられ続けた自分の資質について、話題にするのは誰もがうれしいことなのだとは思う。
 が、年を取って、他に話題を持たなくなると、そのあたりに話題が終始するようになった。自分の食事の量、食べ物の嗜好、そして胃腸が弱い話。いやいや、食が細くて、胃腸が弱いのは、40年以上見てきているし、その変わらぬ体型だし、もうよく知ってるよ! 延々とそれを聞かされ続けると、だんだんいらっとしてくる。
 実は、私の母もそうだ。食の嗜好の話ばかりを繰り返しする。話題が狭い上に、他人のことを悪く言わないタイプの人は、この手の自己語りが激しいのか。
 あなたの食べ物の嗜好話に、これほどまでに時間を浪費する暇は私にはないんですけど、、、と言ってしまえば楽なんだけど、そんな酷いことを言う相手ではない。で、適当に生返事をして聞き流すのだが、そういう人って、相手の生返事に慣れているのか、一向にめげない。で、延々と、特に年を取ってからは、同じ話題がループする。

 せめて、なぜ、そういう「語り」になるのか、分析、解釈して、私なりにそれを有効活用したいとは思う。おそらく、自分が心地よくなる瞬間を無意識に追求しているのだろうとは思うけれど、ただその話法が、誰にでも通じると思っているのかなぁという疑問もわく。ひょっとして、鍛錬されないということは、こういうことなのだろうか??? 

朝から、、、2014/05/23 07:00

 まだ寝ていたら、母から電話。「お風呂に入ろうとして、お湯をためていたら、急にお湯はりのスイッチがピコピコしだした」とのこと。「すぐ来てくれる?」と言うので、とりあえず、パジャマを服に着替えて、駆けつけた。実は、これは二回目。
 壁に取り付けられたお風呂のスイッチを切って、少し経って、再度スイッチオン。元に戻った。何らかの誤作動のようだが、以前にも、「こういう時は、一旦スイッチを切って、再度、スイッチを入れると直ることが多い」と説明したのだが、覚えていなかったみたい。

 今回も帰る時に、同じことを説明したら、「わたしもスイッチを押したけど、わたしが押すと、切れないのかしら?」と真顔で言う。
「スイッチは、誰が押しても切れるよ」と言いながら、ひょっとしてこの人はアホなのだろうか?と一瞬、不安になった。「力が弱かったのかも。しっかり押してね」と、言ったが、たぶんこれはもう聞こえていない。

 まだまだしっかりしているが、耳が遠いのと、機転が利かなくなっているのは確かだ。それにしても、時々、わけのわからない非科学的なことを平気で言い出すことがある。それは、若い頃からの彼女の話法だ。幼いもの言いをすることによって、免罪されようとするのか、こういう場面は見慣れた感じがある。
   こんなに電気関係が疎かったわけではない。昔は、アイロンが壊れても、自分で中を開けて直していた人だ。VHSが登場した頃から、次第にできないという意識が出てきたように思う。ついていけなくなったのだろう。
 ということは、私もいずれ行く道?

 「子ども叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ」という名言は、誰の言葉なんだろう?
(今調べたら、どこかのお寺のビラか何かを、永六輔が自著で広めた、と書いてあった。なるほど、町のお寺にも、なかなかの名言が書いてあったりするが、あの類なのか。)

知恵熱?2014/05/28 12:32

 月曜日の夜中から、苦しみが始まりました。発熱、嘔吐、悪寒、体中の痛みに、もうどうにもならない苦しさ。嘔吐しても、もう胃液だけ。ふらふらで薬を探します。目もよく見えてないのですが、辛うじて、葛根湯のドリンクを見つけて飲みました。
 朝になってもよくならず、悲惨な有様で、朦朧としながら、「そうだ、仕事を休んでもいいのだ」と気づき、10時になったら電話をしよう、11時になったら、、、などと思いつつ、枕元の携帯に手を伸ばすのもしんどい。でも、あまり遅くなるといけないから、と、うとうとしては、目を覚まして時計を見ます。
 11時半頃にやっと電話をする気になりました。なぜか、仕事を休むのにものすごくためらいがある。でも、どう考えても仕事に行ける状態ではありません。
 声も自分で驚くほど出ていない感じです。で、電話に出た事務職員は、さらりと、
「あ、休講ですね。補講はどうされますか?」と、とてもビジネスライク。熱が出ている、と言わなかったっけ? 「今は、まだ考えられません」と答えましたが、からだの症状に加え心もぐったりでした。
 
