やわな精神2022/02/18 18:57

1月の下旬に入院した。
思いもかけぬ下血が続き、そのうちに激しい胃痛と嘔吐。
消化器が不調なのははっきりしているが、週末だったので、病院に行く週明けまで待った。

その間、ほとんど食事らしい食事をしていない。
たぶん、以前にも経験した迷走神経反射というものではないかと、今になると思う。
友人につきそってもらって、クリニックに行ったが、
これまでの病歴を書いたものをもっていったので、
小さなクリニックは恐れをなした(?)のか、
先に大きな病院で診てもらってからでないと、大腸内視鏡検査はできない、と言われて、紹介状を書いてくれた。
が、その日はもう、受付が終わっているので、翌日に来るように、と、
その大きな病院。
で、仕方なく、付き添ってくれている友人と家に帰った。
行きはタクシーだったが、ちょっとは歩いてみる、と、一駅電車に乗って、駅から歩いた。7~8分ほどの距離が厳しい。
何とか、休み休み家に帰りついたが、
「とにかく寝る」と友人に告げて、トイレに入って、
そのままぶっ倒れた。
音に驚いた友人が助け起こしてくれて、救急車を呼んでくれた。

そして、そのまま、例の大きな病院へ。

1週間、入院して、内視鏡検査の結果は異状なし。それはいいことだ。
で、医者は、
「神経質だから、メンタルから来ているのではないか」と言う。
神経質? 私が?
ずっと、母から、「鈍い、鈍い」と言われ続けた私が?

幼い子供ゆえの、大人とは違って神経を使わない私を、たぶん、精神的に未熟な親が批判し続けたのだろう。

私が神経質になっているのは、
大腸がんの手術と、それに起因する絞扼性イレウスのトラウマだ。
死ぬとこだったんだぜ!
だから、消化器系に不調が起きると、不安にさいなまれる。
昨年の秋も、感染性胃腸炎で、発熱した。
今回は下血や胃痛や嘔吐。
とにかく、消化器系に出てくる。

で、その不調の原因は、と言うと、たぶん、家のリフォームのせいだろう。
もう、限界に来ていた、40年以上前のままのキッチンとバスルーム。
で、業者と話していて、結果的にLDKの大掛かりなリフォームとなった。
2月いっぱいかかる。
お金だって、高額になる。
不安と緊張で、おかしくなっていた。
そこに、大学の授業の成績づけが残っていた。
なぜか、このタイミングで、プロバイダーを変えた。
リフォームが思わぬ大事になり、その上に、ちょこちょこしたタスクが押し寄せる。
自分では乗り越えるつもりだったけど、体が悲鳴を上げたのだ。
「キャパ超えてまっせ」と。

今、ようやく、リフォームの山場を越えたのかな。
今日、未完成ながらキッチンがついた。
私は、ふだん、寝室に使っている一部屋にひきこもっている。
ここともう一室はリフォームをしないので、そこに住むより仕方ない。
仕事をしながらなので、フルリフォームをする人のようにはいかない。

ご近所に気を使いながら、
毎日、男の人たちが出入りする工事現場の中で、
一部屋に逼塞している。
廊下の床や壁も(業者と打ち合わせている間に、猫ちゃんに荒らされたところを全部きれいにすることにしてしまった)リフォームするので、ドア一枚を隔てたトイレには行きにくい。
で、息子の家のトイレを使用することにしたが、
やつは掃除というものをしないので、そのままでは使えないトイレだ。
結局、清掃業者に頼んで、トイレ掃除をしてもらった。
また、費用がかかった。

なんか、いっぱいいっぱいの状態で生きている。
退院直後は体力がなく、
友人と便利屋さんに頼んで、荷物を片付けてもらった。
便利屋さんは当然のことながら、お金がかかる。

判断力がないので、
普段服用している薬と、仕事で必要なパソコンとデータだけは自分で寝室に運んで、あとはお任せしたら、
生活するのに、
「あ、あれがない」「これがない」と、どれもこれも梱包されてしまって、出てこない。

糊がない、クリップがない、活動団体の資料がない、などないないづくし。
ストレスフルだが、それはまだ乗り越えられる。
やっぱり、工事現場に一人でポツンといることの方が厳しい。

