老いの焦りやら諦めやら、、、2023/12/25 13:48

若い人の論考から眼をそむけることが増えていた。

読むと必ずざわざわする自分を制御しにくい。
失望や悲しみが立ち上るからだ。

それって、私もずいぶん考えていたことだよ。
なんで、今頃、そのことが注目されたり、評価されたりするんだろう。
私なんか、ずっと考えてきていたことだよ、という醜い(?)焦り、嫉妬。

時代の思考というものがあって、
私と同じことを考える人は他にもいる。
そのうちの誰かが、発表し、日の目を見る。
何も、その人の発明品ではなく、ただ、私たちの思いを外に出してくれた人だ。
が、偉い人がそれを評価すると、その発表物が唯一無二のように扱われる。
その人にヒントを与えたかもしれない私はどうなるの? というケチな思い。
それでも、発信力の強い人が脚光を浴びる。

いや、若い人に限る話ではない。
私は自分のなした仕事を低く見積もる癖があるが、
誇大に表示する人は、時に勝者になる。
自分が非常勤として雇用の更新を打ち切られるときになって、
初めて非常勤職の均等待遇を言い出したある人は本を出版している。
非常勤管理職として、非常勤スタッフの首切りに同意している「前科」があるのに。
一方、私はその人の後任だが、その職に就くもっと前から、正規職と非常勤職との均等待遇を掲げて、ワークショップなどをやってきている。
そして、その事実を知ってくれて、発言力もある人がおられたが、もう、死んでしまった。
ある程度、有名になって、ちゃんと発表の場を持たないと、ただの恨みがましいばあさんになって朽ち果てる。

それはいかんなぁ。
で、これまでの考察について、まとめようと思うが、
なにしろ、エネルギーが足りない。

私の言っていたことの正しさは、時には、ずっと後になって、多くの人が認める事態になる。
しかし、もう、私が言っていたことなど忘れられている。
その時に声が大きかった人が注目される。

そんなことはどうでもいいのだ、
正しいことが正しいと認められ、人々の考え方に浸透していけばそれでいいのだ、自分はただの礎になれれば、それでいいのだ、と思えるほど、まだ人間ができていないのか、
「ち! それって、私の考えだったのだよ。手柄を持っていかれた」と腹立たしい思いをしたりする。

これって、何だろうね。
私の中で、何かがかみ合っていないのだろうね。
私の諦念が出来損なっている問題かな~。

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