10年経って、、、、2013/08/01 15:17

 10年間、いつも身につけていた物をなくしました。60㎝くらいのシルバーのチェーンに、円筒形のピルケースを吊した物。亡夫のお骨の少量を入れて、斜め掛けしてお守りのように持ち歩いていました。その後、愛猫のお骨の入ったピルケースが増え、2つ、吊していました。

 時々、「それは何ですか?」と尋ねられました。ネックレスのように首にかけるでもなく、バッグかと思えば小さなピルケース。持病があって薬を持ち歩いているのだと思う人もいたようです。

 それは、私の一部のように、どの服を着ても、掛けているものでした。

 フィットネスに行って、そこのロッカーに置き忘れたのです。帰宅してすぐに気づき、フィットネスに電話を入れました。使ったロッカーの番号を伝えて、見てもらったのですがありませんでした。閉店後、すべてのロッカーをチェックしてくださったようですが、それも無駄でした。
 後でロッカーを使った人が持ち去ったのでしょうか? 貴金属に見えた?
私にしか意味のない物なのに、、、。

 もう一つ、個人用のロッカーを借りているので、そこは私の鍵で開けないといけないので、今度、見てみようとは思っています。最近は、記憶違いも多いから、間違ってそちらに入れている可能性もないわけではない、、、。
 でも、わかっているんです。そこに移動させたりはしていなくて、探してもらったそのロッカーのポケットに入れて、取り忘れて帰ったのです。私より少し高い位置にあるそのロッカーは、ポケットの中が私の目の位置から見えなかったのです。(チビだもん、わたし、ぐすん・・・)

 たぶん、もう出てこないだろうと、諦め気分で、思います。
10年経ったんだよ、もうそろそろ、違う振り返り方をしてもいいんだよ。そう言われているような気もします。
 「幸せは、自分でなろうとしてなるものなんだよ」と言ったのは、20歳の彼。
 
 涙の量が愛の証ではないことはわかっているのですが、せめて泣くことをしなければ、好き勝手な生き方をして彼の苦悩をわかってあげなかった自分を許せなくて、いつまでも引きずります。
 涙は購いにはならないのに、自分を救いたいだけのわたし、、、。あぁ~、いやだわ、自分が。

 10年を節目と考えましょうか。私がいなくなれば、失われる思い出です。実体のないものにどれほど心を疲れさせるのか、と、自分の思いをコントロールしそこねている今。

仕事・・・2013/08/04 00:03

 最も悩ましい仕事の最中です。必ずやって来る採点のお仕事。

 ぎりぎりになって出てくるレポートにも頭をかかえます。思えば、もはや孫の世代といってもおかしくない人たち。「私の日本語は通じているのだろうか?」と心配になることもしばしば。

 てきぱきやれば、きっとすぐに片づくであろう作業を、ちんたらちんたらやっています。
 乗らない・・・

 たまに満点を取ってくれると、やっぱりうれしい!
「よっしゃぁ!」 みたいな感じになります。

 どう考えても単位を出せる点数じゃないけど、この人は、この単位を落としたら困るのかなあ、とか、単位が欲しいからレポートを追加で提出したんだろうけど、もうちょっとましには書けなかったのか、とか、悩むのです。この人を通すのなら、さっきの人を落とすわけにはいかないだろう、とか、でもこれはいくら何でもひどいよなぁ、これで単位を出したらなめられるぞ、とか、、、あ~、悩ましいわ。
 毎回、ボーダーにいる人にひとしきり悩みます。

 早く終わって、旅行の準備をしたいなぁ♪ なんて思いながら、しょっちゅう中断しておやつを食べたり、テレビを観たりしながら、たらたらやっています。

サンライズとメロンパン2013/08/05 19:08

私はサンライズと呼ぶパン
 先日、テレビを何気なく観ていたら(何気なく観ていることが、実に多い)、菓子パンのメロンパンとサンライズの名前をテーマに検証していた。
まあ、お気楽な番組なのだけど、私は京都出身なので、サンライズと呼んでいたパンが、大阪に来て、メロンパンと言われていて、「え?」という驚きがあった。大阪では、サンライズのことを、どの人もこの人も「メロンパン」と呼ぶ。メロンパンと言えば、私の中では、アーモンド型の白あんが入った、全く別のパンの名前。

 この日常の小さな違和感は、結構、大きなショックだったみたいで、たまに私と同じようなパン認識を持っている人に出会うと、「そうよね、そうよね」と大喜び。
 昔、桂あやめさんも、このパンの名前の違いについて、とても面白い創作落語を作っておられたが、神戸出身の彼女は、京都と同じだった。

 で、まぁ、番組での調べによると、サンライズの元祖は、神戸のパン屋さんが「サンライズ」の名で売り出したものらしい。

 で、なぜ、大阪ではメロンパンと呼ぶようになったかと言うと・・・、あれ?忘れてしまった・・・(汗) なんとなく観ている、ということはこういうことなのだろうか?

