私は女の人が怖い ― 2025/01/19 09:01
正直に言うと、ほんとうに女の人が怖い。
昔、自分には男のファンがたくさんいて、その中に複数の愛人もいる、と豪語していた友人は、
「男の嫉妬の方が怖いよ」と言っていた。
それもよく聞く話だ。
男たちは、権力を持っている分、怒らせると怖い。
その言葉を言った友人は、
女に対しては、小ずるい策を弄していた。
私などは簡単にひっかかってしまう小技を使って、他の女性の位置を押し下げる動きをしていた。
それなどは、彼女の習い性とも言うべきもので、深慮遠謀の表れではないように思う。
だから、私も、彼女の周りの友人たちも、その「悪い癖」については見逃していた。
目立たず、小さな「誹謗中傷」で、こっそりと、女友達の評価が落ちるように仕向ける。
そう、それは、彼女の「天然の行為」にすぎないので、すさまじい攻撃などで被害を受けた経験をすると、彼女のような人は「敵」ではないのだから、「ま、いっか」となる。
しかし、その深く企まれたわけでもない「小さな悪意」は、時折、その行為の対象となった人に、甚大なダメージを与えることもある。
実は、それが怖いのだ。
冒頭の友人は、
私は仕事の場面がほとんど重ならなかったので、
大した被害は受けなかった。
ま、被害はあったことはあったけどね。
しかし、この「習い性」を身につけた女性たちによって、
「敵」としてターゲットにされてしまった場合、
歩く道が罠だらけで、
私のようなぼんやりした者は、罠にはまりまくる。
気がついて、その道を歩くのをやめた時には、満身創痍だ。
罠を仕掛けた人を恨んでばかりいたが、
まあ、私のぼんやりぶりも大概だ、と、最近は思うようになった。
罠にかかりやすい私の事情もある。
自分に尖った物を向け始める相手を、正しく見極められない。
危機感が薄いというか、
優しく、正しく、誠意を持って相手に向き合えば、わかり合えると、思い込んでいたりする。
だって、そんなドラマが多いじゃないか。
主人公の誠意が通じる瞬間とかがあるじゃないか。
しかし、現実にはそれはない。
なにしろ、人は「正しさ」とか「誠意」の基準が違う。
相手が正しいと信じているものを
私が正しくないと認識していれば、齟齬しか生まれない。
ドラマは単純だ。
一つの正義、一つの誠意が、すべての登場人物に共有される。
そうはいかないのが現実社会だ。
女性たちは、習い性で、
気に入らない者を、「陰口」という武器で追い落とす。
彼女たちにとって、気に入らない者の言動はすべて、攻撃のネタになる。
すべてが、彼女たちの邪推を活発にし、隠密行動を活性化させる。
「陰口」という武器は、私には太刀打ちできない武器だ。
使いこなせないし、防衛するのも、苦手だ。
が、この「陰口」という武器はことのほか、威力を発揮する。
なぜか、この「陰口」が効果を発揮する下地が、存在する場合がある。
私が目にした「陰口」戦略を駆使する集団は、
みな、女性たちだった。
だから、私は女性が怖いのだ。
「陰口」は、様々な装いをもってささやかれる。
被害者を装った場合、(あくまで装っている場合ね)、
悪意を持って、言葉巧みに、いかにもありそうな事例をでっち上げて表現される場合、
悪意はないが、表現力が豊かで、真に迫った物言いでなされる場合。
私は基本的に、
「〇〇さんが、あなたのことを××と言っていたよ」とは言わない。
聞かされた方も愉快ではないだろうし、
言った本人も、一時的な感情でこぼしてしまったかもしれず、
大事(おおごと)にしない方針だからだ。
人はしばしば失言する。
私もするけどね。
それを後生大事に持っている必要はない。
その場のはずみ、ただのアホ、うっかり、
など、いくらでもミスは転がっている。
だが、そこに食いついて、伝播させるタイプの人がいる。
そこに食いつくのは、
たいてい、基底に、「悪意」が巣くっている人だ。
悪意か、不満か、不遇感か、とにかく、そういったネガティブな感情が支配しているときだ。
そういう人が「陰口」を聞いたとき、
それはその人の格好の武器と変わる。
しかも、時に、非常に破壊力のある武器となる。
話に尾ひれがつくかもしれない。
伝える必要もないのに、わざわざ伝えることもある。
悪意を持って、その小さな「誹謗中傷」を既定の事実であるかのように、流布させる人もいる。
火種はだんだん大きくなる。
甚大な被害に結びつく頃、そういう人は、自分が何をしたか、と言うことも忘れていたりする。
自分がどういう役割を果たしたか、など自覚はない。
「だって、みんながそう言っているんだもの」としか思わない。
時には、自分ではなく、「みんな」がそう言っていた、としか思わない。
結果は重大だ。
実際に、それで破壊されてきた人々、人の絆、そのようなものをたくさん見てきた気がする。
女の人は怖い。
これは、私の正直な実感。
