この世の理不尽とどう折り合いをつけるか2023/03/14 09:14

過去に、ある事件のとばっちりを受けて、
邪推だけで、実名をさらされ、誹謗中傷されたことがある。
ネット上に、事実でないことを書かれ、
私がひどい人間のような噂をばらまかれた。

私のことを知っている人は、
ネット上のその噂を読んで、
「嘘を書かれている」と、信じないでいてくれた。
が、私のことを知らない人は、検証もしないで鵜呑みにする。

形ばかりの謝罪は、ネット上で行われたが、
そこは読んでいない人もいる。
私を擁護する人たちの発信もあったので、
「どっちを信じたらいいんだ」と思った人も多いだろう。

まだ、ネットの影響というものに、世間が無知だった頃だ。
実際にネットに、私の悪評判を流した人たちも、
どうしようもないほど無知で、無自覚に書き込みを行っていた。
仲間内で、誰かの悪口を言い合って絆を深めるような、プライベートな内輪話を世界中に公開したのだ。

だから、今、ネットで批判にさらされる被害者の被害感情は、昨日の私と同じなので、とてもよくわかる。
世界中から敵意や憎しみを向けられる怖さ、辛さがある。
私はもう、怖くて怖くて、殻に閉じこもるよりほかはなかった。

今は真相がわかる。
私の誹謗中傷を子分が書いて、
それを公にした張本人がいる。
その張本人は、子分たちの信奉を失うのが怖かっただろうし、
自分のライバルであった私を叩きたい気持ちもあっただろう。
(勝手にライバルにされただけで、私にはまったくその気はなかったが)。
一方で、その人は、子分に内緒で、こっそり、私に謝罪を申し入れてきた。
私はその「こっそり」に嫌な気がした。
謝罪なら堂々とやるべきだ。
その人は自分の名前で誹謗中傷は書かないで、
(たぶん、焚きつけただろうと思われる)
子分が書いた私への悪口を公開サイトにアップし続けたのだ。
(アップ作業だけはその張本人がやっていたが、その事実は一部の人しか知らない)
子分に黙って、子分のやったこと(として)について、こっそり、お詫びしたいと言ってきたのだ。

それを知ったら、子分は怒るだろう。
だから、こっそりと個人的に謝罪を申し入れてきた。
その人は、私の悪評判を消したくはなかったのだ。
自分の優位性を世間に示すために、、、。
その謝罪の申し入れは断った。
ネット上で損なわれた私の名誉は、ネット上で回復してほしい、と伝えた。
が、それ以降、なしのつぶてだ。

私の名誉は完全に回復されたとは言えない。
私について、あとから知り合った人がサーチして、悪口がたくさん出て来る、と言っていた。
一旦、拡散した情報は消えないのだ。
私の周辺の人や、そこに関わったものの、嘘だらけだと知った人たちは、消してくれたが、知らない人は、
無責任にそのデータを残し、さらし続ける。
デジタル・タトゥーとは、もはや取り返しがつかないからそう呼ばれる。
実際のタトゥーの方がまだ消す手段はあるだろう。

この出来事以降、私の何かが大きく変わった。
勿論、からだをこわして、手術をして、
今や、内臓はかなりのありさまだ。
そしてそれとも相まって、私の人生は、色が変わったような気がする。

子どもの頃、悲しみ色だった人生は、一度、からりと晴れあがって、明るい日差しのような色だった。
仕事を頑張れた頃。
しかし、それも、終わった。

悔しさや怒りや悲しみが、まだ私を苛む。

人生の残り時間は少なくなってきた。
もはや回復する時間はない。
それでも、よみがえる悲しみがあり、
小さな出来事でも、傷つきやすく、脆弱になっている。

そして、悔しさや悲しさが甦るたびに、
思う。
もう、それらを浄化する力も、時間も残っていない。

私の名誉は回復されず、悔しさの記憶が積み重なり、
心の安らかさからは遠い。
私を苦しめた人がうまく世間をわたっているような情報が入ると、
はらわたが煮えくり返る。
断腸の思い、、、ああ、文字通り、断腸したわ。

この先、これらの忌々しい思い出とどう折り合いをつけていくのか。

若いころは、まだ癒しの時間や、「今に見ていろ」と思える時間があるように思っていたが、
もう、それがないのは明白だ。

これからも起こる嫌な出来事と、どう折り合いをつけていくのか。

私より年上でも、まだ喧嘩ができる人たちがいる。
傷つかないのだろうか、身も心も丈夫なのだろうか、と、ただただ、他人事のように見つめる私がいる。

他人は自分の思うように動かない、ということが骨の髄までしみて、
他人の思わぬ言動は、スルーしている。
それぞれの時間、それぞれの感覚で動いている人たちなのだから、
私とは合わないと思ったら、そっと遠ざかろう。
それしか、自分の心身を守るすべはなくなっている。