瞑想 ― 2017/07/18 21:38
宗教を研究されている先生に教えてもらって、
仏教の瞑想を学ぶ会に参加しました。
一度、行ってみたいと思っていたのですが、
友人Aにその話をしたら、
「私も行く!」と、例によって軽い!
で、私などは仕事に行くよりも早い時間に起きて、がんばって駅まで行きます。
駅に着いて、Aと約束した電車がホームに入って来たとき、Aから電話。
「今、起きてん・・・」
「へ?」
たまにあります、こういうこと。
Aはすぐに忘れて、
「そんなん今までしたことない」と言い張るけど(ええ性格や)。
とにかく、先に現地に着いて、彼女は後から駆け込みます。
で、後は、長時間の講演とお昼をはさんで瞑想の指導。
とにかく、長時間、、、。
きついけど、これも修行なのかなぁとがんばります。
瞑想のやり方を教わりながら、初体験で珍しく、面白く、
何やらわけがわからないけど、たっぷり、そこにい続けました。
終わったら、例の先生がやって来て、
「今日は、私にもきついくらいでした」とのこと。
そして、原稿を書くお仕事が待っていて焦っておられたらしく、
急いで帰って行かれました。
Aと私はくったくたに疲れながら、
でも、変な高揚感で、ちょっと陽気になりながら、
感想を言い合い、帰りました。
パーリ語のお祈り(と言うのかな、よく聞くお経とは全く違う)を唱和されるのを、初心者なので、ただただ聞いていましたが、
その節回しが実に美しく、Aもずっと耳元で鳴り続けている、とのこと。
夕食を食べながら語り合っているとき、
配布されたお経(?)が書かれたリーフレットを、私が、
「あの歌詞カード持ってる?」と言ったら、
「歌詞カード!」と大ウケ。
「不信心や~」と、しばらくAは笑いが止まりません。
そのAは、前に座っている女性の姿勢は良かったけど、その横の人はよく動いていた、だの、右斜めの男女はカップルのようだけどまだ最近付き合い出したばかりらしい、とか、
「瞑想している間、目をつぶってなかったん?」と呆れるくらい、よく周りを観察していました。
信仰心のかけらもないAと私は、でもなんだか不思議な体験をして、
とっても機嫌よく帰りました。
Aは、「また行きたい」と言っています。(懲りない奴や)
あんまりアホみたいな感想なので、ちょっとだけ真面目に付け足しておきますと、
身体を含めて、統一体として把握している「私」の意味が、無化されるような感覚を抱きました。
個人的な思いを言えば、
ずっと獲得しようとして苦労してきた統一された自我というものを
今一度、解体を迫られている、という感じでした。
統一されない状態がデフォルトで、
近代的自我の獲得のためにのたうちまわっていたような個人的な体験が、プルッと冷たい清水をふりかけられて、
空しい努力はしなくてよいのだと、
近代的自己になりきれない状態を心地よく肯定できるような、
そんな体験でした。
(個人の感想です。)
仏教の瞑想を学ぶ会に参加しました。
一度、行ってみたいと思っていたのですが、
友人Aにその話をしたら、
「私も行く!」と、例によって軽い!
で、私などは仕事に行くよりも早い時間に起きて、がんばって駅まで行きます。
駅に着いて、Aと約束した電車がホームに入って来たとき、Aから電話。
「今、起きてん・・・」
「へ?」
たまにあります、こういうこと。
Aはすぐに忘れて、
「そんなん今までしたことない」と言い張るけど(ええ性格や)。
とにかく、先に現地に着いて、彼女は後から駆け込みます。
で、後は、長時間の講演とお昼をはさんで瞑想の指導。
とにかく、長時間、、、。
きついけど、これも修行なのかなぁとがんばります。
瞑想のやり方を教わりながら、初体験で珍しく、面白く、
何やらわけがわからないけど、たっぷり、そこにい続けました。
終わったら、例の先生がやって来て、
「今日は、私にもきついくらいでした」とのこと。
そして、原稿を書くお仕事が待っていて焦っておられたらしく、
急いで帰って行かれました。
Aと私はくったくたに疲れながら、
でも、変な高揚感で、ちょっと陽気になりながら、
感想を言い合い、帰りました。
パーリ語のお祈り(と言うのかな、よく聞くお経とは全く違う)を唱和されるのを、初心者なので、ただただ聞いていましたが、
その節回しが実に美しく、Aもずっと耳元で鳴り続けている、とのこと。
夕食を食べながら語り合っているとき、
配布されたお経(?)が書かれたリーフレットを、私が、
「あの歌詞カード持ってる?」と言ったら、
「歌詞カード!」と大ウケ。
「不信心や~」と、しばらくAは笑いが止まりません。
そのAは、前に座っている女性の姿勢は良かったけど、その横の人はよく動いていた、だの、右斜めの男女はカップルのようだけどまだ最近付き合い出したばかりらしい、とか、
「瞑想している間、目をつぶってなかったん?」と呆れるくらい、よく周りを観察していました。
信仰心のかけらもないAと私は、でもなんだか不思議な体験をして、
とっても機嫌よく帰りました。
Aは、「また行きたい」と言っています。(懲りない奴や)
あんまりアホみたいな感想なので、ちょっとだけ真面目に付け足しておきますと、
身体を含めて、統一体として把握している「私」の意味が、無化されるような感覚を抱きました。
個人的な思いを言えば、
ずっと獲得しようとして苦労してきた統一された自我というものを
今一度、解体を迫られている、という感じでした。
統一されない状態がデフォルトで、
近代的自我の獲得のためにのたうちまわっていたような個人的な体験が、プルッと冷たい清水をふりかけられて、
空しい努力はしなくてよいのだと、
近代的自己になりきれない状態を心地よく肯定できるような、
そんな体験でした。
(個人の感想です。)
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