義姉の不思議さは興味が尽きないが、疲れる2017/05/31 13:07

最近はやったドラマのタイトルみたいに、ちょっと長めの、今日のタイトル。

義姉から電話。
長い電話。
繰り返しが多いから、長くなるのだが、
繰り返しが多いからと言っても、新しい発見もあるから、侮れない。

義姉には、とにかく事実を伝えるようにしている。
ごまかさない方がいいと思っている。
しかし、今回は、ちょっと失敗。次の手を考えなければ。

お金がなく、カードもないので、混乱していて、
悲しんでいる。
以前は、自分で紛失していたのだが、今回、カードがない理由を、私は知っている。
全部、後見人が預かっているのだ。
しかし、S姉が持って帰っている、と、声をひそめるように言う。

時には、「言ってはいけないんだけど、誰が持って行ったか、実はわかってるの」とも。

あまり繰り返し、犯人にされているS姉も気の毒なので、
後見人の説明をする。
少しはわかるようだが、やはりちゃんとは把握できない。
やがて、
「他人なんか、信用できない。M吉さんに預かってもらう方がいい」と言い出す。
かと思えば、S姉だってまだ身内だからいい、とも言う。

こういう「赤の他人」不信には、ああ、この人もその年代の人なんだなと、改めて思う。
社会制度が整っていない時代を長く生きた人は、身内意識が強い。
親族だから信用できる、と無根拠に思うのか、
親族だからお金を騙しとられても仕方がない、と思うのか。

そのあたりの考え方のベースがわからない。

「制度」というものに不慣れなのだろうな。

親族後見人の不正が多いから、職業後見人が選ばれることが増えたらしい。
また、親族後見人は、不正はなくても、恣意的に物事を運ぶと誤解されて、他の親族から不満を持たれたりすると、苦しいだろう。
だから、職業後見人に頼む、ということになると思うのだが、
それを義姉にわかってもらうのは至難だ。

義姉は、今日は日付がわかっていた。
S姉が、しょっちゅう食べ物を持って来てくれる、というのもわかっている。
が、何日もにわたって、掃除をしていたことは覚えていない。

だから、S姉が掃除をして見つけた通帳やカードを後見人に預けたことを説明するのは難しそう。
「誰が、私のカードを持ってるの?」と聞くので、
後見人の説明をそのつどするが、
すると、また、「他人に預けたくないわ。そんなんいやや」と繰り返しになる。

「自分で全部やれば、自分で全部わかるのに」と、言い張る。
自分でやれないから後見人をつけたのだが、
他人がそういうことをするから、
自分でわからなくなってしまう、と順序が転倒する。

あ~、難儀だ!
しかも、何度も何度も、空疎な内容の繰り返し。
そのあなたの認識は間違っているよ、と言いたい内容を、繰り返し聞かされると、だんだん、疲れて来て、首がうなだれてくる。
まだ、繰り返しが事実なら、首肯する意欲がわくが。

彼女が疑問を持たずに心安定して、
日々を暮らせるためには、
一定金額の、自由になる現金が要る、ということがわかった。
それさえクリアできれば、機嫌よく暮らせそうだ。

認知に障害が出る前の行動が可能な状態をつくっておけば、
つまり、いつでも出かけて美味しい物を食べ、服を買ったりしてお金を使う、というような行動が、
(実際にはできないのだが)、それが可能だと思えさえすればよいようだ。

そういう感じ。
今日は、朝から疲れた。