映画を見ました2013/07/31 09:45

 仕事帰り、いつものシネコンです。シネコンは、あんまり見たい映画には出会えませんが、スクールバスが到着する場所にあるので、つい、ふらふらと覗きに行きます。
 アニメやファミリー向け、若い人向けのが多いのですが、たまに、熟年が喜ぶのも織り交ぜてあります。

 今回は、「終戦のエンペラー」が上映中だったので、見ることにしました。
もう一つ、熟年が続々入っていくのは「風立ちぬ」。でも、宮崎駿は評価は高いですが、私にはなんだかなぁ~、なんです。いくつか見たけど、なんだかなぁ~。

 「終戦のエンペラー」は空いてました。まぁ、平日、私が見る映画なんて、たいてい空いていますが。で、ほとんど熟年層。女性はみんな男の人と来ていて、一人で入ってくるのはみんなおじさん。そういえば、少し前にここで「リンカーン」を見たときはもっと空いていて、一人で来ているおじさんがちらほらいるだけでした。

 映画が始まる直前に、女性の一人客が入ってきて、意味ないけど、仲間を見つけた気分。さらにおばあさん二人連れ。なんかわからないけど、ホッとしました。私って変なのかなぁと、ちょっと不安になっていたので、、、。

 で、映画ですが、面白かったです。時々、「ん? マッカーサーが来たのって、8月でしょ? 全然暑そうじゃないじゃん!」とか、「マッカーサーって、もっと男前だったじゃん!」とか、心の中でツッコミ。
後で調べたら、マッカーサーが連合国軍最高司令官として日本に来た時って、65歳だったんですね。昔の写真だから、かえって若々しく写っているのかな。トミー・リー・ジョーンズが演じています。年齢的には、同じくらいの役なんですね。

 どうしても、BOSSコーヒーを思い出しちゃう・・・。

 マッカーサーに命じられて、天皇の戦争責任を調査するボナ・フェラーズが主役ですが、戦前にアメリカに留学していた日本人女性と親しくなり、二人のロマンスが展開します。そして、戦争が二人を引き裂き、マッカーサーの副官として来日したときは、その女性を血眼になって捜します。(その女性は爆撃で亡くなっていたのですが。)地味な色の生地にアクセントのように縫い込まれる鮮やかな色糸、という感じのロマンスの描き方です。

 実際は、ボナ・フェラーズはアメリカ人女性と結婚して、戦前に夫婦で日本を訪れているようですから、ロマンスはフィクションです。戦後、すぐにその女性を捜したのは事実のようですが、それは彼女と彼女の恩師から意見を聞き、日本人の天皇観を知るためでした。天皇の戦争責任不訴追へと導いた調査資料の一つであったようです。

 が、この手の映画は、どうしても一輪の花のように、美しくて若い女性を配したがるのですよね。実際若くて魅力的な新人女優が起用されています。でも、ボナ・フェラーズ役の俳優との年の差が気になって仕方がない私。男前だけど、ちょっと無理があるよね~、と、また心の中でツッコミ。マシュー・フォックスという俳優さんですが、47歳。当時のボナ・フェラーズとはだいたい同じくらい。で、恋人役の初音映莉子という女優さんは30歳くらい。

 まあ、実際の年の差はわかりません。が、モデルになった女性は女子英学塾(津田塾大の前身)から1911年にアメリカに留学しているみたいだから、出会った当時18歳だったフェラーズ氏よりも、ややもすると年上だったかも? なんて思ってしまいます。
 どうしても、一輪の花を咲かせたいんだな~。
 
 でも、面白かったです。大きな歴史的事実とされている出来事はそのまま使われていて、わかりやすい歴史物になっていました。

 とりあえず、写真の出典URLを入れとこう。http://www.emperor-movie.jp/gallery.html

 映画館に行くたび、著作権についての罰則が繰り返し流されるから、すっかりビビっているM吉です。

終戦のエンペラーの続き2013/07/31 11:27

 そうそう、書き忘れていました。当時の日本政府参謀と天皇の関係や力学が面白いのです。

 アメリカ人は、どうしても、日本の政策決定の過程がわからない。日本人独特のメンタリティやコミュニケーションのありようが謎なのです。

 でも、最近の日本人にも、この決定のあり方はわからないと思います。多くの団体や組織がもめるのも、コミュニケーションの手法や流儀がそれぞれ異なる人が構成するようになったから。
 たぶん、昔なら、メンタリティも流儀も共通しているので、今ほどトラブルを生まなかったように想像します。

 昔って、どれくらい昔かと言うと、、、、。柳田国男が狸囃子について言及していた頃のコミュニティが閉じられていた頃、、、って、昔過ぎるだろっ、て言われそうですが(苦笑)。

 私は京都出身ですが、よく大阪の人から「京都はいけず」と言われて、悲しくなります。確かに京都人の複雑なコミュニケーションは熟達しないと難しい。でも、あれも、同じ文化を共有する人にとっては、習熟していってやがて洗練されるものであるに過ぎないのです。
 でも、他の文化で生きてきた人には、その高度なコミュニケーションスタイルは、もはや意地悪にしか見えない。ダイレクトに表現しない「察しの文化」ですから、熟達するにはかなり時間がかかります。
 でも、次第に京都人も、近代的価値観で公教育を受けて、思ったことをちゃんと表現するスタイルを良しとする考え方が身についてきました。
私などの世代は、まさにそういう狭間の世代かもしれません。学校で教わることと、家で言い聞かされることとが真逆であったりして、私は家では叱られることの方が多いので、学校で教わる価値観を内面化していったように思います。で、古い京都人のコミュニケーションスタイルに戸惑い続け、習熟できずに叱られ続け、結局忌避したまま逃げ出しました。

 でも、大人になった今、(年寄りになった今^^)、しみじみ思います。あれは、柳田国男の言及した狸囃子に連なる世界観の共有だったのだな、と。
 と、まあ、エンペラーから狸囃子に飛んでしまいましたが、多くの文化的ディスコミは、身近なところにもありますね。
 戦後すぐに駐留したアメリカ人が、日本独特の意志決定過程について、不可解きわまりなかったことは想像がつきます。
 そして、政府首脳の構成メンバーのメンタリティや力学、そして今の官僚組織のセクショナリズムやヘゲモニー争いなど、触発されてあれこれ思いをめぐらせることの多い映画でした。