尊敬する友人2021/11/17 10:01

私の一番年上の友人は、今年92歳になられた。

前を素晴らしい足取りで歩いておられる人だ。

耳が遠くなられたので、娘さん(私と年は近いが、あくまで友達の娘さんという位置づけ(笑))がコミュニケーションの不具合を補ってくれる。
彼女の補助で、全貌がわかる。

92歳にして、今も、活動団体の機関誌に文章を書いておられる。
記憶も鮮明だ。

「たった1200字なのに、書くのがしんどくなったわ」と言われるが、パソコン入力だ。
メールもされる。
娘さん曰く、メールにはられたリンクをクリックしてネット上の別のサイトに飛んでも、ご本人は「メール」だと思っておられる、とのこと。
しかし、それはもう、ご愛敬。
思えば、日本語ワープロ専用機が開発され、あちこちのオフィスが少しずつワープロを採用し始めた頃の1980年代、
初めて、私にワープロを教えてくれたのは、この人だった。

それ以前は、和文タイプライターというものがあった。
仕上がった文書はとても美しいが、時間はかかり、機械は大層で、
和文タイピストという専門の職業があった。
一般の家には無縁のものだった。
英文タイプライターは、文字数が少ないので、個人でも所有できるもので、私も昔は持っていた。
日本語もこれくらい手軽に文書作成ができればいいのに、とは思っていた。
日本語は文字数があまりにも多く、和文タイプライターは、そのような簡便なつくりにはできないものだと諦めていた。
が、それが、登場したのだ。時代の進歩に驚いた。
それでもまだまだ図体は大きく、値段も高かった。
初めて我が家で購入したワープロは、12万円くらいしたのを覚えている。
富士通などは、親指シフトという独特の入力方式を開発し、
年長の友人たちはそれに習熟していった。
彼女たちより二世代ほど若かった私は、英文タイプに慣れていたので、師匠の教え通りにはしなくて、ローマ字入力から入った。
(今、思えば、彼女たちは英文入力もできるけれど、効率を優先して、親指シフトを採用していた可能性が高い。)
私は、たちどころにワープロというマシーンのとりこになり、
一時は、これを仕事にできないかと思ったほどだった。
当時、夫は、5.25インチ(たぶんこのサイズ)のフロッピーを出し入れする私を横から見ていて、
「この人、すごいな」と思った、と後に語っていた。

やがて、その彼自身が、パソコンに習熟し、
私にはさっぱりわからない用語を駆使して、自作さえするようになっていくのだが、、、。
文系なのに、学校ではパソコンも教えるようになっていった。

この世界は日進月歩。
私も、この大先輩に初期の手ほどきをしてもらったのに、
今や、一人で大きくなったような顔をして(笑)、
zoomや動画の編集の話などをして、彼女をきょとんとさせている。
なんちゅう恩知らずな奴だ・・・(笑)

が、常に最先端にいたこの先輩は、
1990年代には、
介護保険制度の実現のために、すでに高齢者当事者として、
活動されていたのだった。

久しぶりにお会いして、
最近読まれたという新刊の話などもされ、
語り合っていても興味が尽きない。
老いの繰り言もなく、日々、思いを新たにして過ごしておられるこの方と、交流の続いていることを感謝しつつ、
帰路についた。

う~ん、背筋、伸ばそ! と思う。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック