亡くなるということ2021/11/16 11:02

この頃、すでに亡くなった友人、知人のことをよく思い出す。

中でも昨年、亡くなった少し年上の友人は、
自宅を引き払ってグループホームに入る頃に会っていたので、ショックが大きかった。
引っ越しの手伝いに行きますよ、と言っていたのだけど、
「何か形見でも持って帰ってください」と書いてきたので、
「形見なんて、、、」と即座に、
「細々とでも、長生きして、いっしょにこの世の中の動きを見ましょうよ」と返した。
しかし、彼女はもう、この世のつながりを断つような気分で、自宅を引き払ったのかもしれない。
生きながら、もう、「形見」を分けるつもりだったのかも。

彼女が亡くなったことは突然で驚いたが、
彼女の失意の感じは想像している。
お金が無くなって来た、と言うより、娘さんが彼女のお金の使い方に驚いて、地域包括支援センターに管理を委託したらしかった。
だから、自由に使えるお金がほとんどなかったようだ。
私のような者もそうだが、他人から見れば「?」となるようなところに、出費したりしているだろう。
活動団体へのカンパや寄付は、貧乏なくせにやり続ける。
そこへ持って来て、彼女は、病気が進んでいて不安だったのだろう。
私も彼女に勧められて、しばらく飲用したことのある〇二ジュースというネットワークビジネスを信頼していて、
「これから、一日一本ずつ飲もうと思っている」と言い出した時は、仰天した。
一本7000円ほどするものを毎日飲めば、一か月21万円ほどになる。
「え~っ」と私は呆然とした。
その後、私はあまりのネットワークのやり方に、彼女のことは信じているけど、「〇二ジュースはやめた」と告げていた。
「そうね、他の人も、効果がないと言ってたわ」と彼女は笑っていた。
そういう消費の仕方に、久しぶりに母親の家を訪れた娘さんはびっくりしたのだろう。
金銭の管理能力が落ちていることを、実感して、
地域包括支援センターに委託されたのだろうと思う。
そして、彼女は、一人暮らしに不安を兆し、グループホームに移ったのだ。
そして転居後、一か月ほどで、倒れたと聞いている。
それからは、ずっと入院が続き、私たち周辺の者には突然の訃報となった。

彼女には、もう、楽しみは少なかったかもしれない。
どこかに出かけていく楽しみもないだろうし、
体力の衰えを一人かみしめていたのかもしれない。
だから、気力が萎えていったのだ。

生きる力は、気力と関連するだろう。
希望も楽しみもなくなれば、もうこの世に用はない。
生きるだけの気力もわいてこない。

がんばる意味もない。

枯れるようにこの世を去るしかないのだ。

亡くなるまでの半年のことは想像するしかないが、
たぶん、もう、意欲をふるいたたせるものはなくなっていたのだろう。

せめて、携帯かスマホを持っていてくれればと思うが、もう、不要と判断されたのだろう。
それとも、ネットワークビジネスの人と連絡を取るから、シャットダウンされてしまったのかもしれない。
そのあたりは、娘さんに聞かないとわからないが、
小学生の頃にお会いしたきりだから、聞くすべもない。

外部と連絡を取って、つながっていることは、
たとえ体が不自由になっても必要かなと思った。
一昨年の私の手術の後は、娘も息子も友人もとても心配してくれていたので、
おまけに、大学の採点の仕事まで、ベッドの上で電話とネット越しにやっていたので、あの時は死ぬという状況には至らなかったのだと思う。

最後まで、外部とつながる、ということの意味をふと、思っている。

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