気難しい人 ― 2017/09/10 14:12
仕事上で、自分より上位の立場にある人が、
気難しい人だと、かなり神経をすり減らす。
嘗て、一緒に仕事をさせてもらった先生が、
とても気難しくて、皆、なんとなくピリピリしていた。
何をやっても、その先生の気に入らなければ、文句を言われる。
たとえば研究室で、コーヒーを淹れて差し上げても、いちいち文句が来たりする。
まぁ、私は他人のためにコーヒーなぞ淹れないけれど、
一生懸命サービスして怒られている人などもいた。
ある日、その先生運転の車の助手席に乗った時、
まぶしくてたまらなかったので、
ウインドウの上の日よけを下げるのに、
「下げていいですか?」と尋ねた。
以前、勝手に日よけを下げたら、「運転がしにくい」と怒った人がいたので、一言断ってから、と思ったのだが、
今度は、
「あなたの前にあるのだから、いちいちきくのがおかしいでしょ。
そんなことは自分で決めなさい」という趣旨のことを、結構、くどくどと言われ怒られた。
勝手に下げると怒る人がいたから聞いたのだが、
聞くと怒る人もいるのだと、あらためて難しいなと思った。
その先生にはとにかく怒られてばかりなので、(私だけではないのだが)
その先生に会わないといけないときは、
「今日は何も起こりませんように」と祈ってから行くようなありさまだった。
先日、久しぶりにある若い人と会って、
もう亡くなられたその先生の思い出話になった。
先生の「偲ぶ会」に参加したとのこと。
私は病後で、出かけられなかったのだが、
偲ぶ会にやって来たゆかりある人々が皆、
「こんなひどいことを言われた」「怒られた」
「あんなことも言われて傷ついた」という話ばかりだったとのこと。
いかにも○○先生らしい、と、笑いながら語り合った。
実際に接しているときは、ピリピリしていて苦痛だったが、
笑って思い出す日も、こうして来るものなのだなと感慨深い。
こういう、よく怒る「偉い人」は、けっこういる。
そういう人が相手だと、
下手なメールを出して怒られたくないので、
なんとなく他の人にやってもらおうと、みんなが譲り合ったり、
連絡を取るのを押し付け合ったり。
中には、明らかにパワハラと思える扱いを受けて、その人との関係からおりる人もいる。
仕事さえからんでなければ、縁を切りたいが、
我慢して付き合っている場合も多い。
思うに、階層に関係なく、気難しくて、まわりが扱いかねる人はいるものだろう。
が、地位が高い人は権力を持っているので、こちらの困り具合が、並大抵ではない、ということだ。
地位が低いと、気難しいままではその人自身が生きづらいだろう。
友だちも離れていくだろうし、仕事の場では嫌われ者だろうし、
おのずと周りに合わせるすべを覚えていくか、
人間関係がうまくいかないことに苦悩をかかえて生きていくか、ということになるのではないか。
が、地位が上がって権力を持った人は、自己検証も自己修正も機会がない。
まわりはその人に気を使うばかりで、忠告など絶対にしない。
むしろ、その人の意を迎えるために、おべっかを使う人も出てくるだろう。
それで、機嫌よく生きていける。
最初に書いた先生は、ある人のことをくそみそに言っていた。
横で見ながら、その人はよく辛抱しているなぁと思っていた。
そして、最後まで、どうもケアをし続けたらしい。
その持続力の源はわからない。
とにかく、私も次第に距離を置いた口だ。
ある時、その先生が、入院で大学を長期に休講しないといけなくなり、
私に相談があった。
私はフルタイムでこれ以上ないほどの激務に就いていたので、もう引き受けることはできず、
その先生にべったりついている人が、大学の職を求めていることを聞いていたので、そのことを先生に伝えた。
すると、先生は即座に、
「あの人には無理! できるわけがない」と言い切った。
確かに、私もその人には、大学の職は難しいだろうと思っていた。
いかにも官僚ふうで柔軟性がなく、多様な学生を相手にする大学の職には適性がないのではないかと思っていた。
だが、判断するのは先生なので、その人の名前を出してみたら、
見事な切り捨て方だった。
それで、他の大学で長く教鞭をとられた年配の先生にお願いしたことがある。
そんな扱いを受けていても、その人は先生に尽くしたようだ。
まぁ、私のような凡人にはわからない何かがあったのだろう。
先生の莫大な遺産は、その人が引き継いだようだが、
もちろん私物化したわけではなく、
ちゃんと基金を作って、先生の遺志を生かしたから、
やっぱり、心から先生に心酔していたのかもしれない。
踏まれても折られても、、、う~ん、エライ人だ。
