どこから見てもおばあちゃん!2020/09/11 11:23

ある媒体からインタビューを受けた。
取材の後、写真を撮る、とのこと。
出てきた写真を見ると、ほぼ間違いなくがっかりするから、
期待はしていなかったけど(笑)、
たいがいなばーさんぶりだわ。

少し前、久しぶりに会った友人が、素敵な帽子をかぶっていた。
日よけで買ったセールの帽子らしいのだが、色合いがとても私好み.
いわゆる日よけ用の麦わらとは違って、なかなかのおしゃれ具合。
で、思わず、別れ際に、写真を撮っとこうと提案して、
写真を撮った。
まぁ、その友達が帽子をかぶっている姿もあまり見ないし、
この時期に、ものすごくソーシャルディスタンスを取ったとはいえ、
生で会えるのも、なんか記念みたいで。
で、その写真をすぐにLineで送ったら、
「しっかり、ばあちゃんや」と、本人が言っていた。
60歳を超えたら、みな、間違いなく、おばあさんだ。

なんとなく、若く保っていた人も、どこかで老ける。
私も60歳の時は、「嘘でしょ~!とても60には見えない!」と言われたりしたけど、
病気もしたし、気がついたら、どこからどう見ても、おばあさんになった。
大概、大病をすると老けるけどね。

私の母が、80歳の頃、敬老の日のキャンペーンで街頭で何かを貰ったらしく、それを見せながら、
「やっぱり、わかるんやろか?」と言ったことがあった。
若い頃から、若く見える、美しいと言われ続けてきた母でも、
80歳になれば、堂々たる老人だ。
自分で鏡を見ていても、あんまりわからないのかもしれない。

とにかく、女性には、「お若く見えます」というおべんちゃらがあるが、
もうそういうの、「やめようぜ」という感じ。
テレビの、「この人、何歳に見えますか?」というCMは嫌いなものの一つだ。
確かに、健康な人は若々しい。
健康を保つのが一番とは思う。

しかし、そのインタビューの写真、覚悟していたけど、
覚悟以上に、ばあさんだった(笑)

先日、押し入れを整理していて、若いときの写真が出てきたけど、
あら、私って、かわいいやん! という感じ。
そんなに丈夫でもなかったけど、
やっぱり、生き物としての若さがあふれている。

もはや凋落の季節。
うまく枯れたいものだが、
もうちょっとだけ、欲望がある。
思考の鍛錬だけはもう少し続けたい、という欲望。

いずれ、そのうち・・・2020/04/24 21:52

「いずれ、そのうち・・・」というように思うことが多い。
だが、もう、それが通用しない、ということを思い知る。

40年来の友人が3月末に亡くなっていたことを知った。
いつものように、メールのチェックをしていて、
件名と差出人にざっと目を通していて、
「〇〇さんの訃報」という件名が見えたような気がした。

え?
何?
何の見間違い?
と、そこに戻る。
そして、見間違いでないと知る。
が、何度も、嘘でしょ? え? 違うでしょ? と見直す。
何度も何度も、見直す。

え? なんで、あの人が死ぬの?
頭がパニックになっている。
嘘でしょ?  何かの間違いでしょ?

何度も何度も、そのメールを見直す。
書かれていることは、確かに、その40年来の友人のことだ。
間違いなく、彼女のことだ。

でも、なんで?
え? え? 

確かに病気が進行していた。
でも、一般の人と変わらず寿命が保たれる病気であると聞いている。
死ぬ病気ではない、と。

彼女のお母さんも、とても小柄な人だったそうだが、
90歳まで生きられた。
彼女も、弱弱しいながら、長生きをするのだと思い込んでいた。

昨日、知ったのだけど、まだ、心の中で、
「嘘でしょ? 違うでしょ?」と言い続けている。
何度も、発作のように泣けてくる。

なぜ、彼女が?

生きる力がなくなっていったのか。
病気が進行して、がっくりしていただろう。
思うようにならない人生に、だんだん生きたい意欲を失っていったのか。

若いときは、たくさん話をしたけれど、
最近は、病気もあって、彼女は地元に引きこもりがちだったので、
会う機会が減っていた。
でも、私もやがて仕事を終えて時間ができるから、
また、昔のようにゆっくり会える日が来ると思っていた。
そのときは、たくさん、思い出話をしたいと思っていた。

いずれ、そのうちに、、、。


しかし、もう、それは通用しないのだ。
いずれ、そのうち、は、もう来ない。
私たちには、いずれ、そのうちなんて、あり得ないのだ。
どちらかが、
もう、待ってられないから、先に行くね、と立ち去る。

昨年の12月に部屋で倒れているのを発見されて、
救急搬送されて以来、入院していたようだから、
今回のコロナ感染とは別だろうと思うが、
遠方に住む娘さんが家族葬をされたそうだから、
友人関係の人は、詳しいことを誰も知らない。
ほとんど何もわからない。
ただ、亡くなったことだけを知らされ、呆然としている。

