どうやら、生き延びたのか2019/08/28 16:35

娘が帰阪中だったので、病弱なところのある娘を楽しませたくて、急に思いついてプチ旅行。

その前にお墓参りにも付き合ってくれて、
炎天下をだいぶん歩かせてしまって、疲れさせたかなとちょっと心配していた。

ところが、結局、私が宿泊先でダウン。
思い出すのも怖い腹部の激痛で(書いているだけでお腹がきりきりする(汗))、
夜中から苦しみ出し、朝になって耐え切れずに救急車を呼んでもらった。
これは、もう、何かあるのだ、と自分でもわかったが、脂汗がじわっと出る中、痛い痛いとのたうちまわる私。
娘がさぞつらかっただろう。
結局、ホテルの近くの病院に運ばれて、緊急手術。
検査の間中、苦しんでいたが、
麻酔の後は、何があったか、当然のことながらわからない。
後で、医師の説明を聞いた。

12年前の大腸がんの手術で癒着した大腸の隙間に小腸が入り込んでいて、腹腔鏡で見ると、小腸が真っ黒に壊死して血の混じった腹水がたまっているのが見えたので、これはアカンと、急きょ、開腹手術に切り替えたとのこと。
早く運ばれてきて手術できたので助かったが、半日放置すれば危ない、一日経てば確実に命を落とす、というようなものらしい。
子育ての頃に知った、赤ちゃんの腸重積がまさにそれで、赤ちゃんが異様に痛がって泣くなら、腸重積を疑うべきで、24時間以内に手術しなければ命は助からない、という情報を思い出した。
そんなことにだけはどうぞなりませんように、と願いながら子育てをしていたが、今になって、自分がその大人版になったのだった。

なんか、そんなすごい状況で、間に合って、診断されて手術してもらって、助けられたのだ。
生き延びたのだな、一応、な。

これまで、近代医学によって、3回、命拾いをしたことになる。
1回目は娘を産んだ時。1700ml出血した。
急きょ、リンゲルで輸液。
意識が遠ざかるのを、「寝てはだめ」と、看護師さんたちにうるさいほど話しかけられて、応答していたが、
やがて周りが静かになったので、つきっきりの一人の看護師さんに、
「私、どうなってるんですか?」と尋ねたら、
「もう、大丈夫ですよ。峠を越しましたからね」と言われた。
「私、危なかったんですか?」と聞くと、
「一時は、ものすごくあわてたけどね、もう大丈夫よ」と年配の看護師さんがむっくりと答えてくれた。
病室に戻された時は、ものすごくむくんだ状態で、
自分の手がこんなに大きかったかと何度も眺めていたのを覚えている。

2回目は、大腸がんの手術。同じ病気で、何人もの友人知人が亡くなっている。
癌細胞は腸壁に浸潤していたが、腸壁でとどまっていたタイミングで手術ができたので、良かったんだそうだ。

そして、今回。

もうちょっと生きろ、ということかなと、元気を出そうとしている。
が、なんだか、退院した翌日のきのう、朝目覚めたら、ものすごく顔がむくんでいて、別人みたいになっている。
心配して来てくれていた友人がびっくりしていた。
私の方は、鏡さえ見なければ顔のむくみのことは忘れているのだが、
友人は私の顔を見る度に心配そうな顔になる。
で、あ、私、変なんだ、と思い出す感じ。

原因はわからない。
あんな大変な手術をしたのだから、何か起こったのか?
まぁ、もう考えてもわからないから、いいや。
とにかく腎臓を診てもらっている病院の予約をした。

そのうち、鏡を見ても、前からこういう顔だったのかと、慣れてしまうような気はする。
とにかくパンパンに腫れている。特に目がすごい。
しかし、体調はそんなに悪い感じはしないので、
つい、呑気な気持ちになる。

娘をいたわりたかったのに、こっちがさんざんいたわってもらった。
早くよくなって、娘の頼りになる母になりたいと、それを切に思う。

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