昔、自分には男のファンがたくさんいて、その中に複数の愛人もいる、と豪語していた友人は、
「男の嫉妬の方が怖いよ」と言っていた。
それもよく聞く話だ。
男たちは、権力を持っている分、怒らせると怖い。
その言葉を言った友人は、
女に対しては、小ずるい策を弄していた。
私などは簡単にひっかかってしまう小技を使って、他の女性の位置を押し下げる動きをしていた。
それなどは、彼女の習い性とも言うべきもので、深慮遠謀の表れではないように思う。
だから、私も、彼女の周りの友人たちも、その「悪い癖」については見逃していた。
目立たず、小さな「誹謗中傷」で、こっそりと、女友達の評価が落ちるように仕向ける。
そう、それは、彼女の「天然の行為」にすぎないので、すさまじい攻撃などで被害を受けた経験をすると、彼女のような人は「敵」ではないのだから、「ま、いっか」となる。
しかし、その深く企まれたわけでもない「小さな悪意」は、時折、その行為の対象となった人に、甚大なダメージを与えることもある。
実は、それが怖いのだ。
冒頭の友人は、
私は仕事の場面がほとんど重ならなかったので、
大した被害は受けなかった。
ま、被害はあったことはあったけどね。
しかし、この「習い性」を身につけた女性たちによって、
「敵」としてターゲットにされてしまった場合、
歩く道が罠だらけで、
私のようなぼんやりした者は、罠にはまりまくる。
気がついて、その道を歩くのをやめた時には、満身創痍だ。
罠を仕掛けた人を恨んでばかりいたが、
まあ、私のぼんやりぶりも大概だ、と、最近は思うようになった。
罠にかかりやすい私の事情もある。
自分に尖った物を向け始める相手を、正しく見極められない。
危機感が薄いというか、
優しく、正しく、誠意を持って相手に向き合えば、わかり合えると、思い込んでいたりする。
だって、そんなドラマが多いじゃないか。
主人公の誠意が通じる瞬間とかがあるじゃないか。
しかし、現実にはそれはない。
なにしろ、人は「正しさ」とか「誠意」の基準が違う。
相手が正しいと信じているものを
私が正しくないと認識していれば、齟齬しか生まれない。
ドラマは単純だ。
一つの正義、一つの誠意が、すべての登場人物に共有される。
そうはいかないのが現実社会だ。
女性たちは、習い性で、
気に入らない者を、「陰口」という武器で追い落とす。
彼女たちにとって、気に入らない者の言動はすべて、攻撃のネタになる。
すべてが、彼女たちの邪推を活発にし、隠密行動を活性化させる。
「陰口」という武器は、私には太刀打ちできない武器だ。
使いこなせないし、防衛するのも、苦手だ。
が、この「陰口」という武器はことのほか、威力を発揮する。
なぜか、この「陰口」が効果を発揮する下地が、存在する場合がある。
私が目にした「陰口」戦略を駆使する集団は、
みな、女性たちだった。
だから、私は女性が怖いのだ。
「陰口」は、様々な装いをもってささやかれる。
被害者を装った場合、(あくまで装っている場合ね)、
悪意を持って、言葉巧みに、いかにもありそうな事例をでっち上げて表現される場合、
悪意はないが、表現力が豊かで、真に迫った物言いでなされる場合。
私は基本的に、
「〇〇さんが、あなたのことを××と言っていたよ」とは言わない。
聞かされた方も愉快ではないだろうし、
言った本人も、一時的な感情でこぼしてしまったかもしれず、
大事(おおごと)にしない方針だからだ。
人はしばしば失言する。
私もするけどね。
それを後生大事に持っている必要はない。
その場のはずみ、ただのアホ、うっかり、
など、いくらでもミスは転がっている。
だが、そこに食いついて、伝播させるタイプの人がいる。
そこに食いつくのは、
たいてい、基底に、「悪意」が巣くっている人だ。
悪意か、不満か、不遇感か、とにかく、そういったネガティブな感情が支配しているときだ。
そういう人が「陰口」を聞いたとき、
それはその人の格好の武器と変わる。
しかも、時に、非常に破壊力のある武器となる。
話に尾ひれがつくかもしれない。
伝える必要もないのに、わざわざ伝えることもある。
悪意を持って、その小さな「誹謗中傷」を既定の事実であるかのように、流布させる人もいる。
火種はだんだん大きくなる。
甚大な被害に結びつく頃、そういう人は、自分が何をしたか、と言うことも忘れていたりする。
自分がどういう役割を果たしたか、など自覚はない。
「だって、みんながそう言っているんだもの」としか思わない。
時には、自分ではなく、「みんな」がそう言っていた、としか思わない。
結果は重大だ。
実際に、それで破壊されてきた人々、人の絆、そのようなものをたくさん見てきた気がする。
女の人は怖い。
これは、私の正直な実感。
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