この時期のお葬式は、参列も難しい。
寂しい季節に寂しく逝ってしまったよう。
憂いのあった彼女の風情を思い出して、これが彼女らしい逝き方なのかと、
納得しないまま、そんなふうに思ったり。

なぜ?
なぜ? こんなに早く?
心の中で問うたびに、泣く。

雀の涙2019/12/13 11:57

消費税も上がったし、どんどん暮らしにくくなる。

そこにお役所から2回の通知。
なんか、低所得の年金生活者に、期間限定で年金を増やしてくれるらしいとの通知が来ていた。
「欲しい?」と聞かれたので、とりあえず、「欲しい」と同封のハガキを出したようなかすかな記憶がある。
が、金額を見て、冗談みたいな印象があって、忘れてた。
で、今回は上乗せ分を振り込みました、と通知。

月に1,200円くらいかな?
ベローチェのコーヒーが何回か飲めるから、喜ぶべき?

孫に
「こういうのを『雀の涙』と言うんだよ」と教えている自分まで妄想しちゃった。
孫なんていないのに、あまりにも格好の生きた教材だったもので(笑)

高齢者も若者も、生き難い。
しかし、最近の若者は、貧困は自分の責任だと思うらしいから、
政府のやり方を問わないのだな。

消費税を上げるなら、社会保障に回さないと、生き難い人は全然楽にならない。
大きなお金はしっかり握っておいて、小銭だけをばらまいて、福祉の視点も忘れてません、みたいなパフォーマンスは、ほんとうに国民をばかにしているよね。
で、介護保険制度をまたターゲットにしているらしい。
大阪府内の某市は、被介護者にならないように、とケア労働者なんかを使って、運動を進めているが、
生活支援は打ち切っているそうだ。
年を取れば、少しずつできないことが増えて来る。
そういう人に、ちょっとした生活のサポート事業が実施されれば、高齢者も快適に自立生活が送れる。
が、それはもうやらないのだ。
重度の要介護者か、あるいは、元気で何でも自分でできる高齢者しかいないわけではない。
その間には、少しからだの衰えが出てきた人がたくさんいて、きめ細かに支援さえされれば、機嫌よく暮らせる高齢者であるのだ。
そこを打ち切った。
それは、国がそういう方針を打ち出しているから、その市は、いち早く忖度して実行に移しただけのことだ。

で、同じ市が、同性パートナーシップ制度を導入した。
もう、いやらしさが見え見えで、吐き気すらするわ。

ストレスたまる~!!

猫が死んじゃったので2019/11/23 11:39

とうとう、一人ぼっちになった。

最期の方は、もう、私も介護でへとへと。
もうだめかも、と何度も思いながら、翌日はまた歩いているのを見て、ホッとする日々。

所構わず、排泄するし、ご飯もちゃんと導いてあげないとたどり着けない。
でも、鼻をつっこまんばかりにフードを持っていくと、
ハッと気づいたかのように、ガツガツ。

だんだん、部屋の隅っこにいることが多くなったのは、
死期が近かったせいだったのだろう。
猫用のトンネルを買って置いておいたら、やがて、そこにも入るようになった。ただ、途中にある窓に手足がひっかかって、出られないみたいで、何度も救出。
排泄物の掃除に追われるようになったので、
友人たちが、猫用のおむつをするように言っていた。
でも、ただでさえよぼよぼ歩いているのに、余計、歩きにくいのではないかと思って、おむつは採用しなかった。
南向きの一番広い部屋が彼女の部屋になって、リビングとの間についたてを置いた。
私が把握できる時間帯は家じゅうを居場所にするが、
夜中や私の外出中に所構わず排泄されるのを回避しようとした。
が、ついたての置き方が適当だと、知らぬ間にリビングや仕事部屋にいたりした。(笑)
なにしろ、排泄物の悪臭がひどい。見つけては掃除をするのだが、家具の陰などにされてしまうと、気づけないことが多く、悪臭のもとを探すのに躍起。いやというほど、消臭剤も使ってきた。

だんだん、取れない臭いに私は頭痛さえ起こすようになり、
さすがに友人の助言を受け入れ、ある日、おむつをした。
やせてきていたので、一番小さいのを買ったのだが、その日のうちにはずれてしまった。
朝になったら、いつも通り。で、諦めて、やっぱり、掃除に追われる日々。

水を使わないシャンプーやからだを拭くタオルなど、最期の短い期間に大量に購入した。せっせとからだを拭くと、それはいやではなさそうだった。

声をかけても聞こえていないような感じになって久しく、
どんどん理解不能になっていく感じだった。
もっと幸せにできないかとじれったく思うのだが、私が私の仕事やその他の用事にかまけている間に、彼女はどんどん一直線に生きるのをやめていったのだ。
22歳と半年。少しずつ衰えて、徐々に生命力を枯らせて、とても上手に老衰死したのだった。
生きているときは困らせられることが多くて、
あまりにもこちらが弱っていて苦労が多いと、
私の方が先に死ぬかも、と思ったことも何度もあった。
でも、彼女は彼女で、とても上手に終わりを迎えたのだ。