まだ置いといてくれているエアコンをつけて暖かくして、せめて工事現場の冷え冷えした空気を変えようと思ったら、コンセントがなくなっていたり、
外から見えるのは不用心だと、新しく買ったカーテンをかけようと思ったら、前日まであったはずのカーテンレールがなくなっていたり。

が、それらも一つずつ我慢したり、慣れたりして、過ぎて行っている。
あと、10日間、がんばるしかない。
リフォームが終わったら、もう死ぬんじゃないかと思っていたが、今の調子だとなんとか乗り切れるかな。

やわな精神なのか、
同じ状態に置かれたら、多くの人はそうなるのか、わからないけどね。

さもしい。2022/02/25 16:31

貧しいのだから、仕方ないのか(私も貧しいけど、、、)、
昔から、私がイラっとする行動というものがある。

いくつかあるけど、その一つ、
「ただだから、貰おう」という態度。

以前、ある自治体発行の啓発冊子があって、
私が管轄する公共施設の利用者数や人口規模を考えて、
冊子の数を概算して、送付を依頼したことがある。

すると、依頼の電話を終えた私に、
「〇百冊くらい、頼めばよかったですよ」と言う人がいた。
「そんなに、捌けないですよ」と答えたら、
「どうせ、貰えるものだし、もっと多く頼んだらいいと思います」とのこと。
出た! という感じだ。
その自治体が無限に冊子を作っているわけではない。
予算を組んで、需要を満たす冊数を想定して、制作している。
なのに、必要としない数量を求めるとは?

「無料だから、貰っとこう」という発想らしい。

かつて、震災で困窮を極めた地域に住んでいる友人が、
「母が、無料配布の毛布をもらってきたの。うちは、何も被害がなかったのに、ただだからと、貰ってきているの。ほんとうに、恥ずかしいわ」と、嘆いていた。
あー、この発想!

最近、有料になったスーパーのレジ袋。
いちいち聞いてくれるので、うっかり者の私も、たまに、ちゃんとマイバッグを持っていくようになった。
で、先日、買い物をしたものをマイバッグに入れていると、
向かい側にやってきた女性が、ものすごい勢いで、
無料のナイロン袋(冷凍や、汁物を入れるために設置されている)を、
ぐるぐる手に巻き付けて、大量に引きちぎって持って行った。
アッという間だった。

あきれて、呆然とする私。

で、声を大にして言いたい。
(本当は小声でしかよう言わん)。
私は、こういうの、大っ嫌いなのだ。

いや、みんな、生活が豊かだったら、こんなマネはしないのだろう、と、
この国の政策の問題だと思いつつ、やっぱり、嫌いなのだ。

人々は、食うや食わずの暮らしをしているから、ではなく、
「ただだから、貰っていく」というさもしい根性なのだと思うと、
心底、嫌悪感がわく。
しかし、このさもしさを生んだのは、この国の問題だ。

公共施設のトイレットペーパーもなくなる。
無料だと思われている。
で、どんどん、質の悪いペーパーが備えられるようになる。
がっちりと厳重に外せないようにしたペーパーホルダーを見るたびに悲しくなる。

私が若いころ、駅のホームに並んで乗車の順番を待つ人はいなくて、
電車が来ると、人々はドアに向かって殺到した。
子どもだったころは、よく母に叱られた。
私の後ろにいると、絶対に座れない、と。
じゃあ、自分が先に行けばいいんじゃないかと応答するが、
母は、「大人はそんなことはできないから、子供のあんたが、走って行って、私の分も席を取るべき」と、いつも怒っていた。

母は、自分はさもしい行動をとりたくないが、子供ならできると主張していた。
母の言い分を理不尽に感じていた私は、一度も母の言いなりにはならなかったが、走って、席を取る大人を見るのもいやだった。

さもしい。その一言だ。

しかし、今は、そのさもしい大人は、少なくとも電車待ちでは見かけない。
民度が上がったのか。

が、残念ながら、スーパーの無料の袋やトイレのペーパーでは、まだ見かける。

うー、正直なところ、イラっとするどころじゃなく、
吐き気を覚えるほど、嫌いなのだ。