私の「見た目」2021/11/27 09:36

若い頃から、
軽んじられている、なめられている、
という感じが、結構あって、不快な思いをしたことが多々ある。
それも、最初の頃はわからなかった。
友人と二人で訪問した先では、
私の発案で私が能動的に動いたにもかかわらず、
私よりも大柄な、眼鏡をかけた、ショートカットの友人の方に、相手の目が向く。
で、私が横から質問をすると、
「え?」という感じで私に視線を移す、という具合だ。

当初はよくわからなかったが、
その日の最後に、無視された感じのざらざらした不快感を味わった。

そして、そういうケースはずっと続いた。
私と同じ目にあまり合わない友人には、こういうことは絶対に共感してもらえない。

このことの真相は、ある人が私について語った、このことばに収斂されるのだろう。
昔、友人Wに誘われて、Wが月例で参加している読書会に参加したことがある。
Wと私が共通して読んだ直後の本が取り上げられていたので誘ってくれたのだ。
Wを除いては男性ばかりだと聞いていた。
で、その場は、確かに、Wと私以外は男性ばかり。
それほど多い人数ではない。
司会をしていた男性があとで、Wの彼氏だとわかったが、その時は知らなかった。
初めて参加したので遠慮していたが、発表者の発表がひどかったので、たまりかねて、
「発表者がおっしゃったことは全部意味がない」と言った。その理由も述べた。
その本の前提を踏まえていないので、読みが全部見当違いになる。
男性たちは、その本が書かれた前提を全く共有しないで、賢しげなタームを操って、知的ゲームを楽しんでいるのか。
男性の多い学習会や読書会の、見当違いにはたいがいうんざりしてきて、もう、参加しなくなって久しかった。
友人Wは、男性と恋愛をしていた頃なので、このアホさ加減が見えなくなっていたのか。
このとき、私はかなりピシパシ言ったかもしれない。
だからと言って、Wとの仲は悪くなっていない。
Wは、自分の口から言いにくいことを、代わりに、彼らと何の縁もない私に言ってほしかったのかもしれない、とも思う。

その後しばらくして、Wの誘いで、
Wがよく彼氏と飲みに来る、というバーに誘ってもらった。
女性が一人でやっている落ち着いたバーだ。
他の客がいなくて、バーのママとよく会話した。
そして、ふと、ママが思い出したように言い出した。
「今、わかったわ。Oさん(Wの彼氏)が、読書会に来た女性のことを言ってたのだけど、M吉さんのことだったのね」と。
Oさん曰く、「最初、かいらしい顔しておとなしそうで、ちょこんと座ってるから、何もよう言わへんのやろうと思ってたら、口を開いたら、きついこと言いよんねん。きつい、きつい~」と。

ああ、たぶん、私は、このOさんの表現にひとことで表されているような者なのだろう。
小柄で、おとなしそうで、「ちょこん」とそこにいる者だったのだろう。
およそ、意見を持たないような、存在感の薄い、、、
それが、私の見た目のすべてだ。

そして、その「見た目」で判断されて、
なめられる、軽んじられる、無視される、、、という嫌な思いをし続けたのだ。

そんな者が年を取れば、さらに影が薄くなる。

昔、ある行政の講演会で、私が講師をしたとき、
その担当者は、私を以前から知っていたが、
私をちゃんづけで呼ぶおっさんだった。
講演の後、彼が言った。
「いや~、びっくりしましたわ。大したことはようしゃべらへん、と思ってたので、、、すごいわ、びっくりしたわ~。参りました!」と、やたら感嘆していた。
それからは、M吉先生と呼んだりするようになった。
なめんなよ、M吉を、なのだ!
普段から、押し出しが強くて目立つ人が、いざと言うときに良い講演をするとは限らない。
と言うより、見掛け倒しの人にはなりたくないと常日頃から思っている。
しかし、講演会や授業などの舞台がなくなれば、
ただの精彩を欠いた影の薄いおばあさんのままなのだな。
そして、このまま年を取って、「ちょこん」と誰の邪魔にもならないように存在する者であり続けるのだな。

存在を誇示したくはないが、
無視されたり、舐められたり、軽んじられるのは、やっぱり不快だ。

やっと、いろいろ振り返って、
自分の「見た目」イメージの真相がわかってきたが、
なんか、やるせないわ。