パラリンピック開会式2016/09/08 10:13

 テレビでパラリンピック開会式をやっている。
以前、Eテレで「切断ヴィーナス」を紹介した番組を見て、魅せられてしまったので、オリンピックは全然観ないけど、こちらは観る。

 先ほど、両足義足の美女が軽やかに華麗にダンスをしていた。
テクノロジーと人の身体との美しい融合だ。
Eテレに登場した若い女性たちも、義足姿が美しく、魅了された。

 少し前、東京の森美術館で行われた会田誠展の、「犬」と題された四肢切断の少女を描いた作品は、「凌辱」としか感じられない悪趣味の作品だと思った。
痛めつけられて自由を奪われた少女のいかにもヴァルネラブルな姿だ。

 が、「切断ヴィーナス」は、女性たちが自己主張し、不可能を可能にし、自由を獲得していく、力あふれる美しさだ。
病気や事故などによって片脚や両脚の切断を余儀なくされた女性たちが、義肢によって新しい能力を獲得し、実に明るく、様々な可能性に挑戦していく姿は、人を魅了し、ため息すらつかせる。

↓ 義肢の女性たちの写真集

 この国の男性は(あれ? 偏見かな?)、意志の強い、自己主張する女性を苦手な人が多いようで、ヴァルネラブルな風情の女性を好む傾向があるように思う。
「守ってあげたくなる」ような女性を、つまり自分の支配下におさまる女性を好むのだろうと思う。
(そうでない男性もいると思います、もちろん! 多くはないように思うけど。)

 ブログで、男性に「モテる」ということを自慢している女性がいたけれども、もちろん、「モテる」ことが幸せにつながっているのなら、それはそれでいいのだけど、「モテない」ことに不幸を感じている女性がいたら、あんまり良いことではない。
この社会のジェンダー規範のお約束に乗っかると、モテるのは当たり前なのだから、自分の「魅力」をそれで測ったり、自己評価につなげるのは無意味だ。
ジェンダー規範をいかに相対化できるか、の話なのだけど。

 パラリンピックの開会式で、ブラジルのある選手が、子ども時代いじめにあっていたけれども、「絶対に幸せになってやる」と誓った、というエピソードが紹介されていた。
不覚にも涙が流れた。

自分に置き換えるなら、
丈夫な体にはなれないかもしれないけど、幸せにはなれる、ということだ。

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