さもしい。2022/02/25 16:31

貧しいのだから、仕方ないのか(私も貧しいけど、、、)、
昔から、私がイラっとする行動というものがある。

いくつかあるけど、その一つ、
「ただだから、貰おう」という態度。

以前、ある自治体発行の啓発冊子があって、
私が管轄する公共施設の利用者数や人口規模を考えて、
冊子の数を概算して、送付を依頼したことがある。

すると、依頼の電話を終えた私に、
「〇百冊くらい、頼めばよかったですよ」と言う人がいた。
「そんなに、捌けないですよ」と答えたら、
「どうせ、貰えるものだし、もっと多く頼んだらいいと思います」とのこと。
出た! という感じだ。
その自治体が無限に冊子を作っているわけではない。
予算を組んで、需要を満たす冊数を想定して、制作している。
なのに、必要としない数量を求めるとは?

「無料だから、貰っとこう」という発想らしい。

かつて、震災で困窮を極めた地域に住んでいる友人が、
「母が、無料配布の毛布をもらってきたの。うちは、何も被害がなかったのに、ただだからと、貰ってきているの。ほんとうに、恥ずかしいわ」と、嘆いていた。
あー、この発想!

最近、有料になったスーパーのレジ袋。
いちいち聞いてくれるので、うっかり者の私も、たまに、ちゃんとマイバッグを持っていくようになった。
で、先日、買い物をしたものをマイバッグに入れていると、
向かい側にやってきた女性が、ものすごい勢いで、
無料のナイロン袋(冷凍や、汁物を入れるために設置されている)を、
ぐるぐる手に巻き付けて、大量に引きちぎって持って行った。
アッという間だった。

あきれて、呆然とする私。

で、声を大にして言いたい。
(本当は小声でしかよう言わん)。
私は、こういうの、大っ嫌いなのだ。

いや、みんな、生活が豊かだったら、こんなマネはしないのだろう、と、
この国の政策の問題だと思いつつ、やっぱり、嫌いなのだ。

人々は、食うや食わずの暮らしをしているから、ではなく、
「ただだから、貰っていく」というさもしい根性なのだと思うと、
心底、嫌悪感がわく。
しかし、このさもしさを生んだのは、この国の問題だ。

公共施設のトイレットペーパーもなくなる。
無料だと思われている。
で、どんどん、質の悪いペーパーが備えられるようになる。
がっちりと厳重に外せないようにしたペーパーホルダーを見るたびに悲しくなる。

私が若いころ、駅のホームに並んで乗車の順番を待つ人はいなくて、
電車が来ると、人々はドアに向かって殺到した。
子どもだったころは、よく母に叱られた。
私の後ろにいると、絶対に座れない、と。
じゃあ、自分が先に行けばいいんじゃないかと応答するが、
母は、「大人はそんなことはできないから、子供のあんたが、走って行って、私の分も席を取るべき」と、いつも怒っていた。

母は、自分はさもしい行動をとりたくないが、子供ならできると主張していた。
母の言い分を理不尽に感じていた私は、一度も母の言いなりにはならなかったが、走って、席を取る大人を見るのもいやだった。

さもしい。その一言だ。

しかし、今は、そのさもしい大人は、少なくとも電車待ちでは見かけない。
民度が上がったのか。

が、残念ながら、スーパーの無料の袋やトイレのペーパーでは、まだ見かける。

うー、正直なところ、イラっとするどころじゃなく、
吐き気を覚えるほど、嫌いなのだ。