サンライズとメロンパン2013/08/05 19:08

私はサンライズと呼ぶパン
 先日、テレビを何気なく観ていたら(何気なく観ていることが、実に多い)、菓子パンのメロンパンとサンライズの名前をテーマに検証していた。
まあ、お気楽な番組なのだけど、私は京都出身なので、サンライズと呼んでいたパンが、大阪に来て、メロンパンと言われていて、「え?」という驚きがあった。大阪では、サンライズのことを、どの人もこの人も「メロンパン」と呼ぶ。メロンパンと言えば、私の中では、アーモンド型の白あんが入った、全く別のパンの名前。

 この日常の小さな違和感は、結構、大きなショックだったみたいで、たまに私と同じようなパン認識を持っている人に出会うと、「そうよね、そうよね」と大喜び。
 昔、桂あやめさんも、このパンの名前の違いについて、とても面白い創作落語を作っておられたが、神戸出身の彼女は、京都と同じだった。

 で、まぁ、番組での調べによると、サンライズの元祖は、神戸のパン屋さんが「サンライズ」の名で売り出したものらしい。

 で、なぜ、大阪ではメロンパンと呼ぶようになったかと言うと・・・、あれ?忘れてしまった・・・(汗) なんとなく観ている、ということはこういうことなのだろうか?

 アンパンマンが関東方面にまで広げた、と言っていたのは断片的に覚えているのだけど、アンパンマンよりもっと早くに「メロンパン」という名前は大阪に広まっていたはずだからその原因は何?、、、と不審に思った。で、その時点で、私のテレビへの集中力は失われたのだった。

 それにしても、こうした話題に、妙に力がこもるのはなぜなのか、、、。
私の母は、私が子どもの頃から、「自分はおぜんざいよりもお汁粉の方が好きだった。親戚のお姉さん達から、変な子と言われていた」という話を繰り返し語っていて、80歳代の今も力をこめてその話をしているのを見て、この話題にここまで力がこもり、興味が尽きないのはなぜなのか? と不思議に思っていた。
 でも、私も、このメロンパンとサンライズには、思わず、力(りき)がはいるわ・・・。

 この日常の出来事の中の小さな違和感、あるいはマイノリティな感じ、というものは、社会的な文脈で説明されにくいので、いつまでも不消化のまま残るからだろうか? 自分の拠って立つ何かと関わりがあるのだと思うが、案外、存在の自己証明というような大層なテーマとリンクしちゃうのかも、、、。
 そう思うと面白いわ。

 はぁ~、暑さで茹だった頭だわ~。

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