痛みがないうちに・・・2016/09/09 08:55

痛みのない間に、一つでも仕事を終えたいと、
某自治体の職員さんから送られてきた資料に目を通し、
我が家から5分くらいのカフェまで来てもらった。

今回、私からの返信がいつになく遅いので、
「ご旅行かなと思ってました。病気だったと知って、びっくりしました」とのこと。
この人は率直な感じで、とても話し易い。
で、仕事の後、ちょっと個人的な雑談に。

すると、息子さんが発達障害、とのこと。
この頃、そういう話をよく聞くなぁ、という実感がある。
そういうことを隠さない人が増えた、ということもあるのかもしれない。
が、その診断も増えたのかもしれない、とも思う。

よく思い出すのだが、
見合い結婚が大多数だった時代、
で、日本人のほとんどが結婚した時代、
信じられないくらい変わり者の男性にも、ちゃんと配偶者がいた。
「うちのお父さんは、ほんとに無口だから」とか、
「頑固なんだから」と言いながら、家庭生活をやりくりしていたおばさんたちの話をよく聞いた記憶がある。

職業によっては、コミュニケーション能力が問われることのなかった時代、
頑固な職人さんやルーティンワークを黙々と続ける無口な人も、
求められる資質は限定的だったから、十分に重宝がられた。

が、多くの人が組織に所属して働く現在、
コミュニケーション能力が低いと、それだけで無能のレッテルを貼られかねない。
「人間力」なんて言葉が登場したとき、なんだこれは? と思ったけれど、周囲とうまく折り合ってこなしていく能力のことを指しているらしい。

発達障害であっても、知的能力の飛び抜けて高い人は、それなりのポジションを獲得できるかもしれないが、
多くの人は持っている能力も、発達障害のために発揮できない、ということの方が多そうだ。

人の能力もグラデーションだから、
誰もが、「障害」と呼びたくなるくらい欠落している点を持っていたりすると思うのだけれど、
なんとか他の能力で補って、バランスを取っている。
バランスが取れなくなるほど致命的な欠落なのか、バランスが取れないような条件下に置かれてしまったか、それらは、みな紙一重だ。

ラベリングすればするほど、それがその人の「本質」みたいになってしまって、
良い傾向とは思わないのだけど、
が、困っている人には、時には「ラベル」も必要だし、、、。
今の私に「病人」というラベルが必要なように。