ちょっとわかってきたかな?2018/02/15 19:18

私のブログを読んでくれる人が、数人いるのはわかっている。

直接の知り合いや友だちは、
共通の趣味や関心でつながっているから、
気にしていないのだが、
そういうつながりでない人の興味関心が全然わからない。

だから、ブログに書いて、
どういう反応があるのか知りたかった。

で、ちょっとわかってきたかな。

要するに私を含め、私の昔からの友人知人は、やっぱり特殊なのだ。
問題意識が強い、社会問題に萌える、
政治ネタに身を乗り出す。
恋愛も労働も、社会の中の事象として、考え、問題提起し、
理論的説明をしようとする。
まさに、The personal is political を共有している。

だが、私のそういうつながりとは違うところで出会った人たちは、
私にはまるで異星人のようだ。
時代がさかのぼっているように思えることもある。
同じような年代のはずなのに、同じ時代を共有していないような感じ。
その人たちは、あの、1970年前後の熱い時代に、どこにいた?
ノンポリの私でさえ、あの時代の空気は強烈だった。
今も尾を引く。

介護労働に従事しているのに、
労働問題としての介護労働にも話題がいかないし、
介護保険制度の改悪についても、言及されない。
これなら、現政権は安泰だよ。

ジェンダー、セクシュアリティについても、
驚くほど食いつきが悪い。

どうなってるんだ?

いったい、どうなってるんだ?

若い世代の非政治性に嘆いているのも、実は仲間内の話で、
一歩、そこを出ると、
老いも若きも、非政治的で、社会問題にも興味がなく、
日常の事象について構造を暴きたいとは思っていないのかもしれない。

人には、物事を考え続け、理論的な追求をやめない人と、
思考停止して日常の細々をこなしていくだけでよい人といるのだろうか。
思えば、私の親がそうだった。
母など、目の前50センチのことにしか、興味がないみたいに、
近視眼的な思考で生きていた。
おかしいなぁ、新聞をくまなく読んでいた人なのになぁ、、、

母は、昔、ご近所の「離婚話」をよくした。
私の高校の同級生が離婚して実家に帰っていたのだが、
その話を何十年と聞かせ続けるので、
「もう、その話はいいよ。興味ないから」と言ったら、
「私は興味あるねん!」と怒っていた。
母も、他人の離婚話に執心する自分を、ちょっと恥じていたような気がする。
私と共通の話題といっても、特に何もない。
だから、私の高校時代の同級生の話なら、共通点だと思って、
いささか無理に話題にしていたような気もする。

あまりにも生きている日常が違っていて、
話がはずまないのだ。
ものすごくおしゃべりだった母が、
亡くなる数年前から、あまりしゃべらなくなった。
耳が遠くなったのもあるが、
共通の話題がなさ過ぎたからだろう。
私が、母の好きな野球の話でもできればよかったのだろうが、
スポーツを見ない私には無理な話だ。

逆に、母は、私の守備範囲には入ってこない。
基盤が違い過ぎて、無理だ。

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