消費行動は親譲り? ― 2024/07/15 08:48
別に遺伝するわけではないだろうけど、
親の生活習慣は確実に受け継いでいる。
私の場合、特に母からだと思う。
母は、自分の母親が、お金があればあるだけ使う人だったので、
父親が家計の管理をしていた、と言っていた。
その母は、毎日、家計簿をつけていたが、
「ただ、つけているだけで、それで節約する、とかいうことはない」と自分で笑っていた。
市販の婦人雑誌が新年号に必ず付録につける家計簿があって、
それを使って、几帳面な文字を書きつけて、且つ、その日の日記をわずかなスペースに書き込むことが、ある意味、趣味のようだった。
ノートに文字を書く、ということは、私も子ども時代、この上ない喜びだったから、母も、その趣味をささやかに楽しんでいただろう。
私の記憶から想像するに、書く、という行為自体が母も私も楽しかった気がする。
だから、母の家計簿は、節約、倹約という実践には結びつかない。
あればあるだけ、お金を使うのは、実は私の母もそうだった。
父が亡くなった後、父はかなりの貯金は残していたはずだし、株も持っていたが、母は、定期預金も株券もすべて普通預金に変えたと言っていた。
それは、いつでもすぐに好きなように使える現金を持った、ということだ。
私の家の近くに引っ越してきてからは、ATMに慣れていないせいで、私や息子に預金の引き出しを頼んでいた。
息子が母に頼まれて預金の引き出しに行くので、
つい先日、頼まれて100万円をおろしたばかりの私が息子に尋ねると、「50万円、頼まれた」と言う。
母の預金の引き出しは、
こうして、私と息子と交互に、短い期間に、50万、100万単位で繰り返されていた。
こんなことをしていたら、あっという間になくなるのは当たり前だ。
いったい、何のためにそれだけのお金を使うのか、さっぱりわからないが、私に一切、自分の保有するお金、つまり父の遺産について言わないので、残金がどれほどあるのかも見当もつかなかった。
ただ、湯水のようにお金を使っていたのは確かだ。
「お金を持って死ぬわけにはいかへんし、残してもしようがないし」と母は笑っていた。
私に遺す気は、はなからなかった。
父の遺産については、母自身が、小学生の私に、私自身には権利がない、と思い込ませてきた。
まだ母に愛されたいと願っていた小学生の私の目の前で、父に、「相続の制度はおかしい」といきり立っていた。
当時、まだ、遺産相続は、配偶者が3分の1,子が3分の2だった時だ。
「なんの貢献もしていないM吉が、私より多い3分の2ももらうのはおかしい」と盛んに怒っていた。
当時は、一人っ子は少なかったので、そういう配分に定められていたのだろうが、私は一人っ子だったので、私が母の2倍の額を、相続することになってしまう。
子どもだった私は、母の怒りを鎮めたくて、
「M吉は要らないから。全部、お母さんのものだから」と一生懸命、母をなだめていた記憶がある。
まあ、そういう母だから、父が亡くなった後、「ちょっとだけ」と言いながら、300万円をくれた。
300万円が「ちょっとだけ」なら、元はどれくらいだったのか、さっぱりわからない。
が、そのあとの母のお金の使い方は、父の生前でもかなり激しかったが、それにもましてすごかった。
自分の財布にたくさんのお金が入っていて、好きなように使える、という感じだった。後顧の憂いなく、使い放題だった。
買い物に付き合ったとき、目に留まった4万円以上するバッグを躊躇なく買った。
自販機のジュースを買う程度の決断の速さだ。
そして、次の日だかに、「持ってみたけど、私には派手やわ」と、私にくれた。
まあ、これは、私が思わぬ得をした話だけど、
母は、退屈しのぎに買い物をし、憂さ晴らしに買い物をし、楽しみがないのだから、と買い物をした。
他人に対しても贈り物は盛んだ。
住んでいた家を売って、私の近くに引っ越してきたのだが、
売却を仲介した不動産業者に、既定の仲介手数料の別に多額のお礼を渡したらしい。
母が、最後に仲介業者に会いに行くときに同行したのだが、
「苦労してもろたさかい、手数料の別に、ちょっとお金を渡してん」と言っていた。
苦労、と言っても、普通の骨折りのレベルだとは思う。
仕事のうちだろう。
あんまり気にしないで、「ああ、そう」と、母らしいと思いながら一緒に行った。
住み慣れた街のご近所に挨拶に回るついでに、不動産会社にもあいさつに立ち寄っただけなのだが、
社員総立ちで、奥から責任者が出てきて、全員から最敬礼で挨拶された。
