「憎たらしいおじさん」補足2016/01/16 08:41

 昨日は言葉が足りませんでした。

 「憎たらしいおじさん」というのは、おじさんが憎たらしい、という意味ではありません。
 世の中には、「憎たらしいおじさん」と、そうではないおじさんがいるように思います。
「憎たらしいおじさん」と私が思うのは、まず「女」をバカにしている人のことです。「女」と見ると、ナメテかかる。だから、「女」が対等にものを言っていると、むかついてくるらしく、余計に尊大な態度をとったり、攻撃的になったりします。

 昔、ある公共施設で市民の会合があったとき、私はたまたまその場のファシリティターのような役割だったのですが、終わってから、一人の年配の男性が私に言いました。
「ここでは、男が差別されている」と。
「???」
参加者は、女性が圧倒的に多かったと思います。でも、男性を差別するような発言もなかったし、はじめ、その男性が言っている意味がわかりませんでした。
で、継続してその人と接する機会があって、「あ」と気づきました。
その人は、「男」であることによって優遇されることが「当たり前」の状況で生きてきたので、その「当たり前」がない会合が、居心地が悪いのでした。
彼が現役だった時代は、女の人は、上座を「男」の彼に譲り、
「男性のご意見を、、、」と意見を聞きたがり、お茶を淹れてくれるものだったようです。それが「当たり前」だったのだと思われます。
そういう光景を、かつて私も見たことがあります。
「男の人は立てといたらよろしい」と、言っている「おばさん」もいました。

が、その会合は、そういうセンスの女性はいなかったので、彼は、その中の「一人」でした。それ以上でもそれ以下でもなく、まったく平等な一員でした。
しかし、それは、優遇されることに慣れている男性には、冷遇としか思えなかったようです。

昔は、「男の一番アホと女の一番賢いのとを比べても、男の方が賢い」というようなアホなことを平気で言うおじさんがいましたが、
近年の大学生は、
「女性の方が賢い」と真顔で言います。
もちろん、適性の多様さや個人差などがあるのですから、どっちの言い分も雑で不正確ですが、時代の流れを感じます。

「女」と見ると、ナメテかかるような人は減っています。全体的に、センスが良くなって、横にいる人をちゃんとリスペクトできる人が増えているように感じています。
でも、まだ、人をリスペクトするセンスを養っていない人にも遭遇します。それが露骨に表れている人が男性に多いように感じられ、そういう人を「憎たらしいおじさん」と表現しているわけで、
決して、男性全般を批判したのではない、という補足説明でした!