自分が標的でないときの心がけ2017/03/02 11:29

今日は、久しぶりに朝寝坊しました。
こんなにぐっすり寝たのは最近、珍しいです。

どこかで熟睡できない懸案をかかえていたみたいです。

で、熟睡すると、ちょっと余裕のある想念がわいてきます。

それは、標題のこと。
先日、小さな研究会でパワハラについて話をしていたとき、
あるハラッサーを共通の知人に持つメンバーがいました。
一人は、その人の攻撃対象になったことがある人、
一人は、その人の攻撃対象になっていない人

ハラスメントの構造も、ハラッサーの行動類型も了解しあった上での話ですが、
やっぱり温度差があり過ぎました。

攻撃対象になっていない、むしろ、その人と良好な関係を持っている人は、どちらかと言うと、そのハラッサーを擁護しがち。
結局、攻撃対象になったことがある人は、ハラッサーが擁護されるのに耐えられなくて、
自分からその話題をひっこめます。

こういうとき、自分は被害に遭ってないので無傷なのだから、
被害に遭っている人の話に耳を傾ける、くらいのことはした方がよいなぁと思ったのでした。
何も一緒になって悪口を言う必要はないけど、
ハラスメントを受けた人は傷ついているのだから、話くらいはちゃんと聴こうよ、という感じを持ちました。

ハラスメントについて勉強会をしようという仲間ですら、このお粗末。
パワーポリティクスも行動パターンもよくわかっているのですから、
ここは、メタレベルで分析し合いたい感じです。

人の情動とは、まことに御しがたいもの。
私も、そこは間違えないようにしたいと思いました。
自分が被害を受けていなくても、加害と被害の関係性についてはちゃんと見据えたいと。

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