そう言えば、その少し前に、担当の社員から、
「お母さまが、手数料の別にお金をくださったのですが、娘さまは承知されているのでしょうか」と、不安そうに言われた。
母は、完全にご隠居様で、当時、私がそれなりに肩書のある職にいたので、相手は、法的なことなど私に説明することが多く、母は理性的な判断ができないと思われていたふしがある。
が、私は、別に気にも留めず、
「まあ、母のお金ですから、母がしたいようにしていますので」と、さりげなく答えた。
後で、いったい、どれくらい渡したのだろう、とは思った。
あの相手の業者の反応を思い起こすと、結構な額だったのだろうと、考えられる。
母は、そうして、お金を使って、憂さ晴らしをし、人に丁寧に扱われ、自分の気分や位置を守り続けた。
亡くなる少し前、介護で私を頼りにするようになって、
「貯金はちょっとしかないけど、全部、M吉にあげたい」と、恩着せがましく言ってきて、その言い方がいやだった。
言われなくても、相続人は私だ。
自分の収入を持たなかった女性が、
こうして、「遺産」というものを唯一の武器に、自分を守り続けるありさまが、なんとも哀れで悲しかった。
父の稼ぎぶりから考えると、確かに「ちょっと」の金額だった。
母の死後、これだけしか残っていないのか、とがっかりしたが、まあ、母が、楽しむのは、お金を使う時だけだったのだから、仕方がない。
私も退職した直後、自分の貯金を、わずか1年で、1000万使ってしまって青くなったことがあるから、母の浪費癖は、確実に受け継いだようだ。
友人に、お金の使い方がすごい、とよく言われたが、
当時は、さっぱりわからなかった。
今ならわかる。
もともと、母ほどお金を持ってはいないが、
それでも、自分の手の届く金額だと、結構、躊躇せずに買い物をしてしまう。
若くて、お金のない所帯を切り盛りしていた頃から、
近所の奥さんに、「お金を平気で使うね」とは言われていた。
が、お手本が母しかいなかったから、その意味がよくわからなかった。
今、こうして、年金額の低い、無職のおばあさんになって、
ようやく、これはまずいぞ、と思っている。
それでも、「買いたい」病はなかなか治らない。
消費行動は、親に似る、と思った次第。
朝っぱらから、妙に残念な懐古談になってしまった。
親の生活習慣は確実に受け継いでいる。
私の場合、特に母からだと思う。
母は、自分の母親が、お金があればあるだけ使う人だったので、
父親が家計の管理をしていた、と言っていた。
その母は、毎日、家計簿をつけていたが、
「ただ、つけているだけで、それで節約する、とかいうことはない」と自分で笑っていた。
市販の婦人雑誌が新年号に必ず付録につける家計簿があって、
それを使って、几帳面な文字を書きつけて、且つ、その日の日記をわずかなスペースに書き込むことが、ある意味、趣味のようだった。
ノートに文字を書く、ということは、私も子ども時代、この上ない喜びだったから、母も、その趣味をささやかに楽しんでいただろう。
私の記憶から想像するに、書く、という行為自体が母も私も楽しかった気がする。
だから、母の家計簿は、節約、倹約という実践には結びつかない。
あればあるだけ、お金を使うのは、実は私の母もそうだった。
父が亡くなった後、父はかなりの貯金は残していたはずだし、株も持っていたが、母は、定期預金も株券もすべて普通預金に変えたと言っていた。
それは、いつでもすぐに好きなように使える現金を持った、ということだ。
私の家の近くに引っ越してきてからは、ATMに慣れていないせいで、私や息子に預金の引き出しを頼んでいた。
息子が母に頼まれて預金の引き出しに行くので、
つい先日、頼まれて100万円をおろしたばかりの私が息子に尋ねると、「50万円、頼まれた」と言う。
母の預金の引き出しは、
こうして、私と息子と交互に、短い期間に、50万、100万単位で繰り返されていた。
こんなことをしていたら、あっという間になくなるのは当たり前だ。
いったい、何のためにそれだけのお金を使うのか、さっぱりわからないが、私に一切、自分の保有するお金、つまり父の遺産について言わないので、残金がどれほどあるのかも見当もつかなかった。
ただ、湯水のようにお金を使っていたのは確かだ。
「お金を持って死ぬわけにはいかへんし、残してもしようがないし」と母は笑っていた。
私に遺す気は、はなからなかった。
父の遺産については、母自身が、小学生の私に、私自身には権利がない、と思い込ませてきた。
まだ母に愛されたいと願っていた小学生の私の目の前で、父に、「相続の制度はおかしい」といきり立っていた。
