雑感 ― 2017/06/22 12:28
自分の外部にある(あった)ものをなぞるしか、
自己表現なんてできないんじゃないか。
昔、それまで遠ざけられていたカウンセリングがブームのようになって、
カウンセリングを受ける人、
カウンセラーを目指す人が増えた頃、
その手法について、あれこれ考えた。
友人で、
「向いてるんだから、カウンセラーになればいいのに」と薦めてくれる人もいたが、
向いているとは思わなかった。
しょっちゅう、人から相談は受けていたが、
職業カウンセラーになりたいとは思わなかった。
当時、まだ開発中のカウンセリング手法が流通していて、
それを実践する人が、教条主義的なやり方をしているのを見て、
「違うんじゃないかなぁ、、、」と思っていた。
今なら、また、その後の新たな気づきがたくさん活用されて、
より包括的な実践をしているのかもしれないけれど。
それにしても、
「自分らしく」ということばの功罪がめんどくさいくらいあって、
私のまわりの多くの女性たちが
「自分探究」の旅に出て行った。
そして、冒頭の一文に戻る。
自分の外部にある(あった)ものをなぞるしか、
自己表現なんてできないんじゃないか、と。
「自分」とか「私」とか、結構、抽象的な概念なので、
そんなものを掘り下げても、何も出て来ない。
(金子光晴の「くらげの唄」なんか思い出す。)
というようなことを、
思索に耽る癖のある、
言語化する以外に表現手段を持たない、
私のような、ある意味「うつけもの」の、
折々の雑感。
自己表現なんてできないんじゃないか。
昔、それまで遠ざけられていたカウンセリングがブームのようになって、
カウンセリングを受ける人、
カウンセラーを目指す人が増えた頃、
その手法について、あれこれ考えた。
友人で、
「向いてるんだから、カウンセラーになればいいのに」と薦めてくれる人もいたが、
向いているとは思わなかった。
しょっちゅう、人から相談は受けていたが、
職業カウンセラーになりたいとは思わなかった。
当時、まだ開発中のカウンセリング手法が流通していて、
それを実践する人が、教条主義的なやり方をしているのを見て、
「違うんじゃないかなぁ、、、」と思っていた。
今なら、また、その後の新たな気づきがたくさん活用されて、
より包括的な実践をしているのかもしれないけれど。
それにしても、
「自分らしく」ということばの功罪がめんどくさいくらいあって、
私のまわりの多くの女性たちが
「自分探究」の旅に出て行った。
そして、冒頭の一文に戻る。
自分の外部にある(あった)ものをなぞるしか、
自己表現なんてできないんじゃないか、と。
「自分」とか「私」とか、結構、抽象的な概念なので、
そんなものを掘り下げても、何も出て来ない。
(金子光晴の「くらげの唄」なんか思い出す。)
というようなことを、
思索に耽る癖のある、
言語化する以外に表現手段を持たない、
私のような、ある意味「うつけもの」の、
折々の雑感。
男の人は、皆、双眼鏡を持っている ― 2017/06/22 12:48
久しぶりに息子が電話をくれた。
ランチをした後、義姉の家を二人で訪ねてみた。
義姉は、とても元気。
(S姉、ケアマネさんの話でも、最近、とても元気とのこと。)
息子にも、
「久しぶりやね~」と喜んでくれる。
息子は、彼女の状態を私から聞いているので、
なんとか、思い出し作業をしてもらおうと、
彼女の姪や甥の名前を、自分も忘れたふりをして尋ねていた。
が、出てこない。
と言うより、
「忘れたわ」と、あっさり、話題から外す。
この元気さ、明るさは、ひょっとして、
自分の記憶力の衰えを、もう直視しなくなったせいかもしれない。
少し前は、記憶力の衰えを悲しみ、不安がっていた。
なんだか、それがつきぬけちゃった、というように見える。
不安や悲しみを感じるのは、まだ、事態を把握しようという意欲があったせいなのではないか。
しかし、息子はその元気な義姉しか見ていないので、
たぶん、事態の深刻さには気づかないだろう。
と言うか、こいつは(あ、もとい! この子は)、いつも、
大変な最中にはいなくて、一段落したような良い状況に居合わせることが多い。
ちょっとむかつく。
半分下りていたベランダのブラインドを息子が上げるので、
義姉は、
「向かいのビルから見られるかも」と言う。
確かに、だいぶん離れてはいるが、ビルの窓が並んでいる。
義姉曰く、
「ほら、男の人って、みんな双眼鏡を持ってるでしょ?」
「みんな?」息子が聞き返す。
「そう、みんな双眼鏡を持ってるやん。それで見てたりするねん」と、真顔で、何度も言う。
「男の人は、皆、双眼鏡を持っている」というのは、
私も何度も聞いた。
息子は、
「みんな持ってるの?」と、大ウケ。
結局、明るい義姉と、
とても機嫌よくさよならをして辞去した。
彼女の家の近くに、おいしいと評判のパン屋さんがあって、
おみやげに買って行ったが、
たぶん、食べるのを忘れたまま、どこかにいってしまっただろうなと、
ちょっと後悔している。
ランチをした後、義姉の家を二人で訪ねてみた。
義姉は、とても元気。
(S姉、ケアマネさんの話でも、最近、とても元気とのこと。)
息子にも、
「久しぶりやね~」と喜んでくれる。
息子は、彼女の状態を私から聞いているので、
なんとか、思い出し作業をしてもらおうと、
彼女の姪や甥の名前を、自分も忘れたふりをして尋ねていた。
が、出てこない。
と言うより、
「忘れたわ」と、あっさり、話題から外す。
この元気さ、明るさは、ひょっとして、
自分の記憶力の衰えを、もう直視しなくなったせいかもしれない。
少し前は、記憶力の衰えを悲しみ、不安がっていた。
なんだか、それがつきぬけちゃった、というように見える。
不安や悲しみを感じるのは、まだ、事態を把握しようという意欲があったせいなのではないか。
しかし、息子はその元気な義姉しか見ていないので、
たぶん、事態の深刻さには気づかないだろう。
と言うか、こいつは(あ、もとい! この子は)、いつも、
大変な最中にはいなくて、一段落したような良い状況に居合わせることが多い。
ちょっとむかつく。
半分下りていたベランダのブラインドを息子が上げるので、
義姉は、
「向かいのビルから見られるかも」と言う。
確かに、だいぶん離れてはいるが、ビルの窓が並んでいる。
義姉曰く、
「ほら、男の人って、みんな双眼鏡を持ってるでしょ?」
「みんな?」息子が聞き返す。
「そう、みんな双眼鏡を持ってるやん。それで見てたりするねん」と、真顔で、何度も言う。
「男の人は、皆、双眼鏡を持っている」というのは、
私も何度も聞いた。
息子は、
「みんな持ってるの?」と、大ウケ。
結局、明るい義姉と、
とても機嫌よくさよならをして辞去した。
彼女の家の近くに、おいしいと評判のパン屋さんがあって、
おみやげに買って行ったが、
たぶん、食べるのを忘れたまま、どこかにいってしまっただろうなと、
ちょっと後悔している。
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