補償?2020/08/10 13:29

まだ、「被害者」を名乗る人による攻撃を考えてしまう。

いつも考えているわけではないが、
すぐにそこに想念が立ち戻る。

勝負に勝ちたい人だと書いたが、
それも少し違うのかな、と思ったりして。

ものすごく傷ついた過去があることは事実だろう。
裏切られた感が強く、
相手に、間違いを認めさせて謝らせたい、かのようにも見える。
しかし、相手は絶対、間違いも認めないし、謝らない。
そこから報復の気持ちが育つのか。

裏切られたのは自分の期待によって、だ。
しかし、相手にだけ非があると考えている限り、
気持ちが安らぐことはないだろう。
決して、間違いを認めず、謝らない相手、
それも、社会的に成功していて良きものを手に入れている相手は許せない。
自分自身が打ちひしがれ、報われない人生を送っているとすれば、
もう、その相手の打倒しか念頭にはないのかもしれない。
何十年もそれを考え続けていると、
それなりに、あの手この手の理屈が成り立ってくる。

自分に味方をしてくれる人がいないとすれば、
全員、許せぬ相手を擁護する、許せぬ敵となる。

自分を相対化する視点を獲得しないまま、
相手を恨み続けていれば、心の平和を得ることはないだろう。
味方も得ることはないだろう。
どこかで、そのしがみついている悲しみや絶望を手放さなければ、
残りの人生も病み続けるだろう。
なぜなら、その粘着質な怒りや悲しみは年月とともに大きくなるばかりで、
人々から疎んぜられ、
一層孤独になり、
一層、深い闇におもむくことにしかならないから。

傷ついた心の補償作用が、さらに自分を傷つけるだけ。

補償の方法を見直して、
癒される道は別の道だと、誰がこういう人に教えられるのだろう。