 アンパンマンが関東方面にまで広げた、と言っていたのは断片的に覚えているのだけど、アンパンマンよりもっと早くに「メロンパン」という名前は大阪に広まっていたはずだからその原因は何?、、、と不審に思った。で、その時点で、私のテレビへの集中力は失われたのだった。

 それにしても、こうした話題に、妙に力がこもるのはなぜなのか、、、。
私の母は、私が子どもの頃から、「自分はおぜんざいよりもお汁粉の方が好きだった。親戚のお姉さん達から、変な子と言われていた」という話を繰り返し語っていて、80歳代の今も力をこめてその話をしているのを見て、この話題にここまで力がこもり、興味が尽きないのはなぜなのか? と不思議に思っていた。
 でも、私も、このメロンパンとサンライズには、思わず、力(りき)がはいるわ・・・。

 この日常の出来事の中の小さな違和感、あるいはマイノリティな感じ、というものは、社会的な文脈で説明されにくいので、いつまでも不消化のまま残るからだろうか? 自分の拠って立つ何かと関わりがあるのだと思うが、案外、存在の自己証明というような大層なテーマとリンクしちゃうのかも、、、。
 そう思うと面白いわ。

 はぁ~、暑さで茹だった頭だわ~。

お酒2013/08/07 10:16

美味しいけど、こわい!
 お酒を飲みに行くのはとても好きなのですが、すっかり弱くなりました。

 昨夜は、あるプロジェクトの打ち合わせの後、その道の通の方(研究ではもちろんエキスパートですが、お酒やお料理に関しても、とても通の方)のご案内で、ディープな京都の割烹へ。

 お料理も美味しく、お酒も美味しく、、、。私を含め四人だったのですが、私以外の三人が、お酒の強いこと強いこと。その方の一番弟子である院生の若者も、とにかく強い! 店主が選りすぐって選んだ日本酒をするすると、師匠の先生と同じだけ飲みます。
 「その若さで、こんな美食をしていてはいかん」と言いながら、先生はいつもその若者を連れて飲みに行かれている様子。24歳で、すでにディープな京都のディープな美食・美酒を味わっています。
 私は、あまりにもおいしくてうっかり二合目に行ってしまい、もうダメになりました。目が回る回る・・・
 お酒を飲んで目が回ったのなんて、何十年ぶりでしょう。二合目の途中では、お冷やを間にはさみながら、でした。でも後のお三人は、私の倍の徳利を飲み干した上で、さらに仕上げにハイボールを、、、。

 どの人もまだ現役なので、話題に活気があります。私はもう現役とは言い難い、ご隠居さん仕事みたいな仕事を細々としているだけですから、どうしてもついていけません。一瞬、話題の中心になれたのは、歌舞伎の話だけ(^^)
 う~ん、やっぱり仕事を手放してはダメだなぁと、また実感。

 仕事漬けの日々を送ってきたので、仕事から離れると、まるで腑抜けです。定年退職してやるせない日々を送るおじさんみたいになりたくないのですが、なんだかそれに近くて、ちょっと悲しい。

 それにしても、お酒のすごさ・・・。今日は、なんだか起きるのも辛く、朝になってからも、何度も寝床とリビングを往復しましたが、やっと、起きる体勢に。
やれやれ~。

ステテコ派とタキシード派2013/08/07 12:04

 友人と話していて、面白い対比を考えました。標題の通り、ステテコ派とタキシード派。
 いえ、大した話ではないんです。しかも、タキシードというのも大げさなんですが、つまり、晩ご飯の食べ方のこと。

 昔、私の父は、仕事を終えた夜のご飯は、ほんとうにリラックスして味わうことを楽しみにしていました。ベルトなどの締め付ける物を身につけず、夏ならクレープのシャツとステテコという恰好でビールなどを美味しそうに飲んで食事をしていました。一日の疲れがそれで癒される、というようでした。だから、外食は嫌いで、滅多に外食はありませんでした。
 そのかげで、もちろん、母が忙しく食事の支度や後かたづけに追われていたのでしょうが、そんなことは父は気にかけませんでした。
 そのせいかどうか、母は外食が大好き。若い時は仕方なく父に合わせていたようですが、年を取ってからは外食派全開です。今より足が丈夫な頃は、よく出かけて、外食していました。父も、仕事を辞めてからは、結構、母につきあっていました。

 子どもの頃の夕食の原風景は、父のリラックスした晩ご飯です。で、私は、これが好きではない。だらしなく思えるのです。
 夕食はちゃんと身なりを整えて、ちゃんと良い物を味わいたい。割烹でもいいし、レストランでもいいですが、外食派です。できれば、美しい音楽が流れるお店で、ちゃんとサーブされたい。きちんとした恰好で、話題を選びながら、楽しみたい派なのです。

 で、ステテコ派とタキシード派というようにネーミングしてみました。まぁ、どっちも本来女性の衣服ではないですが、この際、これは無視しましょう。リラックスして食べるのも、外食を楽しむのも、どちらにしても、もともとサーブする側だった女性が享受する生活文化ではないですから。

 で、今の私の生活感覚には、自分がサーブする、という意識は皆無。
(^^)

 いずれを選ぶにしても、程よく、生活に配分されていると、バランスが良くていいのでしょうね。