選択2019/08/04 14:20

ある機関の責任者のポジションへの打診があった。
最初、前向きな返事をしていたのだが、
どうも、激務となりそうな予感。
一度、経験しているから、前よりは賢くなった。
あれこれ、考えると、今の状況からさらにその仕事を引き受けたりしたら、私、死ぬなぁと思った。

で、断ろうと思う。
からだも衰える一方だし、寝る間もないほど働いたり、
嘗てのようなストレスをかかえるには、もう盛りを過ぎた。

もうちょっと若かったら、考えたかも、という感じ。

そう言えば、以前、病気で退職した直後も、
ある施設の責任者のポジションをオファーされた。
その時は、癌が見つかる前で、からだの調子があまりにも悪く、
無理だと思って断った。

断って正解だったろう。
たぶん、もう死んでた。

無駄に長生きしたいとも思わないが、やはり、もうちょっと生きて、
見極めたいことが自分なりにある。

この年で過労になるのは、もう避けた方がよいだろう。
だから、今回の話も、明日、断ろうと思っている。
代わりに推薦したい人がいるのだが、特に名前が通っているわけではなく普通に現場で働いてきた人だから、喜ばれないかもしれない。
こういうポジションというのは、その業界でそれなりのポジションにいた人が望まれる。
だから、いくら業界で長くても、全く無名の人というわけにはいかないのだろう。
だからと言って、私のような年寄りに、現場仕事を期待するのも間違っている。
キャリア、専門性、そして実務労働、これらが具備されている人物を求めるのは、欲張り過ぎだ。
実務労働をこなすには、まだ若くて体力もあって、つぶしのきく人でないと無理だし、キャリア・専門性を望むなら年齢も高くなるし、名誉職に近い待遇でないと無理だ。

私は労働を厭う気はさらさらないが、もうからだがついていかない。
本当は、まだこれから収入の道があるのはありがたかったので、引き受ける気でいたのだが、まぁ、仕方がない。
無理は無理。

そう言えば、昔、超有名人(今日もテレビに出ている)からオファーがあったことがある。
一晩考えて断った。
あれも正解だったのだろう。

母は昔、撮影所に友達と遊びに行って、映画出演の声をかけられたことがあったそうだ。
主人公の妹のイメージにぴったりだと言われたそうだ。
美人の母には、ありそうな話だ。
が、持ち帰って親と相談したのか、その場で断ったのか、忘れたが、
とにかく、そのエピソードだけが思い出として語られていた。

人生の途上で、選択を迫られて、決断しないといけないことは何度もあるのだろうが、
私が今までにした決断というのは、
なぜか危険を回避した感じだけが残るので、
後悔はない。
唯一、病気で退職した職は、ほんとうは引き受けなかった方がよかったのかもしれないが、それでも苦労したおかげでいろいろなことが見えたし、少しは私も賢くなった。
苦しくて人生の最大の難関だったが、鍛えてもらった。
もちろん、まだ回復してはいない。
たぶん、死ぬまで、この後遺症は尾を引くだろう。
人が人をどのように苦しめるのか、なぜ苦しめるのか、そのようなことを少しは分かったような気がする経験だ。
タフではない私の貴重な試練だった。
終生のトラウマだが、終生の課題ともなった。
今後も、ここが起点になって、なすべきことを決めていく感じがしている。

どうやら、生き延びたのか2019/08/28 16:35

娘が帰阪中だったので、病弱なところのある娘を楽しませたくて、急に思いついてプチ旅行。

その前にお墓参りにも付き合ってくれて、
炎天下をだいぶん歩かせてしまって、疲れさせたかなとちょっと心配していた。

ところが、結局、私が宿泊先でダウン。
思い出すのも怖い腹部の激痛で(書いているだけでお腹がきりきりする(汗))、
夜中から苦しみ出し、朝になって耐え切れずに救急車を呼んでもらった。
これは、もう、何かあるのだ、と自分でもわかったが、脂汗がじわっと出る中、痛い痛いとのたうちまわる私。
娘がさぞつらかっただろう。
結局、ホテルの近くの病院に運ばれて、緊急手術。
検査の間中、苦しんでいたが、
麻酔の後は、何があったか、当然のことながらわからない。
後で、医師の説明を聞いた。

12年前の大腸がんの手術で癒着した大腸の隙間に小腸が入り込んでいて、腹腔鏡で見ると、小腸が真っ黒に壊死して血の混じった腹水がたまっているのが見えたので、これはアカンと、急きょ、開腹手術に切り替えたとのこと。
早く運ばれてきて手術できたので助かったが、半日放置すれば危ない、一日経てば確実に命を落とす、というようなものらしい。
子育ての頃に知った、赤ちゃんの腸重積がまさにそれで、赤ちゃんが異様に痛がって泣くなら、腸重積を疑うべきで、24時間以内に手術しなければ命は助からない、という情報を思い出した。
そんなことにだけはどうぞなりませんように、と願いながら子育てをしていたが、今になって、自分がその大人版になったのだった。

なんか、そんなすごい状況で、間に合って、診断されて手術してもらって、助けられたのだ。
生き延びたのだな、一応、な。

これまで、近代医学によって、3回、命拾いをしたことになる。
1回目は娘を産んだ時。1700ml出血した。
急きょ、リンゲルで輸液。
意識が遠ざかるのを、「寝てはだめ」と、看護師さんたちにうるさいほど話しかけられて、応答していたが、
やがて周りが静かになったので、つきっきりの一人の看護師さんに、
「私、どうなってるんですか?」と尋ねたら、
「もう、大丈夫ですよ。峠を越しましたからね」と言われた。
「私、危なかったんですか?」と聞くと、
「一時は、ものすごくあわてたけどね、もう大丈夫よ」と年配の看護師さんがむっくりと答えてくれた。
病室に戻された時は、ものすごくむくんだ状態で、
自分の手がこんなに大きかったかと何度も眺めていたのを覚えている。