 昔、聞いたある人の話を思い出しました。携帯がなかった頃で独り身でアパートにも電話を引いていなかったそうですが、高熱を出して仕事を休むのに、いっぱい着込んで公衆電話まで行って仕事先に連絡を入れたとか。私自身が目の前の携帯に手を伸ばすのも苦労なような症状だったので、公衆電話まで歩いて行くなんて、ほんとに過酷だろうなと思いました。

 朦朧としながら、なんとか薬を見つけました。葛根湯の粉末だと思って飲んでいたら、後でちゃんと目が見えるようになってみたら、麻黄湯でした。麻黄湯って、症状については私の症状にぴったりなのですが、能書きの冒頭に、「体力が充実して」と書かれています。これがよくわかりません。「体力が消耗して」なら、わかるのだけど。でも、家にはこれしかないので、とにかくこれを飲みました。
 こういう時、からだが欲しがるのか、いつも果汁を飲みたくなります。でも、家には何もありません。
 もう、ほんとに藁にもすがる思いで母に電話をしました。「ジュース」という単語を聞き取れなくて、ようやくわかってくれて、来てくれましたが、ジュースがなかったからみかんと絞り器を持って来ました。うちで絞るよりも、家で絞って持ってきて、と頼みましたが、やはりみかんと絞り器持参で、、、。私が何も出来ないから、そうして欲しかったのですが、私の症状に対して想像力は働かないようです。歩いて5分の行きつけのスーパーでジュースを買ってくるのも無理なんだと思い知りました。自販機はマンションの構内にあるのですが、それを買うという発想もない。
私も手を貸してみかんを絞って、小さなコップに4分の一ほどのミカン汁を飲みました。後は、絞り器を洗って返す、という作業もついてきます。これがしんどいんだと思ったけど、母には通じないのです。翌日になって、母が持って来た物のうち、レモンのハチミツ漬けはとても有り難いと気づきました。
 昔から、私のニーズを汲むことはしない人だったけど、年を取った今、一層そうなのは仕方がありません。でも、役に立ちたいと思っている気持ちは伝わってくるので、それは一応有り難いです。

 と言うより、母に電話をする際に、電話をすることによって、母も何もすることがないよりは、役に立つ、ということで喜ぶだろうと思ったのも確かでした。でも、私のしんどさを理解しない、ということは忘れていました。来るなり、いきなり関係のない話を始めたので、娘にゆっくり自分の話を聞いてもらえる好機だと思ったようですが、私はすぐに横になりたかったので、「もう寝たい」と言いましたら、帰りました。

 一人暮らしの大変さは、こういう時にしみじみ。今までから、原因不明の熱をよく出して来ました。夜に電話をかけてきた友達に症状の話をして、「知恵熱だと思う。これで、ちょっとは賢くなるかな」と冗談を言えるまでにましになっていました。熱はまだ下がっていませんでしたが、からだの痛みと悪寒がおさまっていたので、だいぶん楽になっていました。この友人との電話が、一番気持ちを楽にしてくれました。私の状態を知っている人がいるのは安心感につながります。何かあったら、状況をわかってくれているので、何らかの手を打ってくれるでしょう。

 今日は、熱も下がって、ずいぶんましになりました。熱に苦しみながらも気になっていた書かねばならない原稿のことが、いよいよ現実です。と言いつつ、原稿のために開いたパソコンで、ブログを書いている私。あ~。