亡くなる前の晩、もう無理かなと思った。
もう、何も飲まず食べなかった。
口も開かなかった。目も開かなかった。
ただ、静かに静かにお腹は上下していた。
夜中に起きて見ると、とても激しくお腹が上下していて、見守っていると、やがて発作が去ったように、また静かに上下させていた。
いよいよだろうなと思った。
朝、動かないココがいた。
冷たくなっていた。

かわいいかわいい顔をして眠っていた。

小さいのに、存在感の大きい子だった。いつも思いきり、自己主張していた。

しばらく、茫然として、いないことに慣れない。
まだいる気がする。仕事をしていて、物音がすると、あの子ががさごそと何かして遊んでいるのだと思ってしまう。
が、その場所にはもう不在なのだ。

ペットフード、ペットシートは、買ったばかりで、大量に余ってしまった。
猫用トイレの砂も大量だ。
紙おむつも一つ使っただけで終わった。

なんだか、空虚になった。

独居から施設へ?2019/11/10 10:56

古い友人が、病気が進んできたので、
施設に入ることにしたと言う。

パーキンソンなので、からだが思うように動かないらしい。

たまにしか会わなくなったが、
確かに、進行しているのだろうと、素人目にもわかる。

今回、施設に入ることになり、彼女がマンションに保管していた、活動団体の昔の資料を捨てるか引き取るか私たちに決めてほしいと言って来たので、もう一人の友人と行った。

以前もからだがゆらゆらと揺れていたが、
今回は、揺れがだいぶん激しい。
話はしっかりしているが、からだはかなり不自由そうだ。
歩くときは、シルバーカートを押して歩くそうだ。
私より4歳年上。
同年代でも、しゃきしゃきしている人はたくさんいるのに、
えらい病気になってしまったものだと思う。

だが、一人暮らしの心細さはわかる。
あれだけ、からだが不自由になると、もう一人ではやっていけないというのは、ものすごくよくわかる。
「おひとりさま」で最期まで自宅で、なんて、どこの恵まれた人なのだろう。

最期まで自宅で独居で、というのは、家の中で死後一定の時間が経ってから、見つけてもらうという覚悟つきだ。
友人のように、からだが不自由になってしまっては、そうはいかない。
四六時中、他人に来てもらって世話をしてもらうより(どれくらいお金がかかるのか)、施設で、複数の人に交替でケアをされながら、最期を迎える方が現実的な選択だ。
自宅は密室だし、誰かが来てくれるまで孤独だろう。

私は今でも、寝たきりになった母を一人にした罪悪感がぬぐえない。
気に入ったヘルパーさんに「帰らないで」と、引き留めていたそうだ。

ある日、母の家に行ったら、「誰か来てください!」と叫んでいる母の声を聞いて、
びっくりして、奥の部屋に行ったら、
ちょっと照れくさかったのか、母がおちゃめな表情で、
「誰か来てくれへんかなと思って、呼んでた」と笑っていた。

体が不自由になると、自分で行きたいところに行けない。
あれほど、他人を家に入れるのをいやがっていた母が、誰彼に来てもらいたいと思うようになったのだ。
もちろん、私が行くのが一番いいのだが、私でなくても、お気に入りのヘルパーさんやケアマネさん。
手厚い介護体制だったので、結構、人は入っていたのだが、それでも、24時間ついているわけにはいかない。
母は、私が、呼べば来る範囲に、24時間いてほしかったのだろう。
しかし、仕事があるし、私の自宅はすぐ近くとはいえ他にあるのだから、そこまでは望めないということもわかっていた。

母が孤独なのを知って、ずっと悩んでいた。
施設は絶対いやだと言っていたのは母だったが、
小さなグループホームのようなところをケアマネさんに探してもらっていた。
それなりのプライバシーは保つことができて、呼べばすぐに誰かが来るところ、いつも人の気配がするところ、そんなところはないだろうかと、ケアマネさんに言っていた。

が、ケアマネさんが、母にふさわしいと思えるところを絞り込んでくれた頃、母は、入院先で息を引き取った。
もう、こんな人生なら、生きていてもしかたがないと思ったかのように、
あっさりと去った。
ケアマネさんに連絡したら、びっくりしていた。
退院後、今度は自宅でなく、母にふさわしい手厚い所に入れるように算段してくれていたし、私もまだまだ母のニーズを満たす工夫をしながら介護をしていく予定だった。

だから、いつまでも罪悪感が残る。力不足だったと、泣きたくなる。
からだのケアはできても、心のケアは誰ができるだろう。
私が自分の人生を捨てて、母に仕えるなら可能だったろう。母をある程度、満足させてあげられただろう。

しかし、私は私の人生を選んでいた。

そして、今、私は、今後の自分の暮らしを思う。
子どもは子どもの人生の良きものを味わって生きてほしい。
自分の人生の始末は自分でつけるより仕方がない。
ただ、からだが不自由になると、それが自分の手だけでできない無念さがあるなぁ。