気難しい人だと、かなり神経をすり減らす。
嘗て、一緒に仕事をさせてもらった先生が、
とても気難しくて、皆、なんとなくピリピリしていた。
何をやっても、その先生の気に入らなければ、文句を言われる。
たとえば研究室で、コーヒーを淹れて差し上げても、いちいち文句が来たりする。
まぁ、私は他人のためにコーヒーなぞ淹れないけれど、
一生懸命サービスして怒られている人などもいた。
ある日、その先生運転の車の助手席に乗った時、
まぶしくてたまらなかったので、
ウインドウの上の日よけを下げるのに、
「下げていいですか?」と尋ねた。
以前、勝手に日よけを下げたら、「運転がしにくい」と怒った人がいたので、一言断ってから、と思ったのだが、
今度は、
「あなたの前にあるのだから、いちいちきくのがおかしいでしょ。
そんなことは自分で決めなさい」という趣旨のことを、結構、くどくどと言われ怒られた。
勝手に下げると怒る人がいたから聞いたのだが、
聞くと怒る人もいるのだと、あらためて難しいなと思った。
その先生にはとにかく怒られてばかりなので、(私だけではないのだが)
その先生に会わないといけないときは、
「今日は何も起こりませんように」と祈ってから行くようなありさまだった。
先日、久しぶりにある若い人と会って、
もう亡くなられたその先生の思い出話になった。
先生の「偲ぶ会」に参加したとのこと。
私は病後で、出かけられなかったのだが、
偲ぶ会にやって来たゆかりある人々が皆、
「こんなひどいことを言われた」「怒られた」
「あんなことも言われて傷ついた」という話ばかりだったとのこと。
いかにも○○先生らしい、と、笑いながら語り合った。
実際に接しているときは、ピリピリしていて苦痛だったが、
笑って思い出す日も、こうして来るものなのだなと感慨深い。
こういう、よく怒る「偉い人」は、けっこういる。
そういう人が相手だと、
下手なメールを出して怒られたくないので、
なんとなく他の人にやってもらおうと、みんなが譲り合ったり、
連絡を取るのを押し付け合ったり。
中には、明らかにパワハラと思える扱いを受けて、その人との関係からおりる人もいる。
仕事さえからんでなければ、縁を切りたいが、
我慢して付き合っている場合も多い。
思うに、階層に関係なく、気難しくて、まわりが扱いかねる人はいるものだろう。
が、地位が高い人は権力を持っているので、こちらの困り具合が、並大抵ではない、ということだ。
地位が低いと、気難しいままではその人自身が生きづらいだろう。
友だちも離れていくだろうし、仕事の場では嫌われ者だろうし、
おのずと周りに合わせるすべを覚えていくか、
人間関係がうまくいかないことに苦悩をかかえて生きていくか、ということになるのではないか。
が、地位が上がって権力を持った人は、自己検証も自己修正も機会がない。
まわりはその人に気を使うばかりで、忠告など絶対にしない。
むしろ、その人の意を迎えるために、おべっかを使う人も出てくるだろう。
それで、機嫌よく生きていける。
最初に書いた先生は、ある人のことをくそみそに言っていた。
横で見ながら、その人はよく辛抱しているなぁと思っていた。
そして、最後まで、どうもケアをし続けたらしい。
その持続力の源はわからない。
とにかく、私も次第に距離を置いた口だ。
ある時、その先生が、入院で大学を長期に休講しないといけなくなり、
私に相談があった。
私はフルタイムでこれ以上ないほどの激務に就いていたので、もう引き受けることはできず、
その先生にべったりついている人が、大学の職を求めていることを聞いていたので、そのことを先生に伝えた。
すると、先生は即座に、
「あの人には無理! できるわけがない」と言い切った。
確かに、私もその人には、大学の職は難しいだろうと思っていた。
いかにも官僚ふうで柔軟性がなく、多様な学生を相手にする大学の職には適性がないのではないかと思っていた。
だが、判断するのは先生なので、その人の名前を出してみたら、
見事な切り捨て方だった。
それで、他の大学で長く教鞭をとられた年配の先生にお願いしたことがある。
そんな扱いを受けていても、その人は先生に尽くしたようだ。
まぁ、私のような凡人にはわからない何かがあったのだろう。
先生の莫大な遺産は、その人が引き継いだようだが、
もちろん私物化したわけではなく、
ちゃんと基金を作って、先生の遺志を生かしたから、
やっぱり、心から先生に心酔していたのかもしれない。
踏まれても折られても、、、う~ん、エライ人だ。
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