2回目は、大腸がんの手術。同じ病気で、何人もの友人知人が亡くなっている。
癌細胞は腸壁に浸潤していたが、腸壁でとどまっていたタイミングで手術ができたので、良かったんだそうだ。

そして、今回。

もうちょっと生きろ、ということかなと、元気を出そうとしている。
が、なんだか、退院した翌日のきのう、朝目覚めたら、ものすごく顔がむくんでいて、別人みたいになっている。
心配して来てくれていた友人がびっくりしていた。
私の方は、鏡さえ見なければ顔のむくみのことは忘れているのだが、
友人は私の顔を見る度に心配そうな顔になる。
で、あ、私、変なんだ、と思い出す感じ。

原因はわからない。
あんな大変な手術をしたのだから、何か起こったのか?
まぁ、もう考えてもわからないから、いいや。
とにかく腎臓を診てもらっている病院の予約をした。

そのうち、鏡を見ても、前からこういう顔だったのかと、慣れてしまうような気はする。
とにかくパンパンに腫れている。特に目がすごい。
しかし、体調はそんなに悪い感じはしないので、
つい、呑気な気持ちになる。

娘をいたわりたかったのに、こっちがさんざんいたわってもらった。
早くよくなって、娘の頼りになる母になりたいと、それを切に思う。

私は環境だったのかも2019/08/29 10:49

12日間の入院中、ネコの世話を誰かにしてもらわないといけない。
もう、排泄物も、トイレ以外にやってしまうし、動きもとろとろしているし、老猫の世話は大変だ。

娘が帰阪中は、娘がみてくれていた。
彼女は一番、頼りになるし、安心できる。
きめ細かくいろいろケアをしてくれる。

で、彼女が帰ったあと、息子と友人に頼んだ。
息子は仕事が長時間なのと、出張が入っていて、あまり来てもらえない。
もっぱら、友人を頼りにした。

が、ある日、病院にやって来た友人はものすごく深刻な顔で、
ネコの動画を見せて、
「もう、あかんと思うわ。一人の時にあかんようになったらと思うと怖い」と言う。
この友人、超ビビりなのを思い出した。
私は、
「いつもと同じように見えるけどね」と言うと、「わかってもらえない」と、深くため息をつく。
いや、ため息をつきたいのは私の方で、開腹手術からまだあんまり日は経っていなくて、自分のからだが思うようにならないのだ。
が、もう、私が帰るより仕方がないかもしれないと思った。
友人は、私の反応がイマイチなのでいやだったのか、
「あかんとなったら、すぐに冷蔵庫に入れるけど、いいね!」と言った。
おっと!
本当に死んでしまうよ、それは。

友人に「もう猫の世話はいいよ」と言って、
息子に行けるかどうか尋ねたら、「行くよ」との返事。
ようやく、ホッとした。
息子が無理なら、退院も近いことだし、外出許可を取って、私が帰るしかないと決心していたが、それはしないで済んだ。
ネコは、いつ、どうなってもおかしくない年齢だし、老衰ぶりだ。
が、まだ食欲もあるし、そんなに危ないとは思えなかった。

結局、息子がネコの無事を伝えてくれ、退院したら、いつも通りのネコがいた。

ネコの死に目に、自分が一人で遭遇することを恐れまくっていた友人は、私の退院に合わせて、とても献身的にサポートしてくれた。
他のことなら、何でもします! という健気さだった(笑)

まぁ、誰でも得意不得意はあるからな。
この友人は、別のネコが子猫の時も、
「この子、もう目がつぶれてる!!」と絶望的になっていたことがあるが、
「え? 大丈夫でしょう」と、私が濡れタオルでそっと目を拭って目ヤニを取ってやったら、ものすごくビューティフルな目をぱっちり見開いてくれたことがある。
そうだ、この手のことが苦手だったのだと改めて了解。

で、うちのネコちゃんだが、元通り、ゆっくり動いてはがつがつ食べている。
友人曰く、「あなたが帰って来て、活気が出たみたい」とのこと。
それもあるのかもしれないとも思う。
うちのネコちゃんにとって、私の存在は、安全な生存環境のことなのかもしれない。
私の存在、それは誰か(たとえばネコちゃん)の安らげる環境ということであるなら、がんばって存在していなければ、と思うのだ。

外科手術2019/08/31 20:00

からだに穴を開けたり、からだを切って内蔵を取り出す、などということは、やはり、大きなダメージを与えるものなのだろう。

以前の手術では、術後の呼吸の練習なんかしたけれど、
今回は緊急手術なので、そんなことは当然しないわけだ。
全身麻酔は、あっという間に眠ってしまうので、
声をかけられたら、もう、手術は終わっていた、ということしか経験がない。
ちゃんと自発呼吸もできて、経過も順調、という経験だ。

ただ、二回、お腹にメスを入れて思ったのは、
これはやはり大変なことだということ。
怪我と違って、十分に生命の維持を保証された環境下で行われることなので、生還できているのだけど、
傷は深いわけだ。

だから、やはり、からだが「怪我したよ~」と言っている感じ。
傷が深かったんだよ~、と、まだちょっとショックから立ち直っていない感じ。
おまけに今回は、すさまじい痛さで運ばれているので、
そのトラウマもなかなか消えない。

ダメージが大きい感じがする。
顔のむくみはだいぶんひいて、いろいろもとに戻っているのだけど、
まだ、ショックが残っている。