メモ程度の思考2022/01/11 12:34

他人の落ち度を激しく責める環境では、
誰もが、責任をどこに転嫁するかに躍起になる。

私が昔、管理職に就いて、挫折した組織はそういうところだった。

相手がどのような苦境に陥っていても、
立場を理由に責めやまない人がいた。
その人がカウンセラーになった時は、唖然としたけれどね。

だから、どの人も、
誰に責任を負わせるか、ターゲットを定め、
自分に責めが来ないように画策しながら、仕事をしていた。

ぼんやりしていた私でさえ、
攻撃を仕掛けられた時の反論を考えながら仕事をしていた。
が、相手は、攻撃自体が目的だから、理屈で考えられる攻撃ではなく、
想定外の部分でやられたけれど。
管理職だった私には、絶えず罠が仕掛けられている職場だった。

当時のことはトラウマだが、
この環境は、良い効果を生まないことは確かだ。
表面を繕うことはできるかもしれないが、実際の仕事はお粗末だ。
これ以降、組織にこりごりしたが、
本当は、
失敗をカバーし合い、弱点をサポートし合いながら、
良い仕事のできる組織づくりを目指すためには、どうしたらよいのか、ということはまだ思っている。

メモ程度の思考(2)2022/01/11 13:02

さらに、先に述べた組織で思い知ったこと。
いや、他の組織でも同じようなことがあった。

集団いじめや集団リンチは、
加害行為に関わった者の加害者意識が薄い。

自分は大したことはしていない。
ダメージを与えるほどのことはない、と思い込んでいる。

集団による投石があったとしても、
1つずつの石はどこまでも石であって、岩ではない。
小石かもしれない。
しかし、ターゲットになった者にとっては、
多大なダメージとなる。

体が弱り、抵抗する力がなくなり、やがて倒れてしまう。

この手の攻撃が多いなぁという感じだ。

どこで止められるのだろう。

SNSで攻撃を加えた者が訴えられるケースが出ている。
私も訴えたかった。
しかし、断念したのは、
その私について出鱈目な情報を流して攻撃したブログの開設者が、
私という者を知って、逸早く攻撃を止めた人だからだ。
他の人が、そのブログにさんざん、出鱈目なことをアップロードした。
そのアップロードした張本人も、「謝罪」を申し入れてきた。

私が刑事告訴を考えたとき、
ブログ開設者の友人が、
「開設者は〇〇さんだから、訴えるのはやめてあげて」と電話をしてきた。
〇〇さんは、私の側に逸早く着いて、攻撃者の攻撃に反論をした人だ。
だから、訴える気はなかった。

今の時代だったら、どうなっただろう。
訴えたら、勝てたか。
病気になったし、仕事を失ったし、評判も落とした。

それでも、自分の行為を認識できた人と、
自分が加害行為をおこなったとは、つゆほども思っていない人に分かれると思う。
どこまでも自己正当化だけで、機嫌よく生き延びている人たちだから。