変化する母2015/06/08 19:56

 今度の水曜日(明後日)に退院の予定です。でも、それが待てない母。

 今日は、母が落ち着いていた時期に頼まれて引き受けた仕事の日。昨日は、その準備をしていたので、病院に行くのが遅くなり、
「今日は、もうパスさせてもらおうかな?」と思った矢先、病院から電話が来ました。
「顔を見せてもらったら、落ち着かれると思いますので」とのこと。
やっぱり、行きました。

うまくバスの時間が合ったので、割合早く病院に着きました。母が看護師さんを相手に、駄々をこねているところでした。
私が顔を見せないので、怒っていたみたいです。一生懸命なだめて、しばらく母の手を握り、横にいると、だんだん落ち着いてきました。やがて、やっと眠りにつき始めました。が、時折、目を開けて、私の姿を見ては目を閉じます。なかなか帰ることができませんでした。

 看護師さんのご報告では、ベッドの柵を自分で抜いて(かなり重い)、下半身がベッドから落ちていたとのこと。寝たきりじゃなかったの?

 ふだんは出来ないはずのことを、なぜか時々やれる母。

 今日はイレギュラーな仕事だったので、比較的早く終わって、3時ころに病院に行きました。今日は、機嫌のよい、お利口さんの母でした。
でも、夕方、私は明日も仕事なので、母に
「今日は帰るね。明日も来るからね」と言うと、
「看護師さんと一緒に帰るの?」と聞きます。
「まさか」と否定しても、
「私はどうなるの? 私も帰る」と、言い出しました。
「一人で帰って、仕事をするんよ。お母さんも、明後日までがんばってね。明後日は、迎えに来て、一緒に帰るからね」と言うと、やっとうなずいてくれました。

「私はどうなるの?」という言葉は、なんとなく、耳になじんだ言葉。なんだか、母の口からよく聞いてきたような気がします。
見捨てられ不安があるのでしょうか。
時々、私のことを「お母さん」と呼ぶ母。

「M吉は忙しいから、なかなか来れないから」と言いながら、だから、誰かもう1人、存在するような言いぶりのことも。
今日、気づきました。
母には、もう1人、頼りになる人がいるような気がしているのだと思われます。誰とは特定できない。でも、いつも誰かを恃みにしている母には、きっといるような気のする人が存在するのでしょう。

でも、現実には、生身の私が引き受けるので、それはそれで、結構、厳しい状況ですが。

めまぐるしく、変化する母には振り回されっぱなしです。

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