当時、まだ、遺産相続は、配偶者が3分の1,子が3分の2だった時だ。
「なんの貢献もしていないM吉が、私より多い3分の2ももらうのはおかしい」と盛んに怒っていた。
当時は、一人っ子は少なかったので、そういう配分に定められていたのだろうが、私は一人っ子だったので、私が母の2倍の額を、相続することになってしまう。
子どもだった私は、母の怒りを鎮めたくて、
「M吉は要らないから。全部、お母さんのものだから」と一生懸命、母をなだめていた記憶がある。
まあ、そういう母だから、父が亡くなった後、「ちょっとだけ」と言いながら、300万円をくれた。
300万円が「ちょっとだけ」なら、元はどれくらいだったのか、さっぱりわからない。
が、そのあとの母のお金の使い方は、父の生前でもかなり激しかったが、それにもましてすごかった。
自分の財布にたくさんのお金が入っていて、好きなように使える、という感じだった。後顧の憂いなく、使い放題だった。
買い物に付き合ったとき、目に留まった4万円以上するバッグを躊躇なく買った。
自販機のジュースを買う程度の決断の速さだ。
そして、次の日だかに、「持ってみたけど、私には派手やわ」と、私にくれた。
まあ、これは、私が思わぬ得をした話だけど、
母は、退屈しのぎに買い物をし、憂さ晴らしに買い物をし、楽しみがないのだから、と買い物をした。
他人に対しても贈り物は盛んだ。
住んでいた家を売って、私の近くに引っ越してきたのだが、
売却を仲介した不動産業者に、既定の仲介手数料の別に多額のお礼を渡したらしい。
母が、最後に仲介業者に会いに行くときに同行したのだが、
「苦労してもろたさかい、手数料の別に、ちょっとお金を渡してん」と言っていた。
苦労、と言っても、普通の骨折りのレベルだとは思う。
仕事のうちだろう。
あんまり気にしないで、「ああ、そう」と、母らしいと思いながら一緒に行った。
住み慣れた街のご近所に挨拶に回るついでに、不動産会社にもあいさつに立ち寄っただけなのだが、
社員総立ちで、奥から責任者が出てきて、全員から最敬礼で挨拶された。
そう言えば、その少し前に、担当の社員から、
「お母さまが、手数料の別にお金をくださったのですが、娘さまは承知されているのでしょうか」と、不安そうに言われた。
母は、完全にご隠居様で、当時、私がそれなりに肩書のある職にいたので、相手は、法的なことなど私に説明することが多く、母は理性的な判断ができないと思われていたふしがある。
が、私は、別に気にも留めず、
「まあ、母のお金ですから、母がしたいようにしていますので」と、さりげなく答えた。
後で、いったい、どれくらい渡したのだろう、とは思った。
あの相手の業者の反応を思い起こすと、結構な額だったのだろうと、考えられる。
母は、そうして、お金を使って、憂さ晴らしをし、人に丁寧に扱われ、自分の気分や位置を守り続けた。
亡くなる少し前、介護で私を頼りにするようになって、
「貯金はちょっとしかないけど、全部、M吉にあげたい」と、恩着せがましく言ってきて、その言い方がいやだった。
言われなくても、相続人は私だ。
自分の収入を持たなかった女性が、
こうして、「遺産」というものを唯一の武器に、自分を守り続けるありさまが、なんとも哀れで悲しかった。
父の稼ぎぶりから考えると、確かに「ちょっと」の金額だった。
母の死後、これだけしか残っていないのか、とがっかりしたが、まあ、母が、楽しむのは、お金を使う時だけだったのだから、仕方がない。
私も退職した直後、自分の貯金を、わずか1年で、1000万使ってしまって青くなったことがあるから、母の浪費癖は、確実に受け継いだようだ。
友人に、お金の使い方がすごい、とよく言われたが、
当時は、さっぱりわからなかった。
今ならわかる。
もともと、母ほどお金を持ってはいないが、
それでも、自分の手の届く金額だと、結構、躊躇せずに買い物をしてしまう。
若くて、お金のない所帯を切り盛りしていた頃から、
近所の奥さんに、「お金を平気で使うね」とは言われていた。
が、お手本が母しかいなかったから、その意味がよくわからなかった。
今、こうして、年金額の低い、無職のおばあさんになって、
ようやく、これはまずいぞ、と思っている。
それでも、「買いたい」病はなかなか治らない。
消費行動は、親に似る、と思った次第。
朝っぱらから、妙に残念な懐古談